'26.1.1 新しい年を迎える

2025年7月26日土曜日

夏場の自転車

  相変わらず朝起きるのが遅い。新聞を取りに玄関先へ出ると外の空気がすでに燃えている。ほんの短い時間でも背中が焼ける。

連日、熱中症アラートが出ている。警戒のレベルが厳重警戒から、「危険」や「極めて危険」にまでなる日もある。観測史上最高の気温というニュースが毎日のように流れる。地球の温度はどこまで上がるのか。

 こんなに暑くても、自転車には乗りたい。自転車依存症か。AIに夏場の自転車の乗り方を尋ねてみる。                                   「猛暑の時期に自転車に乗る際は、熱中症対策と自転車自体のトラブル対策の両方が重要です。気温が最も高い時間帯を避け、こまめな水分補給や休憩を心がけ、冷却グッズを活用しましょう。また、タイヤの空気圧調整や、ゴム部品の劣化、バッテリーの保管場所など、自転車のメンテナンスも忘れずに行いましょう」

 タイヤの空気圧や電動アシストバイクのバッテリーにまで気を使ってくれるところはAIも気がきいている。

 「プロ直伝、熱中症対策」というネットの記事にこんなものもあった。「自転車走行する道を選ぶことも、熱中症予防になります。夏の日差しが強い時期は、並木通りなどの日影が多い道を選んで走るようにしましょう」

 短い距離なら兎も角、日かげの道がそんなに都合よくはつづかない。短い距離を短時間走るだけなら熱中症の心配はない。

 朝の間の日影木陰は、太陽が高くなるとすべて地上から消える。長時間自転車に乗っていれば判る。いつの間にか真上からの陽ざしとアスファルトの照り返しとの挟み撃ちに合う。

 夏場の自転車は、走ってみないと危険が判らない。かといって、無理して走ってめまいや痙攣が起きてからでは遅い。今年、73歳の夏。どんなに走りたくても走らないという新しい選択肢を加えるべきかどうか

太陽の南中が近づく
地上から影が消える

日差しと炎暑とが
影を侵食していく

自転車がわずかの影をつくるが
自転車の憩う影は見当たらない

影が消えて沸騰する道が
止まれ止まれと制止する




2025年7月19日土曜日

お節介の極意

  誰かのために良かれと思ってすることや言うことが、余計なお節介ととられることもあるだろう。自分も気付いていることを指摘されると、要らぬお世話だ、と思うことがある。

 自宅前の通りに面した場所で自転車をいじっていて、近くの畑に来たおばさんに、自転車から変な音がするので見てくれないかと頼まれた。泥よけがタイヤに擦れている。ちょっと曲げ伸ばすだけで異音は消えた。たいそうな修理をしたようにお礼を言ってもらった。ここまでは良い。

 チェーンやペダルなどの駆動部に油を注して、タイヤの空気をもう少し入れたら乗り味が良くなるだろうが、長い時間足止めすることになる。頼まれもしない余計なお節介、になってしまう、かもしれない。「頼んで良かった」が、「頼まなければ良かった」に変わる境目は微妙だ。

 他の人が乗っている自転車を見て、そろそろチェーンやタイヤ、ブレーキや変速機のワイヤーの交換時期ではないかと思うことがある。タイヤがパンクをしたり、ワイヤーが切れて変速ができなくなったりすれば、走れないので故障と判る。普通は故障するまでは部品を交換することなど考えない。

 摩耗のすすんだチェーンやギアを交換すれば、変速は快適になる。タイヤなら乗り心地が良くなるし安全だ。ブレーキのワイヤーを交換すれば操作が軽くなり、効きも良くなるし安全だ。明らかに使えなくなったわけではないので、交換しても代わり映えがしないことも多い。効果がよく判らないことを勧めても、余計なお節介、要らぬお世話にしかならない。

 学校で子どもたちと接していたころは、お節介だ、要らぬお世話だと受けとられようが、言わずにおれないこともあった。学校の仕事を離れた趣味の世界では、頼まれもしないことには口出しをしない。頼まれて、自分でも出来そうなことであれば、お手伝いをする。お節介の極意はこんなところか。

遠くから眺めている

近づいて
覗き込み
声をかける

声はことばになり
意味が生まれて
お節介をする


ことばをつながず
お節介の境を越えず
遠くから眺める

2025年7月12日土曜日

走行会が危ない

  走行会のメンバーが集まって、自転車で走るのが危ないというわけではない。走行会の存続が危うい。

 走行会のことについてはこれまでにも何度か紹介した。週に一度、1、2日前に場所と時間を決めて集まり、気楽に走る。天候や風の向きを考えて、集まってから行き先を決める。行き先を決めても必ずそこまで行くというわけでもない。自由気儘に走る。

 メンバーの平均年齢は72歳。そろそろ身体的な故障の出てきてもおかしくない。自転車の不調なら、知恵を出し合って何とか対処できる。身体の不調となるとそうはいかない。

 しかるべき治療が必要だし、ドクターストップがかかれば自転車に乗れない。多少無理をしても走ればいいなどと、無責任なことは言えない。何しろ高齢者集団。若いころのような無理と無茶は禁物。

 ご近所にも、時々連れ立って走る自転車のグループがある。こちらもメンバーは4人。平均年齢は同じく70歳超え。このグループは少し趣旨がちがう。月に一度、美味しいものを食べに自転車で出かける。

 いずれのグループも4人全員がそろわないと盛り上がりに欠ける。一人でも都合が悪ければ延期する。最近、その延期が増えた。全員の健康状態が完調とはいかないのだ。

 たった4人の走行会。全員そろって走りたい。子どもの仲良しグループと同じだ。参加できない人がいるのに、はい、そうですかと言って、他の三人だけでは楽しめない。

 具合の悪い人がいて走れないときは、お茶でも飲みながらのミーティング、という手もあるにはある。暇な年寄り仲間のことだ。それはそれで楽しい。楽しいけれど、やはり走行会は走ってなんぼ

 走行会存亡のときなどと弱気になっていてはいけない。身体と自転車のコンディションを十全に整え、全員が90歳以上、なんのなんの、全員が100歳になっても一緒に走りたい。

何の変哲もなく
ただここにいる

変っていくのも
変らないことも
かぎりない忍耐

いつもここにあるものは
いつまでもここにあるか

いまはそろっているものなら
ずっとそろったままでいたい

2025年7月5日土曜日

自転車的時間感覚について

  早起きが苦手なので、自転車で出かけるときも朝は遅くなりがちだ。気候がよければ遠出をしたいが、出発時刻がいつも遅い。早く家を出ればゆとりをもって走れる。昼食に時間をかけることだってできる。走行距離も延ばせる。わかっているのに遅くなる。

 朝は遅く出かけても、午前中は時間の流れがゆるやかだ。自分の体調や自転車の調子も確かめながら走り出す。沿道の変化を楽しむ。

 季節が変れば道ばたに咲く花がちがう。木々の繁りぐあいも変わる。知り尽くしているつもりの道でも、初めて見る店や(ほこら)などに出合って立ち止まる。写真におさめる。往路時間流れが遅い。かなりの距離を走ったと思っても、昼にはまだゆとりがある。

 昼頃には、今日はここまでと決めてコースを折り返す。帰り道になると時間の流れが変わる。見知った道には目新しいものがないからか、家路を急ぐからか、時間は急流に変わる。

 自転車的時間感覚でいうと、子どもの頃の時間は、午前の時間だ。たえず新しいものや珍しいものに引っかかり、蛇行する。ときには流れが堰き止められる逆流したり、支流に流れ込んだりもする。時の流れは変化に富んでいる。ゆっくりと流れる時間だ。

 歳を重ねると、時の過ぎるのが速い。これは午後の時間だ。人生を折り返してしまうと、往路のように珍しいものに出会うことが少ない。見知った道、判っていると思い込んでいる道には堰き止める物もない。晩年の緩急のない凡庸な流れはゆったりしているようで実は速い。

 自転車で遠出をすると、昼まではゆっくり流れた時間が午後には速くなる。ずっとそう感じていた。最近は昼を過ぎても時間が流れない、ことがある。家までの時間が妙に長い、ことがある。子どもの時間に戻っているのではない。体力が落ちて、自転車的時間感覚を狂わせているのだ。家に着く前に日が暮れてしまわないように気をつけたい。

樹の幹をつたって
時間が流れている

樹の幹を登りつづける時間と
幹の先から降ってくる時間

樹の幹に隠れて
こっそりと
近づいたり

樹々の間を
足早に
去っていったり

そういえば
階段を駆け下りる時間と
すれちがったこともある