'25.10.3 一本の柿の木

2024年9月7日土曜日

父の遺品

 少し前に父の一周忌を済ませた。遺品の整理もほぼ終えた。遺品というと高価な品々という響きがある。父の遺品には高価なものといって特にない。それでも、本人には思い入れのある大切なものばかりだったに違いない。

 母が先立ってから、父は我が家の小さな離れに移り住んだ。73歳のころから30年ちかく暮らした。身の周りのことは自分でするといって、食事の準備や洗濯もこなした。気ままにやりたいことをして晩年を楽しんでいた。100歳まで生きる秘訣だったかもしれない。

 機械いじりの好きな父は、自分の車や孫の自転車の整備などにも時間をかけていた。元々が機械工だったので、お手の物だったのだろう。知り合いに頼まれて、電化製品やオーディオなどの簡単な修理もしていた。お寺の仏具などを修理するといって預かっていたこともある。

 親の遺したものをめぐって遺族で争奪戦が勃発するとか、兄弟仲が悪くなるという話を聞く。インターネット上には、遺産相続や遺品整理のトラブルに関する話題が溢れている。残念なことに、妹が早くに逝ってしまって私には他に兄弟がない。高額な遺産や遺品もない。揉め事の心配は無用である。遺品の整理は私一人で済ませた。

 父の遺した物を一つひとつ丁寧に見ていると捨てられない。遺品整理の業者になったつもりで、思い切ってほとんどのものを捨てた。父の居た離れは自転車を整備できる場所にしようと思い、自分で簡単に改装した。父が集めて愛用した工具だけは捨てきれずにそっくりそのまま残した。これが実に重宝である。

 自転車を整備していて、あれば便利だろうと思うような工具は工具箱の中に必ず見つかる。刃物などはきれいに研ぎあげてある。父が横にいて、使い方まで教えてくれる気がする。使っていた人の思いが伝わるように工具が手になじむ。高価ではないが遺品の本当の値打ちをいくつも見つけている。 

夏には夏に
やりたいことを
全部やろうと
欲張っていた

未整理のまま
夏は踏切りを
通り過ぎた

残された者が
遺された物を
探しつづける

取り置く整理か
捨て去る整理か

遺された物の
遺された意味を
掘り出している


2 件のコメント:

  1.  私の父が亡くなって20年余り。自分は次男なので、実家を出てから45年以上経ちます。近くに実家はあるけれど、実兄があとを継いでいて、年に5,6回ほどしか訪れません。仲が悪いわけではないですが、両親がいなくなると敷居が高くなってしまいます。

     父の性格は、頑固であまり笑わないとっつきにくいタイプ。仕事への責任感は強く、高熱が出ようが出勤して結局肺炎を起こして入院したことも。親子だけど、気楽に腹を割って話をした記憶は少ないです。

     そんな親父が死んで数年経ったあと、遠くで暮らす実姉が届けてくれた手紙やはがきの数々。それは親父が生前、
    実姉に送ったもので、そこには私の近況報告や一緒にスキーに行ったり高校野球観戦をしたことなど、楽しかった出来事が綴られていました。ふだんはあまり感情を出さない父が、我が子への愛情はしっかりもっていたのだと思うと、嬉しくもあり『親思う心にまさる親心』とはこのことかと、しみじみ実感しました。

     MARIOさんのお父様の工具遺品。人生の大半を大好きな機械と向き合い、無駄なく綺麗にそして正確に作業するための工具を工夫し、加工して自分独自のものにしていかれた手作りの数々。そんなお父様の背中を見ながら育ったMARIOさんは、ごく自然に機械をさわったり分解したりすることで興味をおぼえ、知らず知らずのうちに追いかけていったのでしょう。

     写真で見る工具類の遺品。まだまだ手放すことはできそうもありませんね。


     

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  2.  べーえんべーさんのお父上が遺された姉上への書簡。お亡くなりになったあとからも、お気持ちがしっかり伝わる素晴らしい遺品です。 

     まるでドラマのようなというか、ドラマの原作になりそうなお話です。書簡の内容が思い浮かびます。
     
     あとに残った者の受け止め方次第で、遺品の価値は大きく変わるような気がします。

     自分が子どもたちに何を遺せるのかと考えると、何も思いつきません。子どもたちが何を感じ取ってくれるかは、子どもたちに任せておきます。

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