'25.10.3 一本の柿の木

2021年6月12日土曜日

60年の時を経て

今年は例年になく梅雨入りが早かった。梅雨入り宣言が少し早すぎたのか、今のところ雨の日は少ない。自転車に乗る計画に差し障りが出ないのはありがたい。

 先週は、自転車仲間と旧東海道を走ってみようということになった。東海道5342番目の桑名宿にある七里の渡し跡から44番目の鈴鹿市石薬師宿まで、古い街道を辿った。いつものように、4人の自宅から等距離の場所にあるコンビニに集合する。七里の渡し跡まで15㎞ほど走って、いよいよ遠乗りのスタートいうことになる。途中、四日市宿を抜け、伊勢路と東海道が分岐する日永の追分で京へ上る道をとる。走り始めて35㎞ほどで無事石薬師宿に到着した。

途中、休憩や昼食の時間をゆっくりとりながら、いつものペースでのんびりと80㎞近くを走った。1日の自転車旅もいよいよ終わりに近づき、我が家からわずか数㎞のところまで帰りついてから、思いがけず懐かしい場所にめぐり会うことになった。

 三岐鉄道の北勢中央公園口駅からほど近い切り通しにさしかかったとき、道路脇に入る草生(くさむ)した小径が目にとまった。人跡が絶えているようで、よく見ないと道のあることも判らない。子どものころには何度も通ったことのある道だ。自転車を停めて仲間をその道に誘った。雑草の生い茂った道を少し登ると、記憶の底に残っているのと同じ跨線橋が掛かっていた。自転車に乗れるようになったころに、年上の子たちに連れてきてもらった場所だ。

 橋の周りには、雑木林の名残があるが、橋を渡った先は開けていて、住宅や手入れの行き届いた畑が見える。子どものころの記憶では、橋を包むように鬱蒼と茂る里山が続いていたはずだ。橋の上から物を投げたり、小便をしたりしないように、学校で注意を受けた憶えがある。そんないたずらの前例があったのだろう。跨線橋の近くから線路に降りて、レールに耳をあてて列車が近づくのを確かめたり、鉄橋を歩いて渡ったり、危険な遊びをしたことを思い出す。先生や大人たちには絶対に言えない秘密なので、60年間も封印してきた。

 目を凝らして橋の向こうの雑木の中を見ると、ターザンごっこに使った縄が樹々の枝から下がっている。樹の幹の根方(ねかた)には、枝を組んでこしらえた隠れ家が、昔のままの姿で残っている。一緒に行った仲間の顔が、いつの間にか昔馴染みの子どもたちの顔になっていて、橋の上では60年前の時間がそのまま流れている。

 跨線橋の下を過ぎる電車の音でふと我に返った。鬱蒼と茂っていた雑木林は空が透けて見えるほどに切り拓かれている。とはいえ、線路から響いて来る電車の音は、60年前と同じように耳にとどいたのだ。この日の古い街道を行く自転車旅は、懐かしい場所と時間に往き合うための長い序章だったのかもしれない。

小径を辿ると古い跨線橋があった
60年の時を経て同じ風が吹き渡っている

橋の下に線路が伸びていて
辿れば子どもの自分に出会える

聞き覚えのある音を響かせて
電車が橋の下を過ぎる

長い貨物列車がやって来る
貨車の台数に合わせて
子どもたちは未来の歳月を数える

長い貨物列車が過ぎていく
貨車の台数に合わせて
私は過ぎ去った歳月を数えている

橋の向こうに雑木林が名残をとどめる
ターザンのロープも
子どもたちの隠れ家も
跡形もなく消えた



4 件のコメント:

  1. 大方(おほかた)に過ぐる月日をながめしは
    わが身に年の積もるなりけり。
    70近く成らしたのか?そう言や我が身も63、いつまでも自分は若いと勘違い?予期せず絶たれる、この先の日々、後は体力勝負かなぁ?リハビリ目的で、これからも後に付いて行きますわ!それでは❗

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  2.  コメントありがとうございます。いつの間にか、自分にも年は積もっているのですね。
     就職したときには、自分が働くようになるなど、考えもつきませんでした。自分が50歳になるとか、60歳を迎えるとか、それも想像できませんでした。いつの間にか仕事を辞めて、ついには 70歳にもなろうとしています。他人ごとではないのですね。

     愛用の自転車を少しでも軽くしようと試みる人が多いようですが、それよりも積もった年や体脂肪を落とす方が、ずっと効果がありそうです。

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  3.  今回のブログも素晴らしく、いつも勉強させてもらっています。
    桑名七里の渡しから四日市、鈴鹿石薬師まで旧東海道が残されて整備保存がしてあるのですね。
    あとは亀山から関ですか。私も自転車で走ってみたいです。関から鈴鹿峠越えはできるのでしょうか。
    自転車では相当きついでしょうね。そこを越えれば、大津、京都へと道は拓かれていきます。
     さて、ブログの最後の8行と6枚の写真と添えてある言葉にしびれます。
    私にとって叙情的に感じられます。最近、仕事以外でほとんど本らしきものと接していないので、MARIOさんの文章を読むたび、とても新鮮な感動を覚えます。
     自分もまじめに本を読もうかな、と思う今日この頃です。人生、つねに精進ですね。

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  4.  古い街道には、いろいろな人の思い出の場所や、思い入れのあるものが残っていることだと思います。旧街道、ゆっくりと走ってみてください。

     私は、関宿まで走ったことがありますが、そこから向こうへは行っていません。鈴鹿峠も一部旧街道が残っているようです。いずれ、京都まで走りたいと思っています。

     写真の場所は、今訪れると、「なんだ、これだけのところか」と思われるかもしれませんが、子どものころには、偉大なテーマパークに勝るとも劣らない別天地でした。

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