’26.5.8 一期は夢よ

2026年9月26日土曜日

朝マック

  積年の悲願といえば大げさだが、この夏は朝早く起きて、涼しいうちに自転車に乗れた。雨が降らない日はほぼ毎朝走った。

 典型的な早朝ライドのコースが三つある。一つは、鈴鹿市の椿大社方面。家から最短で25㎞ほどの椿大社で折り返す。帰路を半分ほど走ると、「マクドナルド菰野湯の山街道店」がある。家まではあと10㎞ほど走ればよい。

 この店を通過するのは、小腹がすくころだ。朝マックというモーニングメニューはお手軽で、時間もかからない。朝マックをしても、涼しいうちに家に帰れる。楽勝だ。

 早朝ライドのコースの二つ目は、北勢町から藤原町へ緩い登りのコースを走る。家から20㎞ほど走って折り返す。そしてやはり、帰路の半分あたりにさしかかると、そこには「マクドナルドいなべ北勢店」。家まで残すところ10㎞ほどなので、ここでも朝マック。

 三つ目のコースにも同じような距離にまさかのマクド。多度から揖斐川沿いに下り、桑名の市街までほぼ30㎞。もう10㎞少しで我が家というところに、「マクドナルド桑名並木通り店」があるのです。

 うまい具合にコースの途中にマクドの店があるのか。店があるのでそういうコースを選ぶことになるのか。早朝の清んだ風をきって走るだけでも楽しいが、別の楽しみと期待があってもいい。

 どの方向へ走っても、家を出て2~2.5時間、走行距離にして30~40㎞。昼ごはんには間があるし、ここらで軽く朝マック。ハンバーガーとコーヒー1杯。マクドナルドの宣伝ではないが、位置もタイミングもいうことなしなのだ。

 ただし、どのコースを走っても朝マック、と喜んでばかりもいられない。血糖値が高めということもあって、間食をやめ夜食をやめた。健康的な夏。早朝ライドができた。ではあるが、行き着いた先が朝マック常習。ということになると、必ずしも健康的とはいえないか。


乗ることは
移動することを
意味する

乗ることは
楽しむことと同義語で
期待することにも通じる


動詞「乗る」は
動詞「食べる」を
内包する

乗ることが
朝マックを
包摂している

2026年9月19日土曜日

見つけました

  こんなアルバムがあることも忘れていた。物置の古い本をまとめた棚で、背表紙が色あせたアルバムが目にとまった。開いてみると空白のページが多い。数枚の白黒写真だけがフォトコーナーシールで留められて残っている。その中に、自転車に乗っている中学生の写真があった。

 中学校の通学に使っていたのはどんな自転車だったか。どこかに写真が残っていないか。ブログに自転車のことを書き始めたころから気になっていた。

 当時の自転車の写真がどこにもない。写真を撮るのは特別な日で、日常を写すことなどほとんどなかった時代だ。通学風景や通学用自転車を写真に残すことはなかったのだろう。それを何と、見つけました。

 一枚は未舗装の道路を走る中学生の自分。もう一枚は遅れた友だちでも待つらしく、後ろを振り返っている4人グループの写真だ。どこかへ連れ立って遊びに行く途中か。あの頃はどこへ行くにも学生服を着ていた。撮影場所は、開通前の北伊勢有料道路(昭和40年~48年まで営業)のようだ。

 2枚の写真の自転車をAIに鑑定してもらった。

「ダウンチューブのデカールに「FUJI CYCLE」(日米富士自転車)のロゴが確認できる。

 年代の目安は昭和30年代後半〜昭和40年代前半。当時「軽快車(スポーツ軽快車)」や「実用軽快車」と呼ばれたモデル。

学帽と詰襟(学生服)を着用した学生さんが乗られている様子から、当時の通学・普段使い用の上位モデルとして非常に人気のあったスタイリッシュな実用軽快車。当時の価格は2万円〜3万円で、現在の感覚なら約 20万〜30万円相当の高価な製品」

AIは詳細に教えてくれたが、ごく一部だけを引用した。鑑定結果と記憶の中の自転車やその時代はぴったり符合する。写真を眺めていると、モノクロームの写真に色までが浮かび上がってくる。

 一緒に写っているのは、ただし君とみのちゃん、顔が見えないのは古田君だろうな。


アルバムのページから
はがされた写真たちが
記憶を断ち切っている




時間をさかのぼっても
この日のこの場所へ
戻れるとは限らない

振り返って待っているのは
来るはずで来るはずもない
ゴドーだろうか

明日は来るというゴドーを
もうかれこれ60年も
待ちつづけている


2026年9月12日土曜日

新車の愛称

  ボンボンドロップシール、ボンドロのブームはまだまだ続いているようだ。立体的なシールを集めてシール帳に整理する。友だちと交換して楽しむ。子どもから大人まで大人気らしい。

 小学4年生になる孫が、ご多分に漏れずシールを大量に集めている。「同じようなものばかり買って、お小遣いの無駄遣いじゃないのか」といったら、「じいちゃんは同じような自転車ばっかり集めて、それってもっと無駄遣いやないの」ときた。一本取られました。

 孫の言う通り。自分では何台も自転車を持つ意味、価値、それに希望さえ認めているつもりでも、人から見れば同じような自転車。

 遠出をする前日。近場を走る朝。さて、どの自転車に乗ろうかと考える。自転車の愛称は決めてないので、ラレーにするかアンカーにするかとメーカー名を思い浮かべて乗る自転車を決める。

 新しく買った白い自転車は、14年前に買った黒い自転車と同じラレーというメーカー製なので、「ラレー」に乗る、というのでは区別がつかない。ラレー1、ラレー2では色気がない。黒ラレー、白ラレーもあんまりだ。愛車に愛称をつけるか。すぐに思いつくのはラーとレーくらいだ。

 大量のシールを集めている孫は、その一つひとつをいつ買ったものか、誰と交換したものか、実によく覚えている。それに比べれば、たった4台の自転車くらい、性能も走りの特徴も身体が覚えているのが当たり前。愛称などなくても、イメージだけで自転車を識別したい。

2年前に自転車を整備できる場所を整えた。そこを自転車小屋とか自転車部屋と呼んでいる。愛称を考えるなら新車よりこちらが先だ。妻の自転車も含めれば生産中止になったラレー製の自転車が3台もある。ラレーのオマージュとして、「羅麗庵」と愛称するのはどうだろう。


愛称は都合よく擬人化する
人格化し神格化さえする

友人の仲間の相棒の契り
親和の連帯の信頼の証し

愛称を探して
笑顔で近づき
甘言を弄する

愛称は省略し
限定して
所有する















2026年9月5日土曜日

新車レポート

  新しい自転車はこれまでのものより少しサイズが小さい。自転車の寸法を決める一つの目安はサドルの下からクランク軸までのパイプ(シートチューブ)の長さによる。新しい自転車のシートチューブの長さは450㎜。もう50㎜長いフレームの方がバランスがいい。自転車のシルエットが美しく見える。

 どちらのサイズにするか迷った。無理をして大きなサイズのものにすると、取り回しが良くない。歳も歳だし、形よりも乗りやすさを優先して小さいサイズを選んだ。

 通販で買って送られてきた自転車は、あらかじめ身長を伝えていたので、ほぼぴったり身体にフィットするように組まれていた。同じくらいの身長の人が跨って調整してくれたのか。身長による基準値があるのだろうか。 

 ハンドルとサドルの位置関係などは申し分ないが、取り付けが少し歪んで中心からずれていた。変速が滑らかさに欠けるのも気になった。微調整をした。自分でも少しは手を加えてみたくなる。

 猛暑つづきで長距離を走る機会はまだない。少しずつ走り具合を確かめながら、2ヵ月で1000㎞ほど走った。ちょっと遠くまで出かけたといえば椿大社から四日市へ回った65㎞、木曽三川を渡って名古屋港方面まで走った80㎞くらいである。

 小さいと思ったフレームが、乗ってみると自分にはよく合っている。緒元表で確認してあったが、クランクがこれまでの自転車に較べると短い。クランクギアも小さい。後ろのギアは歯数が多いものがついていて、登り坂では楽ができる。椿大社までのだらだらと登りのつづくコースでは負担が少ない。

 新しい自転車選びは間違いではなかった。難をいえば、クロモリのフレームなのに思っていたより振動が伝わることだ。タイヤの交換や空気圧の調整などで改善できるか確かめてみたい。まだまだ、お付き合いの浅い自転車。双方の歩み寄りが必要なのだろう。



静謐を背景にして
今日一日を始める

翼のついた
自転車を
見つけたら

神々の庭も
自在に翔ける

白い自転車と出会った夏
太陽神ヘリオスと走った