'25.10.3 一本の柿の木

2022年6月18日土曜日

縛りを解いて

 例えば、自転車でかなりの距離を走って、家の近くまで帰り着いたときに、サイクルメーターが走行距離95㎞を示していたとする。家まで走れば、ほぼ98㎞になると予測する。せっかくなので100㎞にしておきたい。余分に2~3㎞走って、走行距離を100㎞に合わせる。その方が区切りがいい気がする。

 もっと短い距離のときでも同じで、25㎞を超えていれば30㎞に、45㎞超えなら50㎞にと四捨五入的結果を残したくなる。そのままの記録を残しておけば良さそうなものだが、つい切りのいい数字にこだわる。妙な縛りだ。

 さて、このブログ、文章修行などと恰好をつけて、1200字にまとめて書こうと決めている。400字詰め原稿用紙に3枚。毎回必ず3枚目の最後の行まで埋める。原稿用紙にぴったりの字数を埋めても、ブログの作成ページにコピーしてからもう一度加除修正をする。実際の字数に100字ほどは過不足が出る。

 自転車の走行距離と同じで、少し数字が足りないと、無理やり中身を付け足すことになる。自転車の走行距離と違って、増やすばかりではなく、文字数が多くなると減らすこともある。字数に縛られて、尺を伸ばせば冗長になる。書きたいことを書けずに端折れば腹がふくれる。書いていても面白くない。

 書きたいことがあれば、しっかり書く。そうでなければ、短くまとめる。当意即妙とまではいかないが、形に縛られることはない。何でもいいから書き放題というのもつまらない。起承転結とか序破急とか文章の行儀はわきまえて、下手なりにまとまりはつけておきたい。自転車に乗ることは、縛りを解いて自由自在に想いのままにどこにでも出かけることだ。乗り方を決めつけることはない。その自転車について書くときも、何かに縛られていては不都合だ。 

枠にはめられて
飼い慣らされて
自由にどうぞといわれると
ふと戸惑う

自分の居場所は自分で決めて

道のない道を行ってみたり

立ち止まってみたり

思いのままに走りたい




2 件のコメント:

  1.  私も週に2,3回コンスタントに走っている時期は、その日の走行距離が気になり、切りのいい数字になるように帳尻合わせで家の近くを走ったりしていました。この春先からいろいろ雑用やらで週に1回程度しか走れないことが多く、一応走行データはPCに入れていますが、数字を合わせるまでの心の余裕がないのが現状です。
     それにしてもMARIOさんのブログは1200字ピタリに収めたり、起承転結を常に考えたりして作成されるのですから、恐れ入ります。
    プロの文筆家は、みなさんそうなんでしょうね。週刊誌に連載されている芸能人やタレントのエッセイなどは、適当に思うがままにお気楽な文章を書く人も見受けられます。中日スポーツの大相撲コラムの北の富士さんの文章などは、最たるもの。
    まあそれはそれで読者が楽しければよいのかもしれませんね。

    返信削除
  2. 「文は人なり」という言葉もあるように、文章には書き手の人となりが表れるらしいですが、なかなかそこまで書き込むのは難しいです。私の場合は、思ったことを書き散らしているだけなので、それにお付き合いいただく、べーえんベーさんや他の多くのみなさんにも申し訳なく思います。

     文章を読んで、その書き手がどんな人なのか読み取るには、これもまた、相当の読み手にならないとできないように思います。人の文章を読んだり、話を聞いたりするときには、その人を理解しようとする努力が必要なのでしょうね。それほど真剣に考えず、面白おかしく読んで聞いて楽しむというのも一つの方法ではあるでしょうけれど…。

     数字にはこだわらないといいながら、また、こだわりが出てくるかもしれません。毎日生きていると、考えもどんどん変わっていって、まぁ、それもいいのだろうと思えてきます。我は昔の我ならず。生きていれば高齢者でも細胞は新しくなるでしょうから、
    考えていることも日々変わっていきますよね。

    返信削除