家電製品や機械製品には取扱説明書がつきものだ。それを読めば、電気や機械に詳しくない人でも、製品を正しく安全に使いこなせるはずである。自転車は構造がシンプルとはいえ、命をあずける機械である。多くの人は子どものころから乗っていて、ごく自然に乗れるのが当たり前のようなところがある。取扱説明書など不要と思う人も多いだろう。ところが、スポーツ自転車を乗りこなそうとすると、そうはいかない。正しい乗車姿勢や複雑な変速機の使い方が求められる。
はじめて手に入れたブリヂストン・アンカーというスポーツバイクには、「取扱説明書(オンロードスポーツ車編)」がついていた。自転車に関する法律の紹介から始まって、各部の名称、乗る前の重要点検ポイント、してはいけない危ない乗り方とつづく。正しい取扱いと使用条件も詳しく解説されている。説明は38ページに及び、ブレーキの使い方や変速の方法についても懇切に説明がされている。それでも、初めてスポーツバイクに乗る者が説明を熟読すれば、性能を活かし安全に乗れるかというと心もとない。
作家の三島由紀夫が何かのインタビューに、「文学は薬や栄養剤ではないので、時には(太宰治の作品のように)死に誘っても構わない」と応えていたが、取扱説明書は絶対に死に誘ってはならない。文学作品のように感動や共感・反感を呼び覚ますことはないが、人の行為を正しく確実に導く役割がある。取扱説明書の作者は、文学者よりも表現力の才能を求められるかもしれない。説明書を作る人は、初心者でも間違いなく製品が使えるようにと、ことばの使い方や図説に苦心惨憺しているに違いない。
2台目、3台目に買ったロードバイクとマウンテンバイクは、ブランド名は違うが、同じ新家工業(株)の製品である。使用目的の違う自転車に、全く同じ内容の取扱説明書が添えられている。必要なものは添えてありますというアリバイ作りのような気がしなくもない。作り手にもユーザーにも、自転車の取扱説明書など必要ないだろうという判断がどこかにあるとすると怖い。
最近では、電子版の取扱説明書が普通になっていて、インターネットでダウンロードしないと手に入らないということもある。自転車販売店では、初めから乗りこなせることを前提にスポーツバイクを売っている。取扱説明書や販売店での製品説明が形式だけのおざなりなものになっているとするとそれも怖い。
『妻のトリセツ』、『夫のトリセツ』から『わたしの取扱説明書』や『老いの取扱説明書』など、何だかわけのわからない取扱説明書も巷にはあふれている。不要なトリセツはともかく、自転車を手に入れたら取扱説明書を丁寧に読んでみることである。説明が多少不十分でも、自転車の意外な機能や特性、便利さに潜む危険などを発見するかもしれない。取扱説明書の取り扱いが大事なのである。
乗り出す前に取扱説明書を読んで 乗ってからも取扱説明書を読んで そうするうちに自転車が形を変えて だんだん面白い乗り物になってくる |
取扱説明書のお手入れの仕方を読んでも 自分流の手入れをきちんとしていないと 10年近くも乗っている自転車は光らない |
ひらりとまたがって ペダルを踏めば どんなところへでも 連れて行ってくれる |
幼稚園児のころに教わった乗り方で どんな自転車にでも乗れてしまう 『人生に必要な知恵は すべて幼稚園の砂場で学んだ』 (R.フルガム) 自転車の乗り方は すべて幼稚園児のころに学んだ |
それでも遠くまで乗ろうとすれば 取扱説明書を読んでおくのがいい 里山の取扱説明書なんていうのも そのうち欲しくなるかもしれない |
ブリヂストン・アンカーの取扱説明書 そもそもどうやれば倒れずに乗れるのか そんな説明はどこにも見当たらない |
2種類の自転車に添えられた 内容は同じ取扱説明書 自転車の用途によって乗り方は違うし 説明の仕方によっては乗り方も変わる |