’26.5.8 一期は夢よ

2022年4月16日土曜日

相棒

  「相棒」というタイトルをつけただけで、もう結論が見えたようなものだ。自転車はおまえの良き相棒だと言いたいのだろう、と簡単に言い当てられそうである。判りきったことを、今更ながらに書くこともないと思うが、書きながら気づくこともある。書き始めたら最後まで書いてみることだ。 

    確かに自転車はなくてはならない相棒である。ちょっと出かける、はるばる出かける、いずれの場合も、自転車が相棒なら存分に楽しむことができる。            
 
 仲間と一緒に自転車で出かけるということになると、彼らは相棒にしている自転車に乗って来る。一緒に走る気のおけない仲間たちが、相棒にしているのはどんな自転車なのかと観察してみるのも面白い。相棒に選んだ自転車とどんな付き合い方をしているのか、興味の湧くところでもある。乗っている自転車を見ると、なるほど、この人はこんな自転車を相棒に選ぶのかと納得できることが多い。自転車の選び方や付き合い方にも人となりが現れる。                                       

 相棒とは、もともと駕篭を担ぐときの相手のことをいう。駕篭を担ぐには前と後ろの担ぎ手の息が合わないとうまくいかない。駕篭に乗せてもらった経験はないが、担ぎ手の呼吸がぴったり合っていれば、高級セダンのように乗り心地がのいいだろう。反対に、担ぎ手の呼吸が合わない駕篭は、バランスの悪い自転車と同じで、妙な振動や揺れが出て、不快に感じるかもしれない。

 テレビドラマ『相棒』は、20年以上もつづく長寿番組である。主人公の杉下右京は、何度か相棒を代えながら、長い間活躍し続けている。よほどいい相棒に恵まれないと、これほど長くは視聴者を引き付けられない。

 名探偵の事件解決には相棒がつきものである。古畑任三郎と大泉真一郎というのもあった。海外のドラマでは、『白バイ野郎ジョン&パンチ』、『刑事スタスキーとハッチ』、それに、『マイアミバイス』のソニーとダブスのコンビも懐かしい。シャーロック・ホームズとワトソン博士という名コンビもある。彼らはお互いにいい相棒に恵まれている。

 相棒を描く物語は、天才肌と常識人、破天荒型と堅実型、もしくはベテランと新米などのコンビが登場し、片方をストーリテラーとして進行していくというのが典型である。相棒同士はお互いに引き立て合い、力を補完する。主人公はもちろん、名脇役の相棒がいないと物語は成立しない。

 自転車の場合、主人公は乗り手なのか自転車なのか判然としないところもある。乗り手が自転車を選ぶとすると、破天荒型や天才型で高性能の自転車は扱いが難しい。かといって、堅実型で常識を超えない自転車では物足りない。現実の相棒選びは難しい。自分の方では気に入って選んでも、自転車に拒絶されて、乗りこなせないということもある。  

相棒と出かける日

相棒とむかえる
あたらしい季節

同じ風の中にいても
想いがすれちがっていたり

同じ場所にいて
同じものを眺めていたり

この先も一緒に進んだり
この先は別れることになったり

道のない道に踏み入る
異を立てるのではなく
通じるものを探したい




2022年4月9日土曜日

静止画と動画

   自転車で出かけると写真を撮る。自転車に乗り始めたころは、走ることに夢中で写真を撮るということはなかった。いろいろな道を走っていると、珍しい光景に行き合うことが増えた。車では通りそうもない道から見る景色が面白い。道そのものにも魅力がある。多分、この道を走ることはもうないかもしれない。今、この場所を写真に残しておこうと思うようになった。

 思わぬ遠くまで自転車で行った。こんなに遠くまで、もう来ることはないかもしれない。来ようと思っても、次には来る体力がないかもしれない。ならば、この場所を自転車と一緒に写真に残しておこう。そう考えるようになって、自転車で出かける時にはカメラを携帯するようになった。

 安物のデジタルカメラで、自転車の置かれた風景を撮影する。本格的に写真を撮るというわけではないので、小型軽量で嵩張らないカメラで充分である。

 行く先々で写真を撮っていると、写真の枚数が増える一方である。写真の整理をしなければならない。そこで、ブログに貼り付けて、残しておこうと思いついた。公開しようと思えば、拙い写真なりに佳いものを選ぶびたい。スマホを持つようになってからは、写真の撮影にも手軽なスマホ内蔵のカメラを使うことになった。

 たいそうな写真の技術があるわけでないし、写真を趣味にするというほどでもない。自転車で出かけた場所の記録と記憶のためなのだ。とはいえ、同じような調子ものばかりでもつまらない。少しずつ変化のある風景と自転車の組合せを考えるようにもなった。

自転車の修理の方法を調べるには、Youtubeなどの動画が便利である。孫たちは、動画で近況を知らせてくれたりもする。動画を見れば、状況は手に取るように判る。音声も加わるので、修理のやり方などは手取り足取り教えてもらっているように具体的である。

ところが、動画は時として冗長で、想像の入り込む余地がない。すべてを説明されることは、成り行きがよく判って良いが、散文的でお節介なところもある。

一葉の写真の方が、ずっと多くを語ることもある。動画が散文だとすると、写真は定型詩だ。カメラが切り取る直前までは想像でしかわからない。その場面のあとがどうなるか、それも見る者の自由な想像にゆだねられる。瞬間を切り取った世界だけがそこにある。

上手く写真を撮影できるわけではないのだけれど、自分の写真は、いかに自転車を映えさせるかというところに主眼がある。初めのころには、二度と来ない場所や通ることのない道の記録と記憶、と思っていた。

最近は、そういう場所に自転車をおくとどうなるか、自転車はどうやってその場にいるか、それを写真におさめようとしている気がする。今、この風景の中におかれた自転車の姿を切り取っておきたいのである。

花は
あっけらかんとして
にぎやかすぎて
おしゃべりがすぎて
さわがしすぎる
ならば私たちは
何も語らずに
遠く近く
静かに花を
ながめていてはどうだろう





花は
はかなげで
うれいをやどし
なにもかたらず
たたずんでいる
ならば私たちは
花のしたで
きのうのことやあすのことなど
語り合うのはどうだろう








2022年4月2日土曜日

天候判断

    子どものころ、明日の天気はそれほど重要ではなかった。学校のある日も休みの日も、朝の起きがけに雨が降っていれば気分が滅入ったし、雪が積もっているとわかればばわくわくすることはあった。それでも、晴れたら晴れたように、雨なら雨、雪なら雪なりに、遊ぶことを考えればよかった。

遠足や運動会の前日だけは、さすがに翌日の天気が気になった。天気予報の精度は今ほど高くなかったように思う。てるてる坊主の効能を信じていたころである。大人たちの天気予報もあまり当てにはならなかった。

 学生時代が過ぎ去っても、教員という学校勤めの職業を選んだので、学校生活は続くことになった。今度は、自分のための天気ではなく、生徒のための天気が気になるようになった。学校行事の前日には、近くの漁業組合に電話して、天気の予想を尋ねたこともある。漁に出る人たちの天気予報は、気象予報士の予報よりも正確だった。

 自転車に乗って遊びに出かけるだけなので、農業や漁業に従事する人ほど気候が切実な問題ではない。物流や交通機関に携わる人ほど深刻でもない。スポーツ選手なども、それが屋内競技ではあっても、天候に影響される要素は多く、何かと気がかりだろう。それに比べれば、大したことではないのだが、やはり天候判断は一大事なのだ。

 幸い、長期の予報も精度は高くなっている。かつては気象学者が研究していた天気予報モデルが使われていて、12日くらい先までは予測ができても、1週間先の予報は正確に出せなかったらしい。地球物理学という分野で、太陽熱や大気の放射、海面や陸面からの蒸発の物理過程を研究し、地球全体の天候を考えることで、長期の天候予測が可能になった。昨年、ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎さんたちの、地球の温暖化に関する地球物理学の成果が、長期の天候予測にも生かされていると聞いた。

 スマホを開けば、雨雲レーダーなどで短期の天気の変化は即座に読み取れる。魚釣りを専らの趣味にしている知人に教えてもらったWindyというアプリを使えば、風の変化もかなり正確に知ることができる。自転車乗りにはありがたい。

 予報が正確になったとはいえ、思いがけない雨雲の発生や、急な風の変化には悩まされることがある。漁師さんのように経験知から予測するのは難しい。10年自転車に乗っていても、天気の変化を予測する勘までは身につかない。

 花の季節を迎え気持ちは騒ぐ。いろいろな人から花見のお誘いをいただく。短い花の見ごろのうちに、誰と何処へ何時出かけるか、自転車の手入れをしながら考える。安全に配慮して雨の日には自転車に乗らない。乗れない日を差し引くと、花の見ごろに出かけられる日は限られる。無理をしてでも出かけたものかと、天候判断には少なからず迷う。予報に反して花見日和に恵まれる日もある。天気予報が外れる方が嬉しいこともある。

天気は気まぐれで
私も気まぐれだから
折り合いがつかない

それでもこうやって
折り合いをつけながら
自転車で出かけるのだ

草履を蹴り上げて天気を占い
てるてる坊主に願いを託し
明日の晴天を待つ

季節と気候が折り合いをつけて
花を咲かせはじめる

今年はどんな花が見られるか
天候判断には覚悟がともなう



2022年3月26日土曜日

ロードスター

  マツダ・ロードスターという車を所有している。二人乗りの小さな車で実用には向かない。面白半分で5年乗ってある中古車を手に入れ10年乗った。初代のNAという型である。今は、第二世代のNB型で2002年式、これも5年落ちの車を買って15年乗っている。都合25年間も乗っていていることになる。

 初めてこの車に興味をもったときには、車名をroadstarだと思っていた。まさか、道路を走るスターというわけでもなかろうと思って、車の後ろに貼られたエンブレムを確かめるとroadsterと綴られている。これは、「道を行く者」という意味らしい。

 そもそも、roadsterは馬車の種類のひとつで、座席は1列で二人乗り、幌なしが原型。自動車の分類にも馬車の類型が使われているようで、同じオープンカーでも、カブリオレとかコンバーチブルというのは、有蓋(屋根付き)が基本。ロードスターは屋根がないのが本来の姿というわけだ。

 オープンカーの爽快感は格別で、乗ってみないと判らない。風をきって走るのはオートバイの感覚に近い。二人乗りで軽量なので、カーブを曲がる軽快さもオートバイに似ている。オートバイのようにヘルメットをかぶる必要はないので、風を近く感じる。そんなわけで、ロードスターを手に入れてからオートバイに乗らなくなった。自転車に乗り始めたということも、オートバイに乗らなくなった理由の一つである。

 自転車について書かれた、小池一介著『華麗なる双輪主義(スタイルのある自転車生活)』(東京書籍,2002)という本の中に、「Roadster Bicycle」が紹介されている。自転車にもロードスターと呼ばれるものがあるのだ。

 早速、ロードスター型の自転車について調べてみる。「ロードスター(Roadster)とはかつてイギリスにおいてよく見られた自転車の形式で、現在では全世界にまで普及しており日本でも実用車、軽快車といった一般用自転車の原形となった」「現代的な量産体制で作られた初めての自転車といわれ、イギリスはもとよりアメリカにも輸出された。ラレー(Raleigh Bicycle Company)やバーミンガム・スモール・アームズ(BSA)が大量生産し」「現在のヨーロッパで自転車の利用の多いオランダ、ドイツの都市部などで見られる程度」(以上Wikipediaより引用)

 二人乗りの無蓋馬車roadsterは現代の自動車に形を変え、我が家にはマツダ・ロードスタ―として収まっている。自転車に姿を変えたroadsterは英国のラレー社で生産された。ライセンス生産で日本の新家産業が製造した、「ラレー・カールトン・ビンテージ」というモデルは、私が愛用しているロードバイクだ。

 1980年代、ロンドンの日本人学校に勤務していたころ、街角にはroadster型の自転車が無造作に立てかけられていたかもしれない。Roadsterとの縁は、その頃から今に続いている。

実用には向かないが
走りが面白そうなので
安い中古車を手に入れた
(ユーノス・ロードスター NA6 1992年式)

走りが面白いので
同じ車の新しい型を
中古で手に入れた
(マツダ・ロードスター NB6 2002年式)

幌が劣化して破れたので
今年になって幌を取り換えた
赤い幌のおかげで
新車にもどったようだ

自転車にもロードスターがあった
(『華麗なる双輪主義』の挿絵より)

そういえば、同じような自転車を
ロンドンの街中で見かけたことがある
(1988年当時住んでいた家の近くで撮影)

愛用している自転車
ラレー・カールトン・ビンテージ
Roadster BicycleのDNAを受け継いでいるか
ラレー社はロードスター・バイクの老舗



2022年3月19日土曜日

芥川賞の自転車

    166回令和3年下半期芥川賞には砂川文次氏の『ブラックボックス』が選ばれた。毎回の受賞作品は全文が雑誌『文藝春秋』に掲載される。上半期の受賞作は9月号、下半期の作品は3月号で読める。受賞作の単行本は、2000円前後はするだろうから、1000円の雑誌で読めるのはお得だ。受賞者が複数あっても、すべて『文藝春秋』で読めるのは、菊池寛が創刊したこの雑誌の良心である。

 受賞作には、自分の子どもたちか、もっと若いような人の書いた純文学小説が多い。古い者には理解が難しいところがあるが、現今の文学的傾向を知るためにも読んでおきたい。

 今回の受賞作『ブラックボックス』の主人公サクマは自転車でメッセンジャー(書類配送)をしている若者である。日々の生活の中の、抑えきれない暴力的エネルギーの発露から、傷害事件を起こし、刑務所に収監される。その刑務所で、またしても暴力沙汰に及ぶ。そんな自分を自分が観ている。ごくかいつまんでいえば、そんなストーリーである。

 話の前段、サクマが自転車便の配達人として街中を走る描写が続く。芥川賞選者の評には、「主人公の肉体感覚がベタなリアリズムで畳みかけられる」とか「伝統に依ったリアリズムへの徹底」、「端正に推敲された文体」という言葉がみられるが、自転車に乗る者としては、そのリアルで細かいはずの描写に「ん?」と引っかかる。

 サクマが信号をすり抜けようと加速する場面。「身体を左右に振って回転数ケイデンスを上げる(略)雨音を縫うようにしてラチェットの音が聞こえる

 ペダルを踏んでいるときには、ラチェットの音は聞こえないはずだ。これはペダルを踏むのをやめて後輪が空回りをしているときに、車軸の爪が鳴る音だ。「回転数」にケイデンスとルビがふってある。これもあざとい気がする。 

さらにスピードを上げる場面。「シフトレバーはブレーキと一体型のものだったから、中指と薬指で以てこれを左側に弾くようにして1ノッチ上げる。変速機(リアディレーラー)からBB(ビービー)、クランク、シューズ、脚という順を経て負荷が増した…

   シフトアップには、内側の小さいレバーを操作するので、人差し指1本か、人差し指と中指を使う。薬指までは使わない。ギアを上げ実際に負荷がかかるのは、後ろのギア(リアスプロケット)、チェーン、クランクギアから脚というのがリアルな「肉体感覚」のように思える。変速機やBBというそれらしい用語が使いたかったのか。

 他にも、事故に遭いそうになって、自転車を壊す場面では「フロントディレーラーからチェーンが脱落している」とあるが、チェーンがディレーラから外れることはない。脱落するとすればフロントギアからである。 

 細かい表現が気になっただけで、受賞作のテーマとはさほど関係のないことかもしれない。作者も選者も気にしていないようだが、自転車乗りがこの作品を読むときには、こんなところに着目しながら読むという読み方もある。

季節を経て
朽ちていくもの

季節を得て
花開こうとするもの

季節の中に
置き去さられるもの

季節の中で
咲き誇るもの

いつの季節にも
湛えられつづけるもの

あたたかい日向で休んでいたが
今日はこの季節初めて
涼しい陰を探して休んだ


2022年3月12日土曜日

英式・仏式・アメリカン

   何の形式かというと、自転車のタイヤに空気を入れる口金、バルブのことである。英式と仏式に加えて米式というのもある。アメリカンと書いたのは、語呂がいいからで他意はない。英式の発明が1888年、米式が1891年。仏式が最も新しく1900年のお目見えである。いずれも100年以上の歴史をもつ。普通に自転車を使っている限り、あまりこだわることでもない。

    一般の実用車、ママチャリと呼んでいる自転車にはほとんど英式が使われている。虫ゴムという部品を使って、口金から空気が漏れるのを防ぐ。パンクかと思いきや、この虫ゴムが劣化していて、空気漏れを起こしているということはよく経験する。虫ゴムという妙な言い方が、案外に耳になじんでいる。

 米式は、自動車やオートバイに使われている。まれに、マウンテンバイクの太いチューブにも採用されることがある。扱いが簡単で、空気漏れが少ない。但し、あまり高圧の空気には耐えられない。作りが武骨で太いタイヤにはいいが、スポーツバイクには大きすぎる。

 さて、仏式。これが、スポーツバイクに乗り始めると出会う代物で、一般にはなじみが薄い。口金は細くて繊細。空気を入れる時には、コア(弁を開け閉めする芯)の先端のネジを緩める必要がある。空気を充填したあとには、そのネジを締め、弁をしっかりと塞ぐ。

 このバルブは、高圧に耐え、しかも細くて軽量なので、スポーツバイクの細いチューブに最適である。何しろ、スポーツバイクのタイヤには、自動車のタイヤの3倍、一般の自転車の2倍以上の高圧の空気を充填する。しかも、タイヤの幅は自動車の10分の1程度である。

 下手な文章で説明していないで、図を描けば一目瞭然であるが、そこはそれ、文章修行、表現の練習なのでご容赦いただきたい。

 英式・仏式・米式とそれぞれの特徴を書いていて、はて、和式というのは見当たらない。我が同胞が考案してくれたならば、3種類のいいとこ取りをして、丈夫で繊細、軽くて精密なものができるように思う。今のところそういうものは見当たらない。いずれ、画期的なエア・バルブが登場するかもしれない。

 自転車の変速機となると話は別で、和式の独り勝ちだ。日本で考案されたものが世界中で作られる自転車に使われている。「株式会社シマノ(SHIMANO INC.)」が製造する変速機は、ごく廉価な自転車から100万円を超える高級スポーツバイクにまで使われる。まれに、スラムやカンパニョーロというメーカーの変速機もあるが、日本ではごく限られている。 

   チューブに空気を入れるためのエア・バルブには和式がないが、さらに複雑で精緻な動きを求められる変速機は和式が独壇場なのだ。自転車の性能を左右する重要機材に和式が用いられていることは、誇らしくもあり安心でもある。


樹の幹に春の力が宿りはじめる
この樹は何回冬を越したのだろう

樹の枝に春が芽吹きはじめる
新しい季節の予感に浮き立つ

樹は根を伸ばしながら
地中にある春を探しあてる

それぞれの樹はそれぞれのやり方で
季節を脱ぎ、季節を着る

樹には樹の生い立ちと生きざま



2022年3月5日土曜日

早春賦

 吉丸一昌作詞、中田章作曲の『早春賦』鮫島有美子、芹洋子、斎藤昌子、他にもダークダックスや由紀さおりと安田洋子姉妹などの、多くの歌唱がYouTubeで視聴できる。

春は名のみの 風の寒さや /  谷のうぐいす 歌は思えど / 時にあらずと 声もたてず / 時にあらずと 声もたてず 

早春の自転車の世界は、この歌にぴったりかさなる。春とは名ばかりで、風は冷たい。そろそろ温かくなるだろうと期待はしているが、まだ冬装束のままだ。手套も冬用の分厚いものを使っている。

 里山を走れば、うぐいすの初鳴きにであう。キョ、キョと鳴いているだけで、きれいな旋律にはならない。発声練習なのだろう。ときなお早いというところだ。それでも、うぐいすはまったく声をたてないわけではない。健気に初鳴きを始めている。

 「春は名のみ」というのが、子どものころには判らずに、「菜の実」かと思っていたが意味が通じない。「和み(なごみ)」と聞き違えているのではないか思っても、和むはずなのに、風が冷たいとはこれ如何に。のちに「名前ばかりの」という意味と判って納得がいった。 

氷融け去り 葦はつのぐむ / さては時ぞと 思うあやにく / 今日も昨日も 雪の空 / 今日も昨日も 雪の空

 川辺を走れば、葦は芽吹き始め、下草も青くなりかけている。気の早いスイセンが咲き、桜のつぼみがうすく色づく。いよいよ自転車の季節の到来と思いきや、雪が時雨れ、霙が降ることもある。すぐにも温かくなると思っていたが、そう簡単に春は来ない。意味が解らず「葦は角ぐむ」を「足をどう組むのか」とか、「あやにく」とは、「やわらかい肉か何か」だとか思っていたこともあった。生憎(あいにく)ならば合点がいく。

 春と聞かねば / 知らでありしを / 聞けばせかるる 胸の思いを / いかにせよとの この頃か / いかにせよとの この頃か 

 春と聞くだけで、温かくなればどこへ行こうか、誰と一緒に走ろうかと、思いは巡る。何とも気の早いことである。はやる気持を抑えて、寒さの中を走る。子どもころには、3番の歌詞は完全にお手上げだった。春を待つ歌なのだろうという気分はわかるが、歌の意味には歯が立たない。誰も歌詞の解説はしてくれなかった。美しい歌の響きだけを聴いていたのかもしれない。

 ありきたりのいい方ではあるが、自転車に乗って野へ山へ、川へ海へ、出かけることがなければ、『早春賦』は記憶の彼方へ押しやられて、思い出すこともないだろう。今になって、懐かしい『早春賦』的早春を改めて感じるのは、自転車があればこそである。

山に向かう現実
地上は混沌としていて
ときに道を失う

山に憧れづづけ
春を待ちづづける

うぐいすの初音がみなもをわたる
私の大切な場所を奪うな
私の大切な人を奪うな

この美しいふるさとを奪うな
ふるさとの人を奪うな

地上にあまねく
春が来るのを待つ
遠い国に
春が届くのを待つ
春の光明を待つ