’26.5.8 一期は夢よ

2024年11月16日土曜日

束の間の対話

 後ろから自転車で来た人に、不意に話しかけられることがある。追い抜くときに、声をかけたくなるときもある。

 以前、名古屋城の近くで自転車で並びかかった若者に声をかけられた.。

 「ラレーですね。僕もそれ買いたいんですよ。いいですね」(私の乗っている自転車の車名がラレー)。私が、「脚力がないので、乗りこなせていないですよ」と答えると、 「いやー、いいですよ。気をつけて行ってください」と抜き去っていった。自転車を見てくれる人がいてうれしい。

 仲の良さそうな兄弟と思われる小学生が二人、辺鄙な山の中の道を走っている。家からはだいぶ走ってきたと思われる。後ろから声をかけた。

 「ぼくたち、ちょっと追い越すよ。どこから来たの?」。「〇〇から…」よく聞き取れない。答え方もおぼつかない。「こんなところまできて大丈夫か、帰れるか?」ちょっと心配になって訊いてみる。「もう帰るとこ。ちゃんと帰るよ」と兄らしい子が答えてくれた。安心した。

 何度か、町内のミニコミ紙に自転車の写真と小文を投稿したことがある。それを読んでくれているらしい人が、自転車で後ろから追いついて話しかけてくれた。

 「その自転車って、グッドニュース新聞に毎月出ている自転車ですか」。ちょっと驚いた。「はい、新聞読んでもらってますか」と返事をすると、横に並びかかって、「記事に出ている写真の場所を探して走ってますよ。いいところがいっぱいありますね」と答えてくれた。どこかでつながっていたかと思うとたのしい。

 やんちゃそうな中学生らしき4人組が、堤防道路をふらふらと道幅いっぱいになって並進している。

 後から追いついて、「お兄ちゃんたち、ちょっと通してくれるか?」と声をかける。「だれじゃ?」と言いたげに振り向く。意外にも、「はい、どうぞ」と慌てて道をあけてくれた。追い抜きざまに、「今日は学校楽しかったか?」と声をかけた。「楽しかったですよぉ」、「めっちゃ、最高でしたぁ」と口々に答えてくれた。追い抜いてしまうと、後ろの方から「がんばって走ってくださ~い」という声が聞こえた。励まされた。

 束の間の対話に気持ちが弾む。続きを走りながら、ことばのやり取りを何度も反芻する。

日がな一日
通り過ぎる人を
眺めている
 
きのうここで
道をきかれた

今日はここで
道をたずねる

もう二度とは
会えない出会い

通りすがりに
声をかけてみる

2024年11月9日土曜日

自転車の列車

  自転車を持ち込んで乗る電車のことではない。自転車を連ねて走ることを「列車」という。お揃いのユニフォームを着て、何台かの自転車が縦に連なって颯爽と走っているのをときたま見かける。それが「列車」である。

 ロードレースやトラックレースでは当たり前のシーンである。車間はほとんどない。電車の車輛のように一直線につながって整然と走る。きれいに揃ってコーナを抜ける。

 自転車を連ねて走るには訳がある。空気の抵抗を減らすためだ。自転車の受ける抵抗のほとんどは空気によるものらしい。列車のようにつながって走ることで、後続車の空気抵抗を減らすことができる。

 前を走る自転車の真後ろにつくと空気抵抗は、速度にもよるが、7割から6割に減るらしい。ときどき先頭を入れ替われば、集団全体のエネルギーの節約につながる。E-bikeに乗る知人と一緒に走るときに、ぴったり後ろにつかせてもらうと、ペダルを踏む力が半分で済むように感じる。風よけシェルターに入っているようなものだ。

 さて、我らが走行会。いつも4台の自転車を連ねて走るが、「列車」を組むほどの技量はない。十分な車間をとらずに走るのは危険である。車間は大きくても、強い向かい風のときは、前を行く人が風よけをしてくれると多少は楽になる。

 「列車」を組んで走りに徹することはなくても、仲間で走るのは楽しい。走りながら会話に夢中になると、つい並進してしまうことがあるので要注意だ。「列車」よりも危険だ。

 集団で走るときは、先頭と最後尾の者は何かと気を使う。先頭はコースを考えながらペースを保ち、後続の人にも気を配る。しんがりは、前を走る人の様子をうかがいながら、後ろから迫る自動車などにも注意をはらい警告する。「列車」を組まなくても、列車の車掌と運転手のような役割分担が必要だ。

毎年この1日だけ
いなべの山中を
超特急列車が走る

あまりの速さに
応援が追い付かない

ご近所のE-bike仲間と
走るのはローカル列車

E-bikeに風よけに
なってもらう
牽引車輛が心強い

いつもの走行会は
各駅停車の普通列車

運転手は君か
車掌はぼくか

2024年11月2日土曜日

その自転車運転 ご注意

 「その自転車運転 ご注意」。朝日新聞10月30日の記事の見出しである。「改正道路交通法が11月1日に施行され、自転車の危険な行為が厳罰化される。酒気帯び運転が罰則付きの違反となり、スマートフォンを使いながらの運転する『ながら運転』の罰則は強化される」と本文が続く。

 スマホを操作しながらの自転車による事故が各地で起きている、酒気帯び運転が原因で死者が出た自転車の事故は過去5年で102件もある、と記事は伝えている。自転車といえども危険な運転をすると重大な事故につながる。

 スマートフォンを操作しながらの運転は道交法の禁止事項になっていなかった。飲酒運転については、これまで正常に運転のできない「酒酔い運転」のみが罰則の対象で、酒気帯び運転には罰則がなかった。それらが厳罰に処せられる。罰則のあるなしや軽重は問わず、危ないことはしないというマナーと防衛本能の問題だと思うが、それだけでは徹底しない。

 年齢とともに用心深くなって、危ないことは避けようと思うようになったが、若い頃は無鉄砲なこともやっていた。自分が今も若いままなら、自転車に乗りながらスマホを操作することくらいは平気でやるだろう。罰則よりも、先ずは分別をつけることだ。

 自動車の飲酒運転は厳罰があるが、自転車なら大丈夫。飲み会があるので自動車ではなく自転車で出かけるという安易な発想もあるだろう。言い方は悪いが、自分が事故を起こすだけなら自業自得だ。それですめばいいが、人様を巻き込むようだと申し開きできない。

 機能満載のスマートフォンなら、歩いたり自転車に乗ったりするときは、自動的に電源が入らないようにできないものか。酒気帯び防止装置も自動車にはあるらしい。とはいえ、罰則の強化や防止装置に頼らなければならないのはさみしい。自転車というこの上もなく便利で楽しい乗り物が、罰則などとは無縁であればいいと願う。 

きのうまでは
これで善いと思っていた

きょうからは
こうしなさいと言われた

あすからは
どうしたら
いいのだろう

ほんとうに善いことは
ずっと前から善いことだった

ほんとうに善いことは
これから先もずっと善いことだ

2024年10月26日土曜日

60歳からはじめる…

  『60歳からはじめる趣味の自転車』(2024, 辰巳出版)という本を買った。「ゼロからでもリターンでも走り出すならいま!」という副題がついている。表紙をめくると、「冒険するのに年齢なんて関係ない、自転車と一緒なら。」と、自転車に乗ることをあおっている。

 自分に当てはめると、スポーツ自転車に乗り始めたのがちょうど60歳のときだった。ゼロからのスタートではあったが、幼稚園児のころから高校生時代まで自転車に乗っていたのでリターン組ともいえる。

 72歳にもなって、いまさら『60歳からはじめる…』でもないと思いながら、これまでの振り返りをするにはちょうど良いと思って読んだ。

 「趣味として楽しむ自転車とは?」「自分にぴったりの自転車ライフをはじめよう!」という記事がある。「身体の健康と自転車の健康」といったお役立ち情報がある。「ジャンル別スポーツ自転車カタログ」も載っている。よく似た記事をどこかで読んだ覚えがある。

 それもそのはず、『60歳からが楽しい自転車趣味人』(2020,  辰巳出版)という本を4年前に買っていた。このときは「年齢不問 自転車に乗ってもっと元気にアクティブに!」という副題にあおられた。記事の内容に重複が多い。紛らわしいタイトルの二番煎じの本を出すな、辰巳出版。

 そういいたいところだが、読み比べると4年間の変遷がうかがえる。紹介されている自転車のブレーキはディスクブレーキが主流になっている。小径車が大きく取り上げられているのは、60歳以上のライダーに小径車の愛好家が増えているからか。4年前には新顔だったE-bikeの記事が幅をきかせているのも新しい。

 雑誌と単行本を合わせたムック本(magazine+book=mook)は、写真や図説が多くて読みやすい。よく時代を反映している。世の自転車愛好家の動向を知るにはちょうどよい。60歳からの自転車とのつき合い方を振り返り、自転車に乗る気をあおられた。

何歳からはじめると
限ったことでもないだろう

今からはじめる

ここでおわる

どこからはじめても
はじめるときが今

どこでおわっても
おわったときが今


2024年10月19日土曜日

うまくいかない日

  いつも、何でも、うまくいくとは限らない。先週の木曜日に遠出をしようと思って家を出た。目的地は走り出してから決める。しばらく走って、岐阜羽島方面へ行こうと決めた。揖斐川沿いに50㎞走って折り返せば100㎞は走れる。幸い天気は上々。

 木曽三川公園の長良川大橋を渡り、長良川と木曽川の間の背割堤を北上することした。「馬の背」と呼ばれるこの堤防は、自転車には最適だ。堤防を走ったあとは、羽島田園街道をまっすぐに北上すればよい。

 ところが、除草作業中で堤防が通れない。予定が狂う。やむを得ず、立田大橋を渡り木曽川の左岸堤を北へとる。かなり走ったところで、護岸工事のためにまたしても通行止め。堤防からすぐには降りられないので同じ道を引き返す。大きなロスタイムになった。

 家から30㎞走った東海大橋東詰のコンビニで初めての休憩をした。ここで高性能の自転車に乗る中年の男性に声をかけられた。自転車の話から始まって、車、オートバイと話題が広がる。私が元中学の教員だと明かしたら、その人の中学時代の思い出話が始まり、仕事のことから人生哲学。延々とその人の話を聞くことになった。

 話が面白いので1時間近く聞いていた。その間も走っていれば20㎞は先へ行けたはずだ。羽島まで行くのは厳しくなった。予定のコースを変えて、馬飼大橋から南濃大橋を渡り、お千代保稲荷へ向かう。

 そこで昼食にしようと思って、現金を全く持っていないことに気がついた。スマホのアプリで支払いをするので、途中で困ることはなかった。名物の串カツを店先で立ち食いするには現金がいる。諦めるしかない。

 朝から当てが外れっ放しだ。最初に考えた進路が消えた。選び直した進路は閉ざされた。さらに回り道をしたら、今度は思わぬ時間を費やした。コース変更の末に辿り着いた場所では昼食にもありつけない。

 やることなすことうまくいかない日もある。むしろそんな日が多い。思い通りにいかないからこそ面白いと考えれば気が楽である。

きのうは
あしたになったら
うまくいくだろうと思っていた

きょうになっても
あしたになったら
うまくいくだろうと思っている

あしたになっても
あしたはうまくいくだろうと
思っているだろうか

いつかは
思いどおりの日が
くるのだろうか

きょうもあしたもその先も
うまくいかないままでも
それはそれでいい

2024年10月12日土曜日

倹約か浪費か

  珍しく長い時間本屋で立ち読みをした。「立ち読み」といっても通じるかどうか。今や死語と化しているかもしれない。目星をつけてネットで本を注文することが多い。立ち読みはほとんどしなくなった。

本屋に足しげく通ったころは、面白そうな本を見つけると、今は読まないかもしれないが、いずれ読むだろうと思って何冊もまとめて買った。

 先日、立ち読みしたときも、面白そうな本を数冊見つけた。倹約のために1冊だけに絞って買おうと思った。どの1冊にしたものかと迷った。挙句の果てに、1冊も買わずに帰った。迷ったら全部買っていたときもあったのに、迷ったので1冊も買わずに帰って来た。

 倹約を理由に、いつか読もうという前向きの発想が、読まないかもしれないという後ろ向きな発想に変わっている。大げさにいえば、広がりかけていた新しい世界の扉を閉じてしまった。

 自転車の部品選びをしていても、同じようなことがある。消耗部品のタイヤやチェーンは定期的に交換する。ちょっとグレードの高いものを使ってみようかと迷う。迷った末に、今までと同じもので我慢する。倹約のために、むしろグレードの低いものを選んだり、交換を先延ばしにしたりということさえある。

 古いクロスバイクのハンドルを交換するときにも迷った。今のままで充分。走りに支障があるわけでもない。ハンドルを換えれば、他にも部品が必要になる。限られた年金での生活に浪費は禁物。ともすると、諦めが先に立ち、気持ちは後向きになる。

 ハンドル1本で古いバイクが蘇えった。また遠くまで走ってみようという気にもなる。倹約にこだわり過ぎて、読みたい本を読まなかったり、試したい自転車の部品を諦めたりすることが、世界を閉ざし使える物を閉じ込め、見えない浪費になっている。

これは倹約のために

これは浪費をしないために

理由をみつけて
見ようとしない

言い訳を探して
行こうとしない

倹約や浪費はちょっと忘れて
今のその先へ踏み出してみる





2024年10月5日土曜日

ハンドル沼

  たかが自転車のハンドルである。実用自転車であれば、新しく買ってから乗らなくなるまで、ハンドルを交換することなど考えもしないだろう。初めて乗ったときにハンドルのイメージは固まり、色も形もそんなものだと思いこむ。

 ハンドルとは舵取りをするものだと思っていた。スポーツ自転車に乗って、それだけではないことに気がついた。方向を変えるというよりも、身体を支え、バランスを取り、ときには危機を回避する大事な装置なのだ。

 速く走ろう、遠くまで走ろうと思うと、ハンドルの形が大いに影響する。ハンドルの形が変わると、乗車姿勢が変わる。姿勢が変わればペダルの踏み具合も変化する。舗装路を走るか不整地や山道に乗り入れようとするかでも、ふさわしいハンドルの形は変わってくる。

 写真や映画に登場する自転車を見ていると、お洒落なハンドルが自転車のスタイルを引き立てている。ハンドルに巻かれたバーテープやグリップの色使い、ハンドルの形は自転車の顔だ。その自転車がどんな使われ方をしているかまで判る気がする。

 少し前に、クロスバイクのハンドルを交換した。ノースロードバーという珍しい形のハンドルだ。ハンドルを換えたら、グリップの位置が低くなって乗りにくい。ハンドルを支えるステムという部品でハンドルの角度と高さを変え調整を繰り返した。

 サドルの前後の位置や角度も少し走っては変えてみる。一番しっくりするポジションを探す。速く走ることよりも、長距離を乗っても疲れが少ない自転車にしたい。

 もっと違った形のハンドルの方がいいのではないかと迷いが出る。ハンドルのお値段、千円ちょっとくらいのものから、何と1本10万円を超えるものまで。形に色にお値段に、それに加えて取付け位置まで、迷いはじめればきりがない。たかがハンドルではすまされない。ずぶずぶと深みにはまる。これがハンドル沼と呼ばれる底なし沼か。

色、形、手触り
デザインと機能の合意

幅、高さ、角度、
乗りやすさと位置の同意

走って、止まって、調整し
調整したら、走って、止まる

今年は遅れて来た曼殊沙華

ハンドルの先に赤い道