冬をむかえる

冬をむかえる
'25.1.22 山を見て走る

2024年6月29日土曜日

四人、四日市へ行く

 走行会の仲間四人で、街へ出かけてみようということになった。急な思いつきである。

 60年前にも同じようなことがあった。中学生になったばかりのころだった。友だちと遊んでいて、誰が言い出すともなく、街へ行ってみることになった。そのときも四人だった。本気で街へ出かけるというよりは、自転車で走っているうちに、勢いで四日市の街まで行ってしまったのかもしれない。

 街中をうろうろと走るうちに何も食べていないことに気がついた。パンを買って食べようということになった。ポケットの中を探っても、お金らしきものがない。「50円しか持ってないぞ」、「30円あるわ」。そんな会話をしたのではなかったか。みんなのお金をかき集めて、菓子パンを数個買った。パンを等分して食べ、公園で水を飲んだ。

 帰り道は、本当に家に着くのかという不安や空腹と戦いながら必死で自転車を漕いだ。それでも、二度と街へ行かないとは思わなかった。今度行くときは、200円くらい持っていこうと反省した。自転車で田舎から街へ出た中学生には大冒険の一日だった。

 無謀な中学生の遠出に比べれば今回は大人の走行会。道に不案内なわけではない。お金の入った財布もある。全員スポーツ自転車に乗っている。

 ところが、街の中を四人が連なって走るのは意外に大変だ。信号ではぐれ、踏切の遮断機に分断される。人や車が飛び出す。前を行く者は後続の安全にまで気を配る。街の景色を見るよりも自分の後ろが気にかかる。一旦停止の場所で白バイに注意される一コマもあった。無謀ですばしっこかった中学時代の自分たちとは様子が違う。

 懐かしい映画館の跡地やメンバーの一人が行きつけだった洋服店を訪ねた。無事に街乗りを楽しんだが、いつもの走行会よりはずしんと疲れた。イソップの寓話「田舎のネズミと町のネズミ」にならって、走り慣れた田舎道をのんびり走るが、今の自分たちにはふさわしい。とはいうものの、もう二度と自転車で街へは行きたくないかというと、そうでもない。

街の記憶を
いつ頃まで
たどれるか

初めて一人で
いった映画館

行きつけの
角の喫茶店

立ち読みが
常習だった
馴染の本屋

灯ともしごろの路地

街の記憶が
遠ざかったり 
近づいたりして
通りを歩いている

2024年6月22日土曜日

オーバーホールをする

 子どものころ、父のオートバイ仲間がエンジンのオーバーホール云々と話しているのを耳にした記憶がある。

 昔のエンジンは材質が良くなかった。長い間使うとシリンダーが摩耗して圧縮が効かなくなり不調を来す。シリンダーを削って、径の大きなピストンに付け換える必要があった。シリンダーをボーリング加工して穴を広げるので、「overhole」というのだと思っていた。

 ごく最近になって、「overhole」ではなくて「overhaul」だと知った。「機械や装置類を一つ一つの部品にまで分解・点検し、精度を回復するために必要な洗浄や修理、部品交換などを行う」「分解、洗浄、修理・交換、注油、組立、調整という手順で行う」ことである。間違った解釈の「overhole」は「overhaul」の一部だったということにしておこう。

 言葉をはき違えていたが、自転車のいろいろな部分のオーバーホールは試みている。例えば、車輪の軸と軸受け、ハブといわれる部分のオーバーホール。車軸が抵抗なく回ればタイヤは軽く転がる。長く使った車輪のがたつきをなくし軽い回転を取り戻すためにオーバーホールをする。

 抵抗を減らすために軸と軸受けの間には小さな鋼球がはめ込まれている。鋼球の周りにはグリスという粘度の高い油が詰められていて、さらに滑りをよくしている。長年使っているとグリスの粘度が失われ、しかも細かい埃や砂が入り込む。車軸と軸受けを分解し、汚れた部品を洗浄する。新しいグリスを補充して組み直す。

 慣れないと小さな鋼球がばらばらに飛び散ったり、組み立てのときには車軸の締め付け具合に苦労したりと散々な目に遭う。オーバーホールをした後は、タイヤが軽快に回ることを期待するが、効果覿面てきめんというほどでもない。苦労した分くらいは転がりが良くなったかなと思う程度である。

 オーバーホールをすることで調子が戻り、部品の寿命を延ばすことができれば、やってみる値打ちはある。何はともあれ、部品を徹底的にきれいにするのは気持ちがいい。 

大概のことには
取り返しがつく

洗い流して
組み直して
再生できる

抵抗とか摩擦とか
軋みとか異音とか
余計なものを除く

新しい気分で
新しい自分で
走りはじめる

使いつづけ
走りつづけ
歴史になる


2024年6月15日土曜日

検索できないもの

 住人のいない長男の部屋の本棚で百科事典を見つけた。私が子どものころに買ってもらったものだ。『原色現代新百科事典』学研、全8巻。親にとっては高価な買い物だっただろう。長男に譲ったものが今も残されている。

古い百科事典で「自転車」の項を調べてみた。1ページを割いて自転車の説明がされていて、図が7枚、写真が1枚添えられている。

 インターネットで検索すれば、こんなものまでという項目が解説され、動画まで見られる。自転車関連の記事や動画を検索すれば際限がない。今の子どもたちに百科事典はもういらない。

 自転車の種類、歴史。現在の自転車、しかも売れ筋のものを並べたページ。そのカタログ。自転車部品、部品の交換方法。整備の概要と詳細、手順や作業を解説する動画。故障とその原因、修理の方法、修理の費用。

 現実には存在しないことでも、チャットGPTが予想し類推して教えてくれる。思いつく限りのことから思いもよらないことまでインターネットで検索ができる。検索できないものを捜す方が難しい。それでも、検索できないものはある。

はじめて自転車に乗れたときのうれしさ、誇らしさ。自転車で走る爽快感。冬の朝の自転車の寒さ。夏の昼下がりの暑さ。寒さや暑さの対策は検索できても、厳しさやそれを克服する生の達成感は検索できない。

自転車関連本や映画の本編。これは著作権や売れ行きの問題があるからか、検索しても見当たらない。時間をかけて全編を読んだり観たりするほかない。それが真っ当な姿勢だ。

 検索に頼らず、好奇心に任せて自分で試してみるのが面白い。子どものころの、親に隠れて自転車で遠くまで出かける密かな楽しみ、暮れはじめる帰り道の心細さ、帰宅後の言い訳。自分の記憶の中を検索しても、どこかにうずもれてしまっているキーワードが多い。 


今夜は膝の上で地図を広げて
明日走る道を捜している

ナビゲーションシステムで
検索して走れば
地図をたたんだままにして
決められた道を行く

自分の道を捜す楽しみを
ナビの検索システムが奪う


私の地図を頼りに
辿り着いた場所は

私の記憶の中でしか
検索できない場所だ


2024年6月8日土曜日

振れ取り台を買う

 走行中の自転車を後ろから見ると、車輪が左右に振れていることがある。前の車輪であれば、走行中にタイヤが一直線に見えないので振れていることが判る。タイヤを嵌めるリムが歪んでいるのだ。

 リムが歪むのは、リムと車軸をつなぎ左右から引きあっているスポークが、緩んでしまうのが原因である。中には新品のときから精度が低くて車輪が振れているものもあるようだ。

 多くの自転車は、リムの両側からブレーキのゴムでリムをはさんで制動する。リムが右に左に振れていると、ブレーキのすき間が左右で均等にならない。ブレーキの調整がうまくできないのでブレーキの効きが悪くなる。

 速く遠くまで走るスポーツ自転車ともなると、バランスの悪いホイールでは力が効率的に伝わらない。直進安定性が損なわれて危険を伴うこともある。車輪の振れが性能を台無しにする。

 リムの歪みの箇所を正確に見つけて修正するためには振れ取り台が必要だ。左右だけでなく縦方向のリムの歪みも測定できる。

 自分でも振れ取り台を買ってみた。振れ取り台に車輪をセットし、ゲージをリムの側面に当てて、リムの歪んでいる箇所を突き止める。振れ取り台とはいうものの、この台が振れを取ってくれるわけではない。実際に振れを取るには、ニップル回しという工具を使ってスポークの張り具合を調整する。

 愛用の自転車の車輪を振れ取り台にセットして振れを確かめる。大きな振れはないが、丁寧に調整すればわずかな振れもなくなる。歪みがないのは気分がいい。

 心の振れ取り台があって、気持ちが揺れるときには、どこを調整すれば治まるのか見極められたら便利だろう。調整方法も会得できれば、迷いが消えて爽快な気分になるにちがいない。多少高額でも自転車の振れ取り台とあわせて買いたいものだ。


振れ
揺れ 
すきま
ゆとり
あそび

ときに歓迎され
ときに排除される


すべてが平らに
やすらいでいる

てんでんばらばらに
散らばり乱れている

横にも振れ
縦にも振れ
振れを取り
また振れて
進んでいる



2024年6月1日土曜日

火曜日は遠出の日

  今日は火曜日なのに雨。火曜日は晴れる確率が高いというわけでもないから、しかたないが残念だ。

 毎週火曜日を遠出の日と決めている。急な用事がなければという条件付きではあるが、朝から自転車で遠出をする。

 火曜日を遠出の日と決めた理由は特にない。週末は子どもや孫が家に遊びに来る。自治会の行事などもある。どこへ行くにも人出が多い。月曜日は何となく慌ただしい。週の後半には自転車仲間と走行会などを計画する。いろんな条件を考えると火曜日はたっぷり一日時間をとりやすい。

 先週の火曜日は、ツアー・オブ・ジャパンの自転車レース観戦に出かけて遠出はしなかった。その前の週は、朝から椿神社に向けて走った。椿神社に行ったときには境内のすぐ近くにある椿会館でカレーライスを食べると決めている。この日は到着が早かったので昼食には少し間があった。

 遠出の日らしく100㎞くらいは走りたいと思って、そのまま亀山方面に下った。海岸線に出て帰ることを思いついて、河芸方面を目指す。鼓が浦に出て、海を見ながらコンビニで買ったおにぎりで昼食を済ませる。

 帰路は塩浜街道を辿り、千代崎港、伊勢若松港から楠漁港と順に寄道をして、四日市港までもどる。鄙びた漁港から世界に開かれた港まで港づくしだ。ここで走行距離は70㎞。

 そのまま家に帰ると100㎞には少し届かない。走行距離にこだわることはないが、せっかくの遠出の日、風向きも悪くない。四日市港からさらに海沿いに桑名まで走って帰った。走行距離103㎞。遠出の日、上出来。

 遠出の日の目標はエイジライド。72歳なので72㎞は走りたい。朝から5、6時間はサドルの上に座ってペダルを踏み続ける。天候や体調、自転車の調子によって快適な遠出なるとはかぎらない。それでも帰宅後は自転車を簡単に拭き上げて次の火曜日を心待ちにする。今日のように火曜日に雨が降るのはがっかりだ。

きょう私は家にいません

どこにいるかわかりません

海をながめている
かもしれません

海をながめている
自分をながめている
かもしれません

歳とともに
記念日だとか
思い出の日だとか
増えるばかりなので
きょうはそれを忘れて 
遠くまで出かけています