冬をむかえる

冬をむかえる
'25.1.22 山を見て走る

2025年7月12日土曜日

走行会が危ない

  走行会のメンバーが集まって、自転車で走るのが危ないというわけではない。走行会の存続が危うい。

 走行会のことについてはこれまでにも何度か紹介した。週に一度、1、2日前に場所と時間を決めて集まり、気楽に走る。天候や風の向きを考えて、集まってから行き先を決める。行き先を決めても必ずそこまで行くというわけでもない。自由気儘に走る。

 メンバーの平均年齢は72歳。そろそろ身体的な故障の出てきてもおかしくない。自転車の不調なら、知恵を出し合って何とか対処できる。身体の不調となるとそうはいかない。

 しかるべき治療が必要だし、ドクターストップがかかれば自転車に乗れない。多少無理をしても走ればいいなどと、無責任なことは言えない。何しろ高齢者集団。若いころのような無理と無茶は禁物。

 ご近所にも、時々連れ立って走る自転車のグループがある。こちらもメンバーは4人。平均年齢は同じく70歳超え。このグループは少し趣旨がちがう。月に一度、美味しいものを食べに自転車で出かける。

 いずれのグループも4人全員がそろわないと盛り上がりに欠ける。一人でも都合が悪ければ延期する。最近、その延期が増えた。全員の健康状態が完調とはいかないのだ。

 たった4人の走行会。全員そろって走りたい。子どもの仲良しグループと同じだ。参加できない人がいるのに、はい、そうですかと言って、他の三人だけでは楽しめない。

 具合の悪い人がいて走れないときは、お茶でも飲みながらのミーティング、という手もあるにはある。暇な年寄り仲間のことだ。それはそれで楽しい。楽しいけれど、やはり走行会は走ってなんぼ

 走行会存亡のときなどと弱気になっていてはいけない。身体と自転車のコンディションを十全に整え、全員が90歳以上、なんのなんの、全員が100歳になっても一緒に走りたい。

何の変哲もなく
ただここにいる

変っていくのも
変らないことも
かぎりない忍耐

いつもここにあるものは
いつまでもここにあるか

いまはそろっているものなら
ずっとそろったままでいたい

2025年7月5日土曜日

自転車的時間感覚について

  早起きが苦手なので、自転車で出かけるときも朝は遅くなりがちだ。気候がよければ遠出をしたいが、出発時刻がいつも遅い。早く家を出ればゆとりをもって走れる。昼食に時間をかけることだってできる。走行距離も延ばせる。わかっているのに遅くなる。

 朝は遅く出かけても、午前中は時間の流れがゆるやかだ。自分の体調や自転車の調子も確かめながら走り出す。沿道の変化を楽しむ。

 季節が変れば道ばたに咲く花がちがう。木々の繁りぐあいも変わる。知り尽くしているつもりの道でも、初めて見る店や(ほこら)などに出合って立ち止まる。写真におさめる。往路時間流れが遅い。かなりの距離を走ったと思っても、昼にはまだゆとりがある。

 昼頃には、今日はここまでと決めてコースを折り返す。帰り道になると時間の流れが変わる。見知った道には目新しいものがないからか、家路を急ぐからか、時間は急流に変わる。

 自転車的時間感覚でいうと、子どもの頃の時間は、午前の時間だ。たえず新しいものや珍しいものに引っかかり、蛇行する。ときには流れが堰き止められる逆流したり、支流に流れ込んだりもする。時の流れは変化に富んでいる。ゆっくりと流れる時間だ。

 歳を重ねると、時の過ぎるのが速い。これは午後の時間だ。人生を折り返してしまうと、往路のように珍しいものに出会うことが少ない。見知った道、判っていると思い込んでいる道には堰き止める物もない。晩年の緩急のない凡庸な流れはゆったりしているようで実は速い。

 自転車で遠出をすると、昼まではゆっくり流れた時間が午後には速くなる。ずっとそう感じていた。最近は昼を過ぎても時間が流れない、ことがある。家までの時間が妙に長い、ことがある。子どもの時間に戻っているのではない。体力が落ちて、自転車的時間感覚を狂わせているのだ。家に着く前に日が暮れてしまわないように気をつけたい。

樹の幹をつたって
時間が流れている

樹の幹を登りつづける時間と
幹の先から降ってくる時間

樹の幹に隠れて
こっそりと
近づいたり

樹々の間を
足早に
去っていったり

そういえば
階段を駆け下りる時間と
すれちがったこともある