冬をむかえる

冬をむかえる
'25.1.22 山を見て走る

2025年3月29日土曜日

春に浮かれて

  春は別れる。送って、送られて、学校でも仕事場でも別れる。卒業生を送る。級友と別れる。退職する人や人事異動になる人たちを送る。自分が送られたこともある。 

 春は出会う。迎えて、迎えられて、学校でも仕事場でも出会う。新入生を迎える。新しいクラスメートに出会う。先生に出会う。新入社員が着任し、新しい同僚にも出会う。自分が迎えられる春もあった。

 別れるさみしさと、新しい出会いへの緊張と不安、期待。教員という職業を選んだので仕事場も学校だった。学生時代と同じ気分で春を迎えていた。50年以上も、春は人に別れ、春は人と出会ってきた。

 学校を卒業して、仕事もしなくなって10年ちかくになる。別れや出会いと無縁の春がつづいている。春の別れがさみしいよりも、春の別れがないことがさみしい。出会いがないのはもっとさみしい、はずではあるがそうでもない。

 春に浮かれて、自転車に乗り出す。春の別れや出会いの喪失感は年々薄れる。先週は、またまた椿大社まで走った。走行会の仲間にそのことをメールする。「またかぁ」とか「椿さん好きやなぁ」という返信があるが、行き先はどこでもいいのだ。

 冬の間、自転車で走り出す前には身繕いが要った。ダウンジャケットに手袋、厚手のソックス。ヘルメットに重ねて帽子。マスクに耳当て。

 あたたかくなれば、それがいらない。着の身気のままで外へ飛び出す。自転車のペダルは軽く、乗り心地まで柔らかくなった気がする。気の早いウグイスやヒバリの鳴き声、梅の開花、桜の幹の色づき。道端の土筆、水仙。

 学校を卒業し、仕事を辞し、春に浮かれる気分までなくなるのではないかと心配していた。杞憂だった。大丈夫、春の気分の大転換。自転車が新しい春との出会い方を教えてくれている。

いつ春をむかえればいいのか
決まっているわけではない

どこで春をむかえればいいのか
だれかが決めたわけではない

どうやって春をむかえたらいいか
マニュアルがあるわけでもない

花が咲けば春
風が吹けば春
くしゃみをしても春

別れを忘れ
出会いも忘れて
春に浮かれている

2 件のコメント:

  1. べーえんべー2025年4月3日 15:43

     ブログの表題をぼんやりながめて、『春に浮かれて』ではなく『風に吹かれて』だと思い込んでしまい、若い頃に読んだ五木寛之のエッセイを連想したり、ギターでよく弾いたボブディランを思い出したりしていました。文章を読んでいくうちに何か変だぞ、と思って表題をよく見直したら、『春に浮かれて』とある。MARIOさんから五木寛之やディランのイメージは、少しちがう気がしますよね。

     春は、まさに別れと出会いの季節。私はまだ細々と仕事をしていますので、毎年春になるとこの光景をながめています。悲しくもあり、喜びもある。嬉しくもあり、さみしさもある。いろいろな感情が湧き出て、胸を熱くするのが春でしょうか。  
     
     私が古稀を過ぎてもまだ仕事をしているのは、この職が好きだというのもありますが、引退すると生きている存在価値がなくなり、空っぽの自分だけが残る不安があるからです。
     でもMARIOさんが杞憂だったと仰るように、自転車など新しい生きがいを見つけていけば、これまで以上に楽しい世界が開けてきそうです。人生いつもプラス思考で生きることが、大切ですね。

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  2.  車買取のソコカラのCMで本田圭佑元サッカー選手が言っています。「どんな車にもあるんです。価値が。古くても、動かなくても」。車を人に置き換えても、同じことがいえるのではないでしょうか。歳をとっても、仕事をしなくても、存在価値がなくなることはないと思います。

     私は、仕事を辞めるのがとても嬉しかったです。自分の時間を自分のためにだけ使えるようになるのが楽しみでした。それまで特に趣味もなく、仕事を辞めてやりたいことがあったわけでもありません。何もすることがなければ、家にこもって本を読んだり映画を観たりしていればいいと思っていました。

     たまたま自転車に出会えて日々の潤いにはなっていますが、他のものに出会っていたかもしれません。今後も、夢中になるものが出てこないとは限りません。べーえんべーさんもお仕事をつづけられるも良し、完全に廃業されるも良し、生きている限りは、何かやりたいことが湧いてくるだろうと思いますよ。

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