自由業という職業が成り立つのかどうか。辞書に乗っているので、職業の類型にはあるのだろう。勤務時間や場所に縛られず、独立して働く職業をいうのなら、思いつくのは画家や物書き、昨今流行りのYoutuberやブロガー、医師や弁護士も含まれるのか。どんな仕事でも縛りがないとは考えられないのだが。
私の前歴は公立中学校の教員なので、職業の類別は公務員。地方公務員で、教育公務員である。自由業とは対極にある。職務上は「地方公務員法」(任用、職階制、給与、勤務時間その他の勤務条件…)で規定される。さらには、「教育公務員特例法」(任免、分限、懲戒、服務及び研修について)でがんじがらめにされる。それを承知で選んだ職業なので仕方がない。とはいえ、若いころにそんなことまで深く考えて、職業選びをしたわけではない。
前に髭のことを書いたが、髭といえば自由業の人に多いというイメージがある。外国ではそうでもなさそうで、リンカーンのように立派な髭の大統領までいる。自由業でない職業は、不自由を強いられるといことになるが、自分の職業生活を通して、あまり不自由を感じたことはなかった。本人が自由にふるまっているつもりでいると、傍から見れば危な気で、ちょっと変わった奴と思われていたかもしれない。
退職してからも、元教員と知れると、人は先生と呼び、何となく堅苦しい奴という先入観を持たれることも多い。先生と呼ばれるのは、学校の中だけで、しかも、生徒から呼ばれるだけで十分である。退職しても先生なんて呼ばれると、いまだに教育公務員特例法に縛られているようで、窮屈この上ない。
学校では、教育基本法、学校教育法やその施行細則に縛られ、授業の内容は学習指導要領で規定される。決められたことを決められたようにこなすのでは、何とも味気ない。指導内容やともするとその方法まで決められてしまうことがあっても、教員は自由業よりも自由な精神が必要である。
目の前にいる子どもたちとのつき合い方は、自由自在でなければならない。教える中味は決まっていても、その過程では子どもたちと自由に考え、学び合う。教員は画家のように、詩人のように、そして妙なる音楽を奏でる人のように、自由に発想し、自由に表現したい。自由な遊びごころも欲しい。実に自由業の筆頭に分類してほしい職業である。
長年続けた仕事を辞したということもあるが、自転車に乗り始めてからは、自由自在にどこにでも行けて、思いのままに楽しめるものがあるいうことに、今更ながらに気がついた。
それが自転車ではなくても、向き合い方によって、自由な世界を開いてくれる手段や方法はいくらもあるだろう。仕事をしていた頃から自転車に乗っていたならば、自由の極意を会得することができただろうと思うと残念だ。今、専念している年寄業では、自由業を超える自由をめざしたいものだ。
今年は今年のコスモスが 一輪一輪ていねいに咲いて 今年は今年のコスモス畑 |
一輪一輪が違った色で織りなして 今年は今年の 今日は今日の コスモス畑の色 |
咲きそろって秋のひまわり 同じ方をむいて咲いていても 見ているものはみんなちがう |
すすきの海ひろがる すすきの穂の1本1本に 朝には朝の光 夕暮れには夕暮れの影 |
夏にたくわえた緑を やがて土にかえすときを 待っている樹々の梢 |
自転車で帰る帰り路 今日は夕焼けが美しい |
現職のときはいろいろなものに縛られながら、その狭い枠組みのなかで自分がやりたいことを探す。
返信削除でも所詮は職業という掌のなかで、自由を求めるしかありません。
私の場合、自分が職を完全に辞してフリーな状況になったとき、果たして時間を有効に使えるのか、自由の極意を会得できるのかなど、逆に不安が残ります。
MARIOさんは、自転車によって自由な世界を切り拓いていくのだから、すばらしいの一言です。
ただ何となく1日を過ごして人生が終わっていくのは寂しいもの。私も目指さなければ。
今回の写真も傑作です。秋のコスモスにひまわり。そしてすすきの海原とその奥には子供のころから見慣れた鈴鹿の山。避暑地の秋を思わせる落葉樹の林。秋の夕暮れに染まる釈迦ヶ岳。
写真のなかの自転車は、MARIOさんの想いを伝えるのに十分な存在となっています。
写真のひまわりを見て、若いころに読んだ五木寛之の『冬のひまわり』をなぜか思い出しました。
昔恋人だった男女が、夏の鈴鹿8耐の日に年に一度だけ会う。会おうという約束もないまま、20年も続いている。鈴鹿は二人が初めて出会った場所。結末は覚えていませんが、私も鈴鹿へは4輪、2輪のレースをよく観戦に行ったので、身近に感じるストーリーだったかなという印象。
もう一度読んでみたくなりました。その頃は五木寛之の小説やエッセイをよく読んでいました。
大江健三郎や開高健などのように難しくなく、若者向けというか大衆小説というジャンルでしょうか。MARIOさんには合わないかもしれませんね。
私も『冬のひまわり』を読んでみようと思います。
返信削除興味や好奇心に逆らわないで、やれることから試しているうちに、それが次から次へとつながって、世界が広がっていく気がします。この歳になっても知らないことだらけで、それがまた面白いところです。他の人にとっては大したことではないかもしれませんが、いろいろとやってみたいことばかり増えて困ってしまいます。
べーえんべーさんも、仕事をお辞めになると、また別の新しい時間や世界が自然に広がると思います。