県立北勢中央公園の遊歩道の端に自転車を停めていると、そばを通りかかった男性が同じように自転車を停めた。ふらりと自転車散歩に出たという装いである。
「どうも帰り道が判らなくなってしまったようで…」と、その人が私に話しかけるともなく小声でつぶやいた。よく見るとかなりの年配である。「おじさん、どこからおみえですか」と尋ねる。「四日市。家は阿倉川なんやけど…」。それが本当なら、家からここまで15㎞はあるだろう。まさか、徘徊、ということもあるまい。
「聖宝寺まで行った帰り道に、初めての道を通ったらどうも道に迷ったようで…」。何と、その日は朝から既に55㎞も走ったとの由。電動アシスト自転車の性能に詳しく、ナビアプリも装着してある。しばし、朝からの冒険譚に耳を傾ける。「家に帰ると70㎞くらいで、ちょうどアシストの電池がなくなりそうなんです」
「おじさん、おいくつですか」と訊いてみた。「85歳になりますわ」。一瞬なりとも徘徊などと思った自分は不届き千万、猛反省。アシスト付きの自転車とはいえ、1日の走行距離が70㎞。85歳にして、何たる健脚。公園の出口や帰り道の大まかな方向をお教えした。
「いろいろと話を聞いてもらって」、「ご親切に道まで教えてもらって」、「今日は家に帰って家内に話すいい土産話ができました」と、再び自転車にまたがって走っていかれた。「お気をつけて」と見送った後姿は、55㎞も走ったあととは思えないほど溌剌としていた。
翌日、弥富・木曽岬方面へ出かけようとして、木曽川の堤にさしかかったところで、この日も年配の男性に声をかけられた。「どっから来たの?」、「あんたの自転車はええやつやなぁ」、「どこまででも行けそうやが」、「わたしは、家が弥富なんやけど、これから海津温泉まで行くんやわ」、「家から10㎞くらい来たけど、もう6、7㎞はあるでなぁ」。
今回はこちらから尋ねなくても、尾張訛りで矢継ぎ早の語り口。昨日のこともあるので、徘徊を心配することもない。「失礼ですけど、おいくつですか」とようやく見つけた話の切れ間に尋ねた。「85やがね」。またしても85歳か。
この人からは、弥富まではどういう道を走ると面白いか、木曽岬方面へはどう行けばいいか、いろいろな道を教えてもらった。日ごろから、この界隈を自転車で走り回っておられる様子。因みに、自転車は電動アシストなし。前かごに温泉グッズと思しきものを満載。偶然出会った85歳たちは超元気、恐れ入谷の鬼子母神。
そういえば、私の尊敬する大先輩で、小学校の女性校長をされていた方も、妙齢。85歳近くになっておられるはずだ。先日、私のブログを読んでくださったというお電話をいただいた。しばらく話していると、ご自分の自転車の話題になった。
「ちょっと、私、横断歩道の真ん中でこけてねぇ」。「せんせ、お怪我はなかったですか」。「そら自転車だから、かすり傷くらいはできたけど、そんなことより、前のかごの荷物が道路に散らばって、カッコ悪くてねぇ…」。まだまだ、どこへでも自転車でお出かけになられる勢いだ。70歳の私などひよっこも同然。85歳の大先輩たちとその健脚に乾杯!
| 季節は移ろい |
| 季節の色はかわり |
| 秋は深まるというけれど |
移りかわるのは季節ではなく わたしなのだ コペルニクスになって考えてもみよ わたしは自転し 動きつづけ かわりつづける |
枯れ葉が散れば 掃きあつめたり |
季節の花を 咲かせたりしながら わたしたちは移ろう わたしたちは自転し公転している |
Marioさん、お久しぶりの投稿です。
返信削除いやぁ、今回の内容はとても心温まりました。いつもの超格調の高いブログにはなかなか手を出せなかった私ですが、今回だけはコメントさせていただきます。
出先でバッタリ出会った方とのやりとりは、見ず知らずとは言いながら共通の自転車乗りというだけで、の距離が近く感じられつい声を掛けたくなってしまう。そんなシーンが目に浮かびます。とっても共感します。
趣味人の私にも度々ある体験です。別に言葉を交わさず素通りしても何てことはないのですが、話をすれば何かしら知らないことを教えてもらえたり(時として既知のことであってもフムフム聴かねばならないこともありますが)、時としてその方の人となり、ひいては人生観にまで触れたりすることもあります。何やら心がホクホクして、出かけて来て儲かったなと思うことすらあります。
袖振り合うのも多少の縁、一期一会というのは、残念ながら忙しい現代では少なくなってきていますが、いつまでも失くしたくないと思います。
これからも素敵な出会いが沢山ありますように…。Marioさん、楽しいバイクライフを末長く是非とも90歳まで続けていってください。
コメント、ありがとうございます。今回だけとおっしゃらずに、ぜひぜひ今後とも、よろしくお願いします。
返信削除自転車で出かけた先で、たくさんの人と出会う。自分と同年輩の人もあれば、本文に書いたような高齢の方や若者とも声をかけ合う。ときには長話にもなる。乗る楽しみ以外にも、思いもかけない嬉しいことや面白いことがあります。
たかが趣味とはいうものの、元気の源になっているのは確かです。Minoさんも趣味を通して、いい出会いをたくさんしておられるのでしょう。熱中する中味は違っても、それを支えに活力を保ち、何歳までつづくかはともかく、存分に楽しみたいものですね。
今回新しい読者の方の投稿があり、とてもうれしく思います。
返信削除おそらくこのブログを読んでらっしゃる方は多いと思いますが、なかなかコメントが書きづらいのかもしれませんが、厚かましく私は書き続けていて恐縮しております。
お話のなかで、85歳のライダーに二日続けて遭遇するのもびっくりですが、しっかりとした足取りや流暢なお言葉から、私たちアラ古希の未熟さを感じてしまいます。
MARIOさん、あと15年は最低でも走ってください。
ところで今回の写真と詩、いつもながら惹きこまれてしまいます。私もこのブログを拝見するなかで、ロマンティストに憧れてしまう自分がいます。こんな詩や表現ができたら、自分に酔えそうですが、私はハイボールでしか酔えそうにありません。
時の移ろいでの周りの変化は、自分自身の移ろいではではないか。
コペルニクス的転回を引用されるとは、MARIOさん国語と技術の先生と聞いていますが、科学や哲学にも精通して見えますね。人生、日々勉強。私も細々と学習します。
話を盛っているような内容ですが、偶然にも二日続けて85歳の大先輩と巡り合ったのは、「70歳くらいで頑張っていると思うな、私たちの年齢までくらいは、ほれ、このとおり」という先輩方からのエールだったのかもしれません。
返信削除あと何年などと決めないで、日々移ろいながら、行けるところまで行ってみましょう。
100歳でも150歳でも、新聞やテレビで取り上げられるくらいずっと先まで、自転車に乗っていられたら面白いでしょうね。