冬をむかえる

冬をむかえる
'25.1.22 山を見て走る

2025年1月25日土曜日

トレッドパターン

 マウンテンバイク(MTB)のタイヤを新しいものに替えた。ぬかるんだ場所や未舗装の砂利道、山道、大きな石の上も走れるような太くて頑丈なタイヤだ。タイヤの接地面(トレッド)にキャラメルを並べたような凸凹のタイヤは文字通りキャラメルブロックと呼ばれる。

 タイヤのトレッドには溝が刻まれている。トレッドパターンといわれる。縦の溝が強調されたリブ型は直進安定性が高く横滑りしにくい。横溝を深く切ったものはラグ型で、駆動力や制動能力が高まる。

 両方の特性を生かすために縦溝と横溝を併せもつリブラグ型というタイヤが多く使われる。自動車のタイヤを観るとトレッドパターンがよく判る。自動車のタイヤは太くて重いので走行中に発生するノイズや燃費にも影響する。タイヤメーカーは新しいパターンの開発に躍起である。

 話はMTBのタイヤにもどる。よほど興味のある人でないかぎり、自転車のタイヤのトレッドパターンを気にすることはないだろう。ところが、わずかな脚力で走る自転車にとって、タイヤの選択は切実な問題なのだ。

 今回MTBのタイヤをキャラメルブロックのものから、縦溝を強調した連続パターンのものに替えてみた。タイヤが新しいし、材料のゴム質にも違いがあるだろうが、とにかくたいへん軽くなった。安定感もある。大きなブロックの発生する音がない。乗り心地がジェントルだ。

不整地の走りは試していないが、遜色がないことを期待する。自転車のタイヤは自動車より体感しやすいこともあって、効用がよく判る。トレッドパターンの違うものに交換すると乗り味も変化して面白い。

 ブランデーの銘柄「V.S.O.P. ( Very Superior Old Pale)をもじってVery Special One Patternという、進歩のない同じことの繰り返しや親父ギャグを揶揄する言い回しがあった。自転車のタイヤ選びも、自転車の乗り方そのものも、ワンパターンに陥らないよう心したい。 

パターンとは
模様 紋様 態様
タイヤのための幾何学

パターンとは
形姿 形状 形態
タイヤの求める力学

パターンが轍を辿り轍を刻む

パターンが路面に反発し路面に馴染む

パターンは連綿とつづき無限に広がる


    
  

2025年1月18日土曜日

年の初めの

 私が子どものころ、1月1日は小学校の登校日だった。全校児童が集まって、「年の初めのためしとて 終わりなき世のめでたさを 松竹立てて門ごとに 祝う今日こそめでたけれ」という歌を斉唱した。これは11日』という歌で、「いちがついちじつ」とか「いちげついちじつ」というのだと随分後になって知った。 

 歌詞の二番は「初日の光さしいでて 四方に輝く今朝の空 君が御影に(たぐえ)えつつ 仰ぎ見るこそ尊とけれ」という前時代的なものだ。小学生には意味が皆目わからない。戦後もこんな歌が歌われていたのか。歌詞を考えると斉唱は一番だけだったかもしれない。

 元日の登校日には紅白の饅頭が配られた記憶がある。併せてノートを1冊もらった年もあった気がする。親たちが貧しくて忙しい時代、学校が年中行事を執り行ってくれていた、のだろう。

 今年も、元旦には年の初めの(ためし)として自転車で日の出を見に行った。まさか「君の御影に置き換えて仰ぎ見る」わけではない。ご来光を拝むという信仰心からでもない。朝早く起きられるか。起きたら自転車で寒風の中をまずは15㎞ほど走る気力があるか。気力はあったとして走る体力もあるか。年の初めの「ためし=例」というよりは、年の初めの「試=ためし」、である。

 先週は椿大社まで走り、今週は熱田神宮へ行った。初詣というわけではない。これも年の初めの試である。少しずつ距離を伸ばして走るのにちょうど良い目的地なのだ。初日の出往復30㎞、椿大社50㎞、そして熱田神宮85㎞。

 「一年の計は元旦にあり」、「今年もいろいろなことに挑戦し、みんなでいい年にしましょう」。小学校の元日の登校日、歴代の校長先生方は全校児童に向けてこんなお話をされたのではなかったか。年の初めに何か試しておきたいという想いは、きっとその当時に刷り込まれたのだ。 

新しい年の初めは
どこにあるのか

ペダルを踏みだすときが
始めるときだ

ペダルを踏みつづければ
こんなところまで来る

あんなところまで行ける

いつとは決めず
どことも決めず
走りつづけることだけ
決めておけばいいのだ

2025年1月11日土曜日

リアカーの思い出

 アッ、リアカー、今も使われているのか。自転車で通り過ぎた民家の軒先に立てかけられているリアカーを見つけた。空き家のようなその家の縁側には、花柄の毛布が干され、横には草を刈る刈払機が立てかけられていた。

 覗き見したわけではない。何ともシュールな光景が目にとまった。ミシンとこうもり傘が解剖台の上で出会う、シュールレアリストのマン・レイの作品のような組み合わせだ。日常にはありえないようなものの組み合わせや出会いは、シュールレアリズムのディペイズマンという表現手法だ。

 古い民家にリアカー、日差しを受けた柔らかな毛布と草刈り機、異なる時間や質感の出会うディペイズマン。もうリアカーがどんなものか知らない人も多いだろう。自転車のうしろに取り付けて荷物を運ぶのに使った。自転車のリアにつけるカーという和製英語らしい。

 子どものころ、行商のおばさんが魚や果物を積んだリアカーを引いて軒先まで売りに来た。ポン菓子を作る機械をリアカーに乗せたおじさんはお寺の前で商売を始めた。いつもとは違う人や物がリアカーと一緒にやって来るのが嬉しかった。

 私が小学校に上がってしばらくして、父が机を手に入れてくれた。友人から譲り受けたのか、中古品を買ったのか。町まで父に連れられて机を取りに行った記憶がある。子ども心に随分遠くまでリアカーを引いていったような気がしている。

 今の子どもたちが使うような学習机ではない。大きくてところどころ瑕もついていた。私は机が落ちないようにリアカーの上でそれを支えた。未舗装の道路をリアカーに揺られて家まで帰る途中、人に見られるのが恥しかった。新品の机でもない。私はとてもいやだった。机を家に持ち帰えれば子どもが喜ぶだろうと思ってペダルを踏む父の気持ちが今は判る。父と自分のいる昔を今の私が眺めている。時間と場所のディペイズマンだ。 

写真は「Wikipedia」より
ものを運び人を運んだ
夢や期待を運んだ
落胆や失望も運んだ

見慣れているのに
新しい風景

新しいはずなのに
見慣れた世界

そこには私もいたのか

私は別の次元から
のぞいているのか

2025年1月4日土曜日

午前7時1分

  202511日の日の出の時刻を調べた。初日の出を見に行く桑名市では7120秒。元旦、日の出の時刻は意外に遅い。

 朝には弱いが5時には起きた。6時に家を出れば、毎年初日の出を見る揖斐川の河口まで15lmほどの距離なので充分余裕がある、はずだった。

 前日には天気予報を気にしながら、普段使わない自転車の前照灯を準備した。昨年、ハンドルを交換したクロスバイクには前照灯がうまく取り付けられない。今年は初めてロードバイクで行くことにした。

 バックライトは出発前に取り付けようと思っていた。これがまずかった。取り付けに思わぬ時間がかかった。出発するころには6時を10分過ぎていた。このままでは日の出の時刻に間に合わない、かもしれない。

 走行会の仲間に、初日の出を見に行くなら通りがかりのコンビニで合流しようといってあった。一人でも合流場所へ来る人がいたら待たせることになる。気が急く。

 幸い、というか残念なことにというか、元旦の暗いうちから一緒に走ろうという酔狂な人はいなかった。誰も待たせることはなかったが、日の出も私を待ってはくれない、焦る。

 東の空が明るくなり始め、路面もはっきり見えるようになったのでスピードを上げた。例年初日の出を見る場所へ655分に到着できた、間に合った。日の出と自転車の写真を撮る場所を決めた。このとき「今年も来ていますか。今、何処ですか」というメールが届いた。

 昨年スポーツ自転車に乗りはじめたという教え子からのメールだった。私が日の出を見に来るだろうと目星をつけて、自転車で逢いに来てくれたのだ。私の居る場所をメールで伝えた。

 太陽が昇りはじめたちょうどそのとき、1台の自転車が近づいて来た。予期せず合流してくれた新しい自転車乗りとふたりで初日の出を迎えた。午前7時1分、今年が動き始めた。

時間の円環をぬけて
新しい時間が流れる

歳月の紆余曲折を経て
優美な曲線を描きながら
新しい時間が流れる

心は急かれながらも
静寂を楽しみ
やがて来る時を待つ

ようやく出会えた出会い
新しい時間が流れ始める

今年が始まる
今年を始める