’26.5.8 一期は夢よ

2021年3月27日土曜日

発見「梅戸城」跡

  そこは家からわずか5㎞程の所にあった。自転車で15分も走れば、登城する道の入り口に至る。近くに住む人なら誰でも知っているのだろうが、自分にとっては新発見。梅戸城跡に辿り着いた。

 これまでにも、城山の下を何度か通ったことがある。「門前地区 森林浴健康ウォーキングコース 新坂~光蓮寺山公園~南坂」という看板を見たことがある。道の奥が気になっていたが、遊歩道だろうと思って、自転車で走るのを躊躇っていた。もっとも、クロスバイクやロードバイクでは走れそうにない。

 先日、マウンテンバイクで通りかかって、自転車でも走れるか試してみたくなった。幸い人影は見当たらない。ウォーキングコースの看板は民家のすぐ脇に立てられていて、自転車で乗り込むのは、ちょっと気が引けるが、昼日中に歩く人もなさそうだ。

 走り始めてしばらくは、アスファルトの道が竹やぶの間を続く。突然、舗装は途切れ、急な坂道にさしかかる。竹藪が崩れているので、土嚢を積んだり、ブルーシートで斜面を覆ったりしてある。大がかりな整備ではなく、素人工事で補修が重ねられているのがうかがえる。整備はされているが、荒れてもいる。

 さらに登ると、狭い道に階段状に土嚢が積まれている。白い土嚢袋は、雪が積もっているようにも見える。土嚢をまたぎながら登らなければならない。マウンテンバイクなので、多少無理をして、低いギアを使って乗り越える。土嚢の段差が大きくなって、次第に登るのが難しくなる。

 一番軽いギアを使って、力まかせに段差を越えようとしたら、前輪が浮き上がってウィーリー状態になった。転倒をさけて、ゆっくりとバイクを倒す。とはいえ(てい)のいい転倒である。誰もいない森閑とした道ではあるが、周りを見回す。転倒したり、何かへまをしたりすると、誰も見ていなかったか、つい周囲を確認いたら、それらしい言い訳が必要である。一度止まると静止した状態からはとても漕ぎ出せない。バイクはずるずると後退する。やむなく、急斜面だけはバイクを押して登ることになる。

 やがて、というほどの長い道のりでもないが、前方に視界が開ける。何十本も梅の木を植えた畑が広がり、遠くの山並みが臨める。やや奥まったところに、「梅戸城跡 光蓮寺山公園」という石碑がひっそりと建てられていて、ここが城跡だと判る。城の礎石と土塁らしいものが残されている。

 公園とはいえ遊具などは見当たらず、手作りのブランコが高い樹の下で、空からつるされたように揺れていた。城が城として生きていたころから変わらない光と風の中で、誰も乗らないブランコが揺れつづけている。そこだけ切り開かれた空が、雑木の間から中世と同じ明るさでのぞいている。背景を選んで自転車を立てかけカメラを構えていると、いつの間にか一匹の猿が後ろに来ていて、興味深げに同じ方向を見つめていた。

    梅戸城は田光城主・梅戸高実によって築かれたと伝わる。伊勢(桑名)から近江(八幡)に通じる八風街道一帯を支配した梅戸氏は、通行税を徴収するためにこの城を築いた。1568年(永禄11年)の織田信長による北伊勢侵攻で滅亡、廃城になった。

民家のそばにある案内板
自転車で入ってもいいのかどうか…

折れた竹が行く手を阻む
前方にはかなり手ごわそうな道がつづく

次第にきつくなる坂道
次第にわくわくして来る

坂を登り終えると
突然あたりが開ける

訪れる人もなく
ひっそりと静まりかえる城跡
城主の気分を味わう

天空から吊られたブランコ
城があったときと同じ風に揺れている

ブランコの上で揺れる自転車
木漏れ日がふりそそぐ

城主 梅戸高実の墓所 光蓮禅寺
城山を降りてホッと一息つく






2021年3月20日土曜日

『チップス先生、さようなら』

  「霧深い夕暮れ、煖炉の前に座って回想にふけるチップス先生の胸に、ブルックフィールド校での六十余年の楽しい思い出が去来する…。腕白だが礼儀正しい学生たちとの愉快な毎日、美しく聡明だった亡き妻、大戦当時の緊迫した明け暮れ…。厳格な反面、ユーモアに満ちた英国人気質の愛すべき老教師と、イギリスの代表的なパブリック・スクールの生活を描いて絶賛された不朽の名作」 これは、新潮文庫版『チップス先生、さようなら』の短い解説である。

 『チップス先生、さようなら』を読めば、教職を生業(なりわい)としていた者なら、きっと自分の経験を想起する場面に出会うだろう。そうでない人も、自分の中・高校生時代を振り返れば、よく似た出来事の一つや二つは見つかるはずだ。

 「アラビアのロレンス」を観て、主演のピーター・オトゥールがチップス先生を演じた映画があったことを思い出し、「チップス先生さようなら」(1969)を観た。原作ジェームズ・ヒルトンの小説も読みなおしてみた。昔買ったはずの本が見当たらないので、電子版を新たに購入した。英語の原作は書架にあった。サム・ウッド監督、ロバート・ドーナット主演で1939年に製作された、原作を同じくする映画もある。これは、今回初めて観た。1939年版の方がストーリー展開は原作に近い。

原作では、チップス先生が、彼の教育観にまで影響を与えることになる妻キャサリンと初めて出会う場面で、自転車が一役買っている。「キャサリンのような人物に出会ったのは初めてだった。(略)当世風の女性、いわゆる“新しい女”には反撥を感じると思っていた。(略)チップスは前後の車輪の大きさが同じ安全自転車で湖畔の道を走って来るキャサリンの姿を目にとめることを楽しみに待つようになった」。当時は「自転車が大流行し、男ばかりか女までもが夢中になるありさま」で、自転車はキャサリンが新しい時代の女性であることを暗示する。因みに、「安全自転車」は原作の「safety bicycle」をそのまま翻訳したものである。

 1939年版の映画にも自転車が登場する。ここでは、キャサリンはオーストリアを自転車(bicycling)で旅する女性という設定になっている。チップス先生は、自転車に「女性がまたいで乗るのか?」と初対面のキャサリンに尋ね、「自転車は時速15マイル(字幕では25キロと翻訳)もスピードが出て恐ろしい。女性が乗るのは薦められない」と異を立てる。1969年版では、チップス先生とキャサリンの幸福な結婚生活の一コマとして、二人がサイクリングを楽しむ短いシーンが織り込まれている。

 チップス先生の生徒との関り方や教育観、妻への愛情、イギリスの教育制度やパブリック・スクールの伝統、そして第一次大戦下のヨーロッパ情勢など、原作や映画の主題は自転車とは別のところにある。初めて原作にふれたときには読み飛ばした自転車の短い場面が、今回はどういう訳か印象に残った。文学や映画の価値や本質は変わらない。読み手や鑑賞者の変化で、その都度ちがって現れる。最近は、どうも自転車に気を取られる傾向にある。

    表記は「チップス先生、さようなら」と「チップス先生さようなら」が併存する。ヒルトンの初版および映画の原題は “Good-bye, Mr.Chips” である。


Safety Bycicle(右)
前輪と後輪が同じ大きさ
チェーン駆動が特徴
フォークの形状も進化
 

安全自転車の宣伝用ポスター
ジョン・ケンプ・スターレーが考案
1885年に販売開始
イギリスから全世界を席捲


『チップス先生…』に登場する自転車に近い
安全自転車には婦人用もあった
「女性用もあるのよ、ご存じない?」
というセリフが1939年版の映画にある
「ママチャリ」の原型

女性二人のbicycling
映画版『チップス先生…』(1939)では
キャサリンが女性の友だちと二人でオーストリアを旅行

娘とbicyclingに出かけた
前の自転車は愛用のアンカー
世が世なら娘も先進的な女性というわけだ

愛用のラレーもヴィンテージ風に変身
Safety Bicycleの現代版

つい最近の写真を
古い写真のように加工してみたが…

新しい写真の
画素を細工して
光沢を消しても色彩を薄めても
古い写真から
時の移ろいが
光沢を奪い色彩を剥いだようには
残したいものが残せない
残りたいものが残れない
呆気ないし素気ない

時に任せて
ゆっくりとていねいに古びる
抗うこともできないし
真似ることもできない







2021年3月13日土曜日

ヘルメットのこと

  1972年、20歳の頃、ドイツのローテンブルクという小さな町で半年ほどホームステイをした。ある晩、同じ家に止宿していたイタリア人の青年、アントニオ・ツァルカー君と町の小さな映画館で「アラビアのロレンス」を観た。上映時間3時間を超える大作である。当時、製作10周年のリバイバル上映だったように覚えている。主人公のアラビアのロレンスことトマス・エドワード・ロレンス中尉(後に昇任して大佐)が率いた、アラブ独立闘争を描いた映画である。

50年も前に観た映画だが、冒頭のロレンス卿が乗るオートバイの事故シーンが強烈に印象に残っている。事故で亡くなったロレンス卿はヘルメットをかぶっていたかどうか、最近になって、ふと気になることがあった。そこで、1963年日本公開の映画をDVDで観なおした。名優ピーター・オトゥール演じるロレンス卿はヘルメットをかぶっていない。オートバイを走らせる前から、ストーリーを暗示する緊迫と悲壮感が漂っている。オトゥールの演技が冴えている。

前方から来た2台の自転車をよけそこなったのが事故の原因ということも、映画を観なおして判った。もし、ロレンス卿がヘルメットをかぶっていたら、もし、自転車が道路の中央を並走していなかったら、卿はもっと長生きできただろう。

日本で、オートバイ乗車時のヘルメット着用が義務付けられたのは1972年、ちょうどドイツにいた頃である。帰国してオートバイに乗ると、ヘルメットが窮屈だったのを思い出す。免許を取って乗り始めた頃は、オートバイもヘルメットはいらなかった。くわえ煙草で、髪をなびかせて走ったものである。行儀はよろしくないが、気分は最高だった。

 今では、自転車に乗るときにも、ヘルメットの着用が勧められている。法令で定められているわけではないが、スポーツ自転車に乗るときには、着用が当たり前になっている。デザイン、色、それに値段、自転車用のヘルメットは多様だが、どれも何となく大仰で、しかも鉢が開いているように見える。着用するのが常識といわれても好きになれない。軽量に作られているとはいえ、かぶれば頭は重い。首が疲れる。爽快な気分は削がれる。 

 自転車はオートバイほどスピードが出るわけでもないので、ヘルメットの必要はないように思うが、盤石の安全対策をするに越したことはない。ヘルメットの着用には、自転車がスピードの出る危険な乗り物だということを、歩行者や車のドライバーに認識してもらう意味もあると聞く。どう見ても不格好で好きになれないが、一番多いといわれる頭部の深刻な怪我を避けて、長く自転車と付き合うためには、ヘルメットの着用を自分に義務付けておきたい。

 ところで、オートバイの事故から始まる映画「アラビアのロレンス」は、その後、アラビア半島でのロレンス卿の奮闘を壮大なスケールで描き、やがて卿の失意とともに結末を迎える。ラストシーン、ロレンス卿の乗るロールス・ロイスを追い抜くオートバイが、冒頭の場面へと回帰する。


山へ行くときには
マウンテンバイク用のヘルメットを着用する

山へ行くときには
おにぎりを買ってリュックサックに入れる
人里では犬、山では猿や雉に出会うので
きび団子もいくつか持っていると良い

ヘルメットと獣よけのベルと
おにぎりの入ったリュックサックは三種の神器
このベルで熊、猪、猿が
退散してくれるとは思えないが…

転ばぬ先のヘルメット
急がば回るほど急がない
石橋は叩いて危うければ引き返す

徐行の際にもヘルメット
寝ていて転ぶことはないが
走れば躓く

番外:友だち所有のハーレーダビッドソン(’21.3.1撮影)
   またがっただけなのでノーヘル
   昔はこんな格好で乗れた
   乾燥重量300㎏超 自転車30台分?
   こんな怪物はとても乗りこなせない



2021年3月5日金曜日

自動アップデートの功罪

 長年、日記をつけている。「てきぱき家計簿マム」という家計簿ソフトの日記欄が便利なので、20年近く使っている。最近、日記を書くのに、日本語の入力がどうもうまくいかない。そこで、サンテク株式会社「家計簿マムサポート係」へメールで問い合わせた。

「日記の日本語入力の際、キーボードが反応しません。waと打つと「あ」と変換、saと打つと「あ」、reは「え」と変換されます。「。」「、」を入力すると改行されてしまいます。WordExcelの日本語ローマ字入力ではそういう現象は起きません。家計簿マムの入力の際にだけ発生します。何か原因が考えられますか、対処法があればお教えください。」 状況を説明するのは難しいが、できるだけ具体的に質問したつもありである。すぐにサポート係から回答があった。(※wa,sa,reを例示したのは、キーボドの左上の5つのキーで打てるから)

「マム9では日本語入力は、Windowsの日本語入力システムを呼び出して使用しておりますので、日本語入力システムに何らかの影響を受けている可能性も考えられます。少し状況は異なりますが、使用中にエラーになってしまう場合の対処方法が弊社ホームページにございますので、対処方法をお試しいただき、状況をご確認いただけますでしょうか。[対処方法1] から [対処方法4] までありますので お手数ですが、ひとつずつ実施をお願いいたします。ご案内は以上となります。」「ご案内は以上となります」とは何とも突き放した言い方である。それ以上訊かれても困りますと言外ににおわせている。免責の宣言である。

 対処法をすべて試したが改善しない。最後はソフトの再インストールもしたが状況は変わらない。思案に暮れていたが、Windowsの自動アップデートが影響しているかもしれないと考え、日本語入力システムIMEを古いバージョンに戻してみた。マイクロソフト社の罪というわけでもないが、問題はこれであっさり解決した。

解決したことをメールし、「他のユーザーからも同じような質問があるはずなので、対処の方法を公表すべきだ」と、やや抗議調で書き添えておいた。解決方法を伝えたことへの謝礼と「確かに同じような質問が寄せられているので、早急に対処する」という返信があった。最後は、またしても「ご案内は以上となります」と締めくくられていた。「お詫び(と言い訳)とお礼を申し上げます」と言うべきだろうと思ったが、ダメ押しのメールはしなかった。自動アップデートというシステムは、ユーザーの知らないうちにコンピュータの性能を補正してくれるが、思わぬ副作用や副反応が出る。功罪相半ばというところである。

自転車は乗りつづけていれば、部品は消耗し性能は落ちる。ときおりはアップデートが必要である。自動アップデートというシステムがないので、知らないうちに勝手に性能を変えられるということはない。アップデートの時期や内容を考えて、自分の判断でということになる。ことのついでに、乗り手のアップデートもできないものだろうか。身心ともに無償で自動アップデートできるシステムがあれば、これは功罪を問うまでもなく、大いに手柄が勝る。

乗りつづけていれば
タイヤもブレーキも摩耗する

ギアだって、チェーンだって
長い距離を走っていれば
擦り減って性能は落ちてくる
折を見てアップデートしたい

春の息吹を感じるころには
自然界にもアップデートの兆しが見える

万物のアップデート日和
地球をまるごと更新する大作業

季節がアップデートされる
大規模無償自動更新システム

乗り手も負けてはいられない
心も身体もアップデートして
新しい季節の中を走り始める


2021年2月27日土曜日

空気の研究

  自転車に乗ると空気の壁に突き当たり、押しもどされる。空気を読み、空気と折り合いをつけてすり抜けるか、強引に空気を切り裂いて走るのか。空気を無視することはできない。

 少し前になるが、NHKの「チコちゃんに叱られる」という番組で、「空気を読む」とは何を読むのかという質問が取り上げられていた。出演者は的外れな回答をして、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねぇよ」と叱られ、明かされた答は、「0.2秒の短い時間に現れる顔の感情表現をみて、相手の本音を読む」ということだった。だとすると、「空気」とは、ごく短い時間に表出される潜在意識のことだといえる。

 15年ほど前には「KY」ということばが流行った。「空気を読めない」人のことである。「空気を読めよ」という警句にも使われた。今ではKY語といわれ、ローマ字で省略する日本語の代表格になっているが、KYというときの「空気」のとらえ方は曖昧な気がする。

 チコちゃんが紹介していた「空気」も「KY」の使い方も、ちょっと安直にすぎる。山本七平著『空気の研究』(1977年)には、「空気」を知りそれを読むという行為が、一筋縄ではいかないことが示されている。山本は、イザヤ・ベンダサンというペンネームで『日本人とユダヤ人』(1970年)を著して、日本人論の先駆けをなした人である。『空気の研究』では、日本人特有の議論の中に見られ、意志決定や判断材料にもなる「空気」の醸成や特性を論じている。「空気」を読み、それに従わなければならない、あるいは従ってしまう危惧についても取り上げている。

 山本は、戦艦大和最期の特効出撃が「空気」によって決まったという例を引く。孫引きになるが、『文藝春秋』(1975年8月号)の記事に「全般の空気よりして(大和の)特効出撃は当然だと思うという発言が出撃を決めた」とある。山本によれば「大和の出撃を無謀とする人びとにはそれを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。(ところが出撃の)正当性の根拠はもっぱら「空気」なのである。議論は最後には「空気」で決められる」ことになる。詳細なデータや根拠を明示しても、目に見えない「空気」には勝てないのである。

 多数決の原理を真に理解できない日本人は、会議で決めたことを「あの時の空気では、ああ言わざるを得なかった」と覆す。その夜の「飲み屋の空気」では別の結論を出すという事例も上げている。国や宗教、文化の違いで、「空気」の醸成のされ方や「空気支配」が異なることについて克明に記していて、「空気」について深く考えさせられる。

 『文藝春秋』最新刊(20213月号)のコロナウィルス対策関連の記事の中で、「空気で動く日本政府」という小見出しが目をひいた。同誌の他の記事でも同じような文脈で「空気」が使われている。重大な局面では、無色透明の「空気」が見えてくるらしい。どうやら、空気にはいくつもの種類がありそうだ。自転車に上手に乗るためにも、日常の「空気」に取り込まれないためにも、空気の研究を深め、空気の読み方を考えたいものである。

初詣に出かける
年が明けたというだけで気持ちが改まる
清澄な空気が漂う

冬の昼下がり
ひだまりの空気は
やわらかく暖かい

空気が冴える
山が近い

みんなで走れという空気で
みんな同じ方向に走り出す

空気を読んで大勢が走り出す
空気を読まないパンダは
遠くで仰向けに転がっている

たまには手入れもしてほしい
空気を読んで
近所の自転車が
集まって来た


2021年2月20日土曜日

七つの池を巡る冒険

  寒の戻りがあるとはいうものの、陽気は春めいてきた。本格的な春になったら、7つの池を巡る冒険に出かけたい。大仰ないい方であるが、実は大した冒険ではない。7つの池に特別の意味はない。9つの池でもいいし、たったひとつの池を探すというのでもかまわない。ちょっと気分を変えて走りたいときの呪文ようなものである。

 朝、目が覚めると自転車のためにあるような好天。さて、今日はどの辺りを走ろうかと考える。適当にぶらぶらと、というだけではいかにも芸がない。「7つの池を巡る冒険」と唱えれば、いつも走っているコースに抑揚がつく。子どものころは、名前などつけなくても毎日が冒険の連続だったが、大人には理屈が欲しい。

 いつも気軽に走っている、員弁郡やいなべ市内の云わばホームコースのようなところには、池や溜が点在する。人里をほんの少し離れると、樹々の間にひっそりと水をたたえる池や溜に出会える。湖といえるほど名前の知られた立派なものはない。池はもともと魚を生かすためのもので「生ける」が語源。溜は灌漑用に人工で水を「溜め」たものらしい。名もない小さな池や溜も、四季折々の変化を水面に映す姿には独特の神秘が宿る。冒険を企てる価値はある。

 どんな冒険に出かけるときも、ルートはざっくりと決める。厳密な道程はない。この辺にも池はあったはずだ、という極めて不確実な探索。目的の池に向かって走っていると、思わぬ所で初めて見る池に出会うこともある。子どもの頃に泳いだり魚を釣ったりしたことのある大きな池を探し当てたら、意外に小さかったという驚きもあった。昔の記憶そのままの場所もあれば、周りに遊歩道など整備され、よそよそしくなって乙にすましている池や溜もある。冒険してみないとそれも判らない。

 いなべ市はツアー・オブ・ジャパンのロードレースが転戦する場所の一つに名乗りを挙げ、最近は多くのライダーがその聖地を訪れる。「いなべサイクル・マップ」なども発行されていて、それを頼りに走るライダーが多いのだろう。マップには見どころなどを織り交ぜ、無難なコースが紹介されているので、お決まりの道を連なって走っている人たちを見かける。地図の見方を変えて、お仕着せのコースから外れてみれば、自分が発見者だと思えるようなワインディングロードがあって、その向こうに冒険が待っている。人影の絶えた魅惑的な池や溜に出会えるという僥倖もある。

 先日、家に遊びに来た友人を近くの溜に案内した。誰も知らない秘密の場所を教えるかのように、得意になっている自分がおかしかった。子どもの頃には日常茶飯事だった冒険を、しばらくはすっかり忘れていた。この歳になって、もう一度、いざ冒険、と呪文を唱えて自転車で出かける。近場を巡るサイクリングが、人跡未踏の秘境を尋ねる旅に早変わりする。


人影のない冬の池は
まるごと自分の庭的気分

はるばる来た…
実は振り返れば我が家が見えるくらい処にある

子どもの頃には「西村の溜」と呼んでいた
暗くて怖いところだったが
公園に取り込まれてしまった
柵など張りめぐらされて
妙によそよそしくなった
溜が怠けてくつろいでいる

この溜は昔の姿のままで頑張っている
地図にはあるのに
どうやって道を辿ればいいか判らない
溜の底からは何が出てくるか判らない

通りすがりに偶然出会った溜
地図にも名前が載っていない
昔から伝わる呼び名があるはずだ

誰も訪れないままにしておきたい場所がある
冒険を冒険のままで残してくれる場所である

村のはずれに「山の下」と呼ばれる
子どもには手ごろな小さい池があった
いつも魚釣りの子どもでぎわっていた
野放しの子どもが集まる池がなくなって
野放しの子どもはどこにもいなくなった

全国ため池百選だなんて
すっかり飼いならされて
よそ者になってしまった

選ばれてあることの恍惚と
     不安と二つ我にあり
     (太宰治、ポール・ヴェルレーヌ)
選ばれない方がいいことだってある








2021年2月13日土曜日

地図を読む

  ジェイムズ・ボンドは一世を風靡したスパイである。イアン・フレミングの原作には1953年に初登場、映画第1『ドクターNOは中学生の頃に観た。当時は『007は殺しの番号』という物騒な邦題で劇場公開された。1964年公開の第3作『ゴールドフィンガー』でボンドの乗るアストンマーティンDB5にはナビゲーションもどきの装置が搭載されていた。時代の最先端である。ボンド映画に登場する最新の機器にはわくわくのしどうしだった。

 ボンドがハイテクのスパイグッズを優雅に使いこなす古いタイプのスパイだとすると、ジェイソン・ボーンは全く新しいタイプのスパイ(両者ともイニシャルはJ.B.)である。第1作『ボーン・アイデンティティ』で銀幕に初登場する。ボーンは、彼自身がスパイグッズであり、武器である。翻訳機を使わなくても、外国語を自由に操る。身近なアイテムを通信機や武器に作り変え、使いこなす。ナビが必要なら、彼自身が地図を記憶にインプットしてしまう。

 ボーンはCIAの暗殺計画に失敗して、証拠隠滅のために命を狙われる。同業の暗殺者に襲われ、行く先々で地元警察からも追われる。パリで警察官に追いかけられるシーンでは、逃走の直前にパリの市街地図を読み取って記憶する。彼は脳裏に刻まれた地図を頼りに自在に逃走経路を見つけ出す。逃走車は最新装備満載のアストンマーティンやTOYOTA 2000GTではない。今にも壊れそうなミニを巧みに操る。第二作『ボーン・スプレマシー』でも、ナポリからベルリンまで古いメルセデスベンツでの逃避行の途中、ミシュランの地図を助手席に広げ、走りながら道路網を覚え込む。ベルリンの市街地図も瞬時に記憶する。

 私の自転車は、国境を越えて走るわけではない。猛スピードで何かを追ったり追われたりすることもない。自転車で走るたかだか100㎞くらいのコースは、地図に頼らなくても覚えてしまいたい。ボーン流を真似て、走りたい場所の地形を前日に地図で読み取る。但し、瞬時にという訳にはいかない。実際に走り始めたら、ランドマークをつなぎながら地図を見ないで走る。自転車に乗り始めた頃から、地図は記憶して、走り始めたら見ないことに決めている。思わぬ史跡などに行き会って、得した気分になることもあるが、ときには見当ちがいの道に迷い込み、焦りながら地図を確認する事態も出来(しゅったい)する。ジェイソン・ボーンになるのは難しい。

 映画のヒーローの地図の読み方を真似て自転車に乗る。子どもの頃に、自転車を月光仮面まぼろし探偵のオートバイに見立てて乗りまわしていたのと、ちっとも変っていない。映画『大脱走』の終わりに近いシーン、スティーブ・マックイーン演じるヒルツ大尉は、ドイツとスイスの国境の柵をオートバイの大ジャンプで越えようとする。それを真似て、オフロードバイクでジャンプの練習を繰り返したこともあった。地図を読み、ヒーローになったつもりで自転車を漕ぐ。バーチャルリアリティの世界は今に始まったものではないし、コンピュータの中だけのものでもない。


街の中を地図を読まずに走る
何だか懐かしい気がする街並みに出会う
場所は記憶の地図に記しておく

自転車のよく似合う通りを行く
記憶の地図に書き込んでおく

地図を読まずに走っていたら
信長さんに出会った

秀吉さんにも出会った

別の記憶にある地図の中で
生まれたばかりの信長さんに
出会ったこともある

一夜城の跡では
秀吉さんと再会した

人生の地図や時間の地図を
行ったり戻ったりして
自転車に乗っている

鳩も記憶に読み込んだ地図をたよりに飛ぶのか
ヒーローにあこがれて飛びつづけるのか


鳩にも自転車乗りにも
記憶の中に読み込んだ
人生の地図や時間の地図はある

やり残してしまったことや
いつかやってみたいことや
忘れてしまっていることや
鮮やかによみがえることや
ついに行けなかった場所や
これから出かけたい場所や

記憶の中の地図には
ルートがひかれている
定点がしるされている

鳩は双の翼で
自転車乗りは双の銀輪で
記憶の平面にひろげられた
人生の地図や時間の地図を
行ったり戻ったりしながら
飛んだり走ったりしている