私が子どものころ、1月1日は小学校の登校日だった。全校児童が集まって、「年の初めの例とて 終わりなき世のめでたさを 松竹立てて門ごとに 祝う今日こそめでたけれ」という歌を斉唱した。これは『1月1日』という歌で、「いちがついちじつ」とか「いちげついちじつ」というのだと随分後になって知った。
歌詞の二番は「初日の光さしいでて 四方に輝く今朝の空 君が御影に比えつつ 仰ぎ見るこそ尊とけれ」という前時代的なものだ。小学生には意味が皆目わからない。戦後もこんな歌が歌われていたのか。歌詞を考えると斉唱は一番だけだったかもしれない。
元日の登校日には紅白の饅頭が配られた記憶がある。併せてノートを1冊もらった年もあった気がする。親たちが貧しくて忙しい時代、学校が年中行事を執り行ってくれていた、のだろう。
今年も、元旦には年の初めの例として自転車で日の出を見に行った。まさか「君の御影に置き換えて仰ぎ見る」わけではない。ご来光を拝むという信仰心からでもない。朝早く起きられるか。起きたら自転車で寒風の中をまずは15㎞ほど走る気力があるか。気力はあったとして走る体力もあるか。年の初めの「ためし=例」というよりは、年の初めの「試=ためし」、である。
先週は椿大社まで走り、今週は熱田神宮へ行った。初詣というわけではない。これも年の初めの試である。少しずつ距離を伸ばして走るのにちょうど良い目的地なのだ。初日の出往復30㎞、椿大社50㎞、そして熱田神宮85㎞。
「一年の計は元旦にあり」、「今年もいろいろなことに挑戦し、みんなでいい年にしましょう」。小学校の元日の登校日、歴代の校長先生方は全校児童に向けてこんなお話をされたのではなかったか。年の初めに何か試しておきたいという想いは、きっとその当時に刷り込まれたのだ。
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新しい年の初めは どこにあるのか |
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ペダルを踏みだすときが 始めるときだ |
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ペダルを踏みつづければ こんなところまで来る |
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あんなところまで行ける |
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いつとは決めず どことも決めず 走りつづけることだけ 決めておけばいいのだ |
いつも、MARIOさんの教養の深さには感服するばかりです。
返信削除今回の『1月1日の歌』、もうすっかり記憶の彼方へ葬り去られていましたが、このブログのおかげで蘇ってきました。ありがとうございます。
小学生の頃、正月元旦には学校へ登校し、お祝いの歌をうたって紅白まんじゅうをもらい帰ってくるのが、当たり前のことと思っていました。2キロ余りの道のりを、友達同士ワイワイはしゃいで歩くのが楽しかったです。運動会や大きな学校行事があると、ノートをもらっていたので正月もいただいていたと思います。
{とーしのはじめのためしーとてー}先生に教わった通りにうたうけれど意味など思いもせず。恥ずかしながら今になるまで、『試し』だと信じていました。2番まであったのには驚きです。でもこれは全く覚えていないので、たぶん自分の小学校は1番だけうたったのでしょう、ということにしておきます(笑い)。
前回のリアカーのお話といい、MARIOさんの文章はとても上手で引き出しが多く、読み手を飽きさせることがありません。身の回りのことに関心を抱き、調べてみようとする気持ちは、子どもの頃のままだと思います。これは、長生きする原動力かもしれませんね。
さて、私は1月下旬になってもまだ一度も自転車に跨がっていません。体調が万全になるまでは、我慢する毎日です。
いつものことながら、コメントありがとうございます。
返信削除べーえんべーさんの学校も、やはり元日が登校日になっていたのですね。紅白の饅頭も同じだったということですが、これは日本国中同じだったのか気になります。
登校日がいつまで存続していたか、元日の式次第はどんなだったか、調べてみるのも面白そうです。
ときどき自分が子どものころのことを懐かしく思い出します。自転車がその引き金になっていることも多いようです。自転車に乗っていると、ふと思い浮かぶことがあります。
随分むかしのことなので、本当にあった出来事なのか、夢で見た情景なのか判然としないこともありますが、書き残しておくのもいいだろうと思っています。