冬をむかえる

冬をむかえる
'25.1.22 山を見て走る

2020年11月21日土曜日

川原で遊ぶ

  家の近くを員弁川が流れている。この川の延長は37㎞ということになっているので、我が家の辺りはちょうど中間の水域ということになる。常套手段ではあるが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で「員弁川」を引く。

鈴鹿山脈の御池岳北麓に発し、いなべ市・東員町・桑名市などを概ね南東に流れ伊勢湾に注ぐ。員弁川水系全体の河川数は34におよぶ。支流の相場川には灌漑目的のダムがある。本流の員弁川取水口より年平均190m3が相場川の中里ダムを経由し三重用水へ流れている。

河口付近の桑名市・朝日町周辺では「町屋川」と俗称される。これは、かつては現在の近鉄益生駅周辺の町中を流れていた名残だと言われている。川の付け替えによって現在の場所に流れるようになった。鮎・アマゴなどが放流され、他にも70種類以上の川魚が確認されている。川釣りが盛んであり、桑員河川漁業協同組合で遊漁証が発行されている。

 東員町北大社-南大社間にかかる大社橋の真下付近で猪名部神社にて春に催される大社祭の乗り子(騎手)と各地区の青年団が祭典1週間前より朝夕に川で身を清める。」 

 『ウィキペディア』の記述にある場所はどれもなじみが深い。鈴鹿山脈の御池岳北麓から中里ダム周辺は山間のワインディングロードがつづく。かつてはオートバイで走り回ったところである。仕事をしていた43年間のうち30年は朝な夕なに近鉄益生駅の横を通った。員弁川に釣り人の姿はほとんど見かけなくなったが、私が子どものころには魚を取りに川へ出かけたものである。当時はアユを捕る人が大勢いた。猪名部神社の上げ馬神事で乗り子になった自分も春先の冷たい川に入って身を清めた。員弁川は家の近くを流れるというよりは、人生の早い時期から私と一緒に流れている。

 近場で自転車に乗るときには、支流の宇賀川、青川、二之瀬川から伊勢湾にそそぐ河口まで川に沿って走ることが多い。格好のサイクリングコースである。マウンテンバイクを手に入れてからは、時折川原へ降りて走ってみる。釣り人や「ひっかけ(しゃくり)」や投網(とあみ)でアユを捕る人の姿はほとんど見かけない。川原で遊ぶ子どもの姿もない。家族連れがバーベキューを楽しむ光景も見なくなった。川原に降りる道が消滅していて、川の近くまで行くのがひと苦労である。夏になると泳ぎのできる深みを探しまわった私の少年時代は遠のき、川原には誰もいなくなってしまった。マウンテンバイクで川原に降りると、景色を独り占めできるが、近くに高速道路の橋梁が架かってしまった川原はなんと殺風景なことか。遠くの変らない山並みだけが救いである。

近ごろは川原に降りるにもひと苦労する
遠くに見慣れた山並みをのぞむ懐かしい風景

見慣れた風景を高速道路の高架が分断する
人影のない川原が広がる

員弁川の支流、青川の源流に近いあたり
川に沿って自転車を走らせたり
時には川原に乗り入れたりしてみる

員弁川が伊勢湾に流れ込む辺り
川は姿を変えながら流れる
自転車で川沿いに下ったり登ったりする

かつては大人も子どもも川遊びをした

遊び道具を持ち込んで日がな1日川に戯れた
写真は中学で教えた生徒たちが遊びに来た時のもの
後ろの橋は本文に引用したブログにある大社橋




2 件のコメント:

  1. 員弁川は私にとっても身近な存在であります。

    幼いころ、年に2回、お盆と正月に父の自転車の後ろに座って親戚の家へ行くのが
    楽しみでした。途中、員弁川にかかる三笠橋を渡るとき、川原で魚を釣ったり投網をかける釣り人を必ず見かけました。

     小学生のころ、夏休み前になると短縮となり、全校で員弁川まで歩いていき、午前中水遊びをして学校へ帰るというのが、楽しみな1週間でした。

     中学校になると、部活が終わるとその足で員弁川まで行って、仲間たちと夕方暗くなるまで泳ぐのが日課でした。

     高校生あたりから徐々に遠のいてはいきましたが、時折、員弁川を通ったりすると、
    まだそこそこ釣り人たちの姿は見かけたと思います。

     しかしここ最近、員弁川には川原に人影が見られません。
    おそらくバスフィッシングや海釣り、フライフィッシングなどに移行しているのか、
    はたまた員弁川に魅力がなくなったのかもしれません。


     MARIOさんはじめ私にとっても、寂しい限りです。

    時代は移り変わっていくものですが、残しておきたいものはたくさんありますね。

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    1.  川原で遊ぶ、堤防の土手で遊ぶ、小川で遊ぶ、ため池でも遊ぶ、里山で遊ぶ、竹やぶの中で遊ぶ、田んぼや畑の中を駆けまわり、あぜ道でも遊ぶ。神社で遊ぶ、お寺の境内でも遊ぶ。時には回遊魚のように群れて自転車を乗り回す。遊ぶ子どもたちの背景にはいつも見慣れた山や川があって、見守っていてくれる。子どもたちの遊びがデジタルのゲームになってしまっているとすると、もったいないような気がします。

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