ここ数年、新年初の遠乗りには一人で名古屋の熱田神宮へ行く。何となく今年も行ってみるかという軽い気持ちで出かける。この寒い時期に往復80~100㎞の距離を走れるか。気持ちと身体の力試しのようなところはある。
今年も、先週になって、穏やかな天気の日を見つけて出かけた。往路は、長島から木曽岬へ向かい、飛島村、十四山村を抜けて名古屋市に入る。走りながら、ふと心に浮かんだ歌がある。「いきはよいよい、かえりはこわい」。
何度も走ったことのあるコースなので、力の配分はわかっているつもりだが、途中天候や風向きが変わることはないだろうか。50㎞往ったら、50㎞を帰らなければならない。今回に限ったことではないが、自転車の遠出にはいつも同じ不安がつきまとう。
「とおりゃんせ、とおりゃんせ、ここはどこの細道じゃ」と口ずさみながらペダルを漕ぎ、漕ぎながら考える。童謡の「いきはよいよい、かえりはこわい」とはどういう意味なのか。自転車の遠乗りの歌でないことは確かだ。
「子どもが七つになったので、お礼詣りがしたい」「7歳までは神様の子として守られているが、これからは、自分で生きていかなければならない。お詣をすませた帰り道からはこわいことになる」。「こわい」には「たいへんだ、難儀だ」という意味もある。
「いきはよいよい」の「よいよい」は「やっと、何とかして」の意味があり、「往路はやっとの思いで来たが、帰りはもっと大変だ」という意味にもなる。童謡の解釈には諸説あるようだ。
そんなことを思いながら、「いきはよいよい」熱田神宮に辿り着いた。初詣ででもないので、鳥居の外から簡単に参拝を済ませる。帰りの道のりを考えると気が重いが、「帰りは怖い」などと思っていては、一人で遠出はできない。帰り道も楽しんで走りたい。ペースを守ってペダルを踏みつづければ、いずれは無事に帰り着く。
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通りゃんせ通りゃんせ ここはどこの細道じゃ |
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天神さまの細道じゃ |
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ちっと通してくだしゃんせ |
御用のない者通しゃせぬ |
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この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります |
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いきはよいよい かえりはこわい |
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こわいながらも 通りゃんせ通りゃんせ |
今年も熱田神宮へ初詣に行かれたようですね。片道50㎞ということは往復100㎞。自分の足に自信がないと、なかなか踏み切れない距離です。ましてや一人だと、もしものときの不安がよぎります。
返信削除でもMARIOさんの場合、10年以上のキャリアがあり、半径50㎞以内のおもな道はほぼほぼインプットされていると思います。それに自転車に関する知識と整備技術がプロはだしですから、心に余裕があります。私など、思いつきや成り行きで走ることが多いので、突然のアクシデントには焦ってしまいます。
とはいえ、年齢を重ねるにつれ神経系や運動系も衰えてきます。
今週のような最サイクリストサイクリストにとって厳しい状況がまだまだ続きますが、最新の注意を払いながら、自転車ライフを楽しんでください。
ちなみに昨年私が走った一日の最高距離は、54㎞。
いきはよいよい、かえりはこわい、のいきまで達しませんでした。
年が明けても毎回コメントをいただきありがとうございます。
返信削除自転車の話題にかぎって書いていると、つい同じような内容を繰り返してしまいそうです。できるだけ新鮮なネタをと思いながら、マンネリ化しそうです。できるだけ退屈されないような話題探しをしたいと思っていますが、ありきたりの内容になってしまってもお付き合いください。
べーえんべーさんも1日で54㎞走られたとのこと。かなりの距離だと思います。自転車に乗るといえば、4,5㎞くらいを想定される人が多いと思います。10㎞も走るといえば、かなり長距離というイメージ。私も、スポーツ自転車を始めるまではそのくらいに思っていました。
20㎞を超えれば、「帰りが怖い」気がしてくるのではないでしょうか。『通りゃんせ』の歌詞にはよく判らないところもありますが、ほんの短い距離でも、「行きも帰りも怖いかもしれない、きびしいかもしれない」くらいの用心をして、安全に自転車に乗りたいですね。