冬をむかえる

冬をむかえる
'25.1.22 山を見て走る

2025年7月5日土曜日

自転車的時間感覚について

  早起きが苦手なので、自転車で出かけるときも朝は遅くなりがちだ。気候がよければ遠出をしたいが、出発時刻がいつも遅い。早く家を出ればゆとりをもって走れる。昼食に時間をかけることだってできる。走行距離も延ばせる。わかっているのに遅くなる。

 朝は遅く出かけても、午前中は時間の流れがゆるやかだ。自分の体調や自転車の調子も確かめながら走り出す。沿道の変化を楽しむ。

 季節が変れば道ばたに咲く花がちがう。木々の繁りぐあいも変わる。知り尽くしているつもりの道でも、初めて見る店や(ほこら)などに出合って立ち止まる。写真におさめる。往路時間流れが遅い。かなりの距離を走ったと思っても、昼にはまだゆとりがある。

 昼頃には、今日はここまでと決めてコースを折り返す。帰り道になると時間の流れが変わる。見知った道には目新しいものがないからか、家路を急ぐからか、時間は急流に変わる。

 自転車的時間感覚でいうと、子どもの頃の時間は、午前の時間だ。たえず新しいものや珍しいものに引っかかり、蛇行する。ときには流れが堰き止められる逆流したり、支流に流れ込んだりもする。時の流れは変化に富んでいる。ゆっくりと流れる時間だ。

 歳を重ねると、時の過ぎるのが速い。これは午後の時間だ。人生を折り返してしまうと、往路のように珍しいものに出会うことが少ない。見知った道、判っていると思い込んでいる道には堰き止める物もない。晩年の緩急のない凡庸な流れはゆったりしているようで実は速い。

 自転車で遠出をすると、昼まではゆっくり流れた時間が午後には速くなる。ずっとそう感じていた。最近は昼を過ぎても時間が流れない、ことがある。家までの時間が妙に長い、ことがある。子どもの時間に戻っているのではない。体力が落ちて、自転車的時間感覚を狂わせているのだ。家に着く前に日が暮れてしまわないように気をつけたい。

樹の幹をつたって
時間が流れている

樹の幹を登りつづける時間と
幹の先から降ってくる時間

樹の幹に隠れて
こっそりと
近づいたり

樹々の間を
足早に
去っていったり

そういえば
階段を駆け下りる時間と
すれちがったこともある

2 件のコメント:

  1. べーえんべー2025年7月9日 17:38

     私はもう6ヶ月以上自転車に乗っていないので、サドルに跨がった景色や感覚が取り戻せていません。
     自転車的時間感覚というのは考えたことがないですが、ブログを読んでなるほどと考えさせられました。

     私はこれまで1日中自転車に乗ることはほとんどなく、大抵午前中か午後の半日でした。だから自転車での時間感覚が午前と午後で変化するということに驚きました。

     1ヶ月前まで私はまだ職場で働いていて、午前中の勤務。けっこうやることが多く、あっという間に昼になってしまう。充実しているといえばそうかもしれません。昼過ぎに家に戻ってやれやれ。コーヒー飲んで、ついうとうとしているともう夕方。一日がとても早く過ぎていきました。

     さて、再雇用も終わって毎日が完全休養日。どうやって毎日を過ごすのかが楽しみでもあり不安でもあります。今のところ持病の治療中のため自転車にも乗れませんが、毎日目的をもって時間を過ごさないと、残りの人生が寂しいし、もったいないです。
     MARIOさんの充実した日々の生活をお手本にしたいです。

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  2.  べーえんべーさんが自転車に乗るのを中断しておいでだとお聞きしてから、半年にもなるのですね。体調の方はまだ芳しくないですか。どこがお悪いかはお尋ねしませんが、早く全快されることをお祈りします。

     今回は自転車に乗って過ごす時間の感覚について書きましたが、これは個人的なもので感じ方はみなさん違うだろうと思います。

     私はべーえんベーさんにおっしゃっていただくほど充実した日々を送っているわけではありません。無駄に過ごす時間も多いですが、時間の無駄遣いが許されるのは幸せなことです。

     給金をいただく時間は充実させないと申し訳ないですが、自分の時間はぼんやり過ごしても許されると思うとストレスも感じません。自転車の遠出と同じで、成り行き任せというのは快適です。

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