冬をむかえる

冬をむかえる
'25.1.22 山を見て走る

2023年1月7日土曜日

もう1年

  12日が誕生日なので、今年満71歳になった。賀寿に云う古稀は70歳の年祝いで、本来は数え年で祝う。数え年なら72歳なので、古来稀な人生を既に2年も余分に生きた。もっとも、最近は私の父のように100歳くらいにならないと、古来稀なりとは言ってもらえない。

 毎年、初日の出を見に海の見えるところまで15㎞ほど自転車で出かける。今年は、70歳も越えたので、無理をして出かけなくてもいいかという気分になっていた。夜の明ける前から自転車を漕ぎ出して、こけたりしたら大変だ。これまでは、元旦の日の出が見られるかどうか、年末から天気予報を気にしていた。昨年の暮れは、それもあまり気に留めなかった。

 大晦日の床に就くときに、とりあえずはと思い、目覚まし時計を5時にセットした。早起きは苦手な(たち)であアラームってもしもそれに気がつけば、もしも目が覚めれば、そして、もしも支度をする気になれば、自転車で出かけようかと迷いながら就寝した。

 アラームは鳴り、それに気づき、しかも目が覚めて床から抜け出した。外は少し明るい。東の空に雲はない。ご来光は拝めそうだ。例年になく暖かい。自転車を漕ぎ出す気になる。6時、やおら走り始める。空は明るさを増すが、何、慌てることはない。日の出の時刻は72分。1時間ほどかけて15㎞走れば、揖斐川の河口、伊勢湾の日の出に間に合う。

 辺りが少しずつ明るくなり始めて思う。70歳を過ぎたから、何かを始めるとか辞めるとか、もしも80歳まで生きれば、あれを始めるとかこれを辞めるとか、年齢を区切りに使うことはない。

 自転車には乗れる間は乗る。初日の出に間に合うように走れる間は走る。年齢を重ねれば、転倒や事故に遭うリスクは高まるかもしれないが、自分のやりたいことを自分で抑えることはない。自分のやりたいように、もう1年。東の空が明るく赤く染まるころには、出かける前の迷いは消えて、すっかり強気になっている。

曙光が見えて
なお心細い

約束の場に来た安堵

ここに居れば会えるという期待

期待が確信になって
姿をあらわすとき

明るい空の強気

今朝は
見慣れた山が
雪をかぶって高い


 


2 件のコメント:

  1.  歳を重ねるにつれて、1年が早く感じられます。
    1月はイき、2月はニげ、3月はサる。子どもの頃は、遊んだり家の手伝いをしたり、たまには勉強したりと、毎日がやることが多くて365日がたっぷりあった気がします。それが、中学、高校、大学、社会人と年を経るごとに、1年の長さが短くなっていきます。ましてや古稀に達すれば、毎日の価値がないくらいに、あっという間に日が暮れます。これはなぜなのでしょう。
    明確な目的もなく、その日暮らしのように何となく終わっていくからなのでしょうか。中身のない1日、1年を過ごすのは、やはりむなしいです。
    MARIOさんのように充実した一日を暮らすように努力したいです。
    これは、年齢に関係なくできることですよね。
     初日の出の写真、とてもきれいです。毎日繰り返される日の出日の入りですが、一年の始まりである初日の出は、やはり格別ですね。
    確か昨年は、雪の中でのご来光を写された記憶があります。

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  2.  新春から、つづけてコメントをいただきありがとうございます。

     ブログの中身が変わり映えしないので、新しい工夫も必要かと思いつつ、相変わらず同じ調子でつづけています。そのうち変化もあるかもしれませんので、お見限りのないようにご覧ください。

     べーえんべーさんのおっしゃる通りで、1日がアッという間に通り過ぎます。10歳や20歳のころに比べて、70年以上も生きていれば、1日の比重が軽くなるのは当然だと思いますが、それにしても速いです。

     それでも、テレビの前に座って時間をもてあましているよりは、知らないうちに時間がすぎるほどやることがあるというのはいいことかもしれません。

     「忘れっぽいのは素敵なことです」と誰かが歌っていましたが、「知らないうちに時が経つのも素敵なことです、そうじゃないですか?」 まぁ、年寄りの特権みたいなもので…。

     

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