'25.10.3 一本の柿の木

2021年6月5日土曜日

正確無比

  几帳面とか神経質というわけでもないが、時計が正確に動いていないと気がすまない時期があった。初めて自分専用に持った時計は、中学生のときにもらった父のお古の目覚まし時計だった。毎晩発条ぜんまいを巻いた。その都度、時刻合わせもしていた記憶2つ目の時計は、高校の入学祝いに叔父が買ってくれた腕時計である。シチズンの自動巻き。流行の最先端。カレンダーもついていた。時刻表示に誤差が少ないのも自慢だった。分厚くて重たくて、新品ということもあって、腕が妙に疲れた。

 デジタルの腕時計が発売されたときは驚いた。ストップウォッチにアラーム、文字盤の照明までついていた。その後、電波時計が売り出されて、時計の時刻合わせは全く必要がなくなった。時計が正確に動くことが当たり前になったら、かえって不正確なことに寛容になった。最近は、昔ながらのアナログの腕時計を使っていた。薄くて軽くて、安価なので腕が疲れない。わずかに狂いが出るが、ときどきそれを自分で修正する手間も気に入っていた。世間の時間と自分の時間の誤差を埋める作業である。

 今夜、机の前に座っていて今更ながらに驚いた。自分の周りの時計は、修正しなくても全く同じ時刻を表示していて誤差がない。正確無比である。コンピュータの画面の右下に、小さく時刻が表示されている。コンピュータだから正確とはかぎらないと思い、スマートフォンの画面の時刻と較べてみた。全く同じだ。机の端に置いていた電子ブックの画面を開く。画面の上に小さく表示された時刻も変わりはない。はずしていた腕時計も確認してみる。昨年から使っているスマートウォッチである。スマホとブルートゥースでつながって時刻を修正するので、標準時刻をぴったりと表示していて当たり前である。

 持ち主が気づかない間に、時計たちはWi-Fiやらブルートゥースやら、それにGPSも使って、自分たちで時刻や場所のやり取りをしている。電源を切っても、バックアップされていて、動きは止まらない。時刻合わせは必要ない。時計たちが正確に時を刻む努力をしているうちはいいが、いずれ共謀して、わざとでたらめな時刻を表示し始めたら、世界は大混乱するに違いない。時計たちだけで勝手に絆を深めないように気をつけていたい。

 自転車に乗るときはサイクルコンピュータを使う。これがあまり高価なものではないので、時計に誤差が出る。誤差が出れば走行時間や平均速度の計算にも狂いが生じる。ときどき時刻合わせをするのは面倒だが、今のところ他の時計たちと共謀せず、自転車の動きを尊重してくれている。正確無比ではないところがかえって信頼できる。時の流れを時計に任せっ放しにせずに、自分でも早めたり遅らせたりする。自分の時間は自分で確かめる。自転車に乗るときは、自分の時間を自分の好きな長さで使いたい。

麦畑には麦の時間が流れている
麦の初夏は麦の晩秋である

麦は麦の時間で育ち
麦は麦の時に色づく

速い列車の時間は速く流れる

遅い列車の時間はゆっくりと流れる


階段をおりてしまった時間

      階段を登ろうとしている時間

自転車に乗ると自転車の時間が流れる
長くなったり短くなったり
速くなったり遅くなったり
正確無比ではなくてもいい
私には私の時間が流れているのだ













2 件のコメント:

  1.  私の小中高、大学時代、正確無比とはほど遠い生活を送っていました。おそらく当時の担任は、私を苦々しく思っていたでしょう。
     就職してからも、時間ギリギリの勤務状況は変わらなかったと思います。『三つ子の魂、百までも』とはよく言ったものです。
     ところが30代前半のころ、勤務先の同僚とそりが合わず毎日が喧嘩状態。その男は時間に正確、仕事は人一倍やる。朝は早いし、帰りは遅い。休日も殆ど出勤。考え方は全く合わないが、彼の素晴らしい部分は認めていました。そんななか、言い合いをしているときに私はその男に、これから何事も時間を守り、早めに行動すると宣言してしまいました。
     それ以来、私は必死、それまで時間にルーズだったから、改善するために文字通り歯を食いしばって毎日時間との勝負をしていました。
     何とそれ以来、何事にも早めに準備して余裕をもってことに当たる習慣ができ、現在に至っています。そんな意味で彼には感謝しています。性格は大嫌いですが(笑)。

     さて、麦秋の写真、2枚とも素晴らしいですね。麦穂のなかのクロスバイク、その奥に見える福王山、そして竜ヶ岳。あんなに速い新幹線を、一瞬のシャッターチャンスで中央に捉えるとは神がかり。素人とは思えない。
    ゆったり走る北勢線ものんびりローカル色が出ていて味わい深いです。
     次回はどんなお話なのか、気になってしまいます。少しずつ№100が見えてきました。

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  2.  年齢とともに時間のとらえ方が変ってきたように思います。世間に迷惑をかけるようなルーズさはよろしくないにしても、生涯の持ち時間がそれほど残っているわけでもないので、自分の好きなように時間を使いたいと思っています。自分の時間は潤沢にある、と思えるような使い方をしたいです。

     時間の使い方もカメラの使い方もなかなかうまくいきません。歳をとればうまくなるというようなものでもなさそうです。日々是自転車も大事にしたいですが、日々是精進が大切ですね。
     
     そりの合わない人や好きになれそうもない人ではあっても、その人から学ぶべきは学ぶ。私もそうありたいと思います。

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