少し古い資料であるが、警察庁『令和元年の刑法犯に関する統計資料』によると、2019年の自転車盗認知件数は約16万8703件にのぼる。盗まれた自転車が持ち主にもどる割合は極めて低い。我が家でも、娘が高校生のときに、通学用の自転車を盗られた。幸い、近くの交番から自転車が見つかったという連絡があった。見つけてもらった人には、些少のお礼をした。被害者がお礼をするというのもおかしな話である。
先日、『自転車泥棒』という古い映画を観た。気をつけていると、よく似たものに目が留まることや、身の回りに同じような出来事が重なることがある。この流れで行くと、さては、自転車泥棒の被害に遭ったか、ということになるがさにあらず。件の映画について書かれた記事を偶然雑誌で見つけただけである。
映画を観た翌日に買った、雑誌『文藝春秋』の5月号に「本気で笑える映画、泣ける映画」という記事を見つけた。筆者の柴山幹郎は、以前に紹介した『自転車乗りの夢』の筆者、佐々木幹郎と同じ名前であるが、こちらは「みきお」と読む。人の名前まで、よく似たものが寄ってくるのは何かの縁だろうか。
記事には、「コロナ自粛を吹っ飛ばせ!厳選10本、おこもりシネマで爆笑して大泣きしてストレスを発散しよう」と添え書きがついている。泣ける映画5本のうちの1本に、『自転車泥棒』が挙げられていた。映画を見た翌日に、その作品について書かれた文章に出会う偶然。何かの縁である。以下は記事の引用。
舞台は敗戦直後のローマ。主人公のアントニオは質屋でお金を工面して自転車を手に入れ、ポスター張りの仕事に就きますが、その仕事には欠かせない大切な自転車を盗まれてしまう。そこでアントニオは息子と一緒に自転車を求めて街をさまよう(略)。単純な話だと思われるかもしれませんが(略)この映画は40年代に生まれたイタリアのネオレアリズモという手法で撮られています(略)。ともすれば社会の矛盾とか、貧しさを描いたものとされがちですが、その前に風景や出演者のたたずまいを見てほしい。話では泣かなくても、そちらが涙を誘います。モニターの前で正座して見てください。
自転車泥棒を見つけられないアントニオは、困じ果てて人の自転車を盗むが、すぐに捕まってしまう。群衆に囲まれ責められるアントニオと、その袖にすがりつく幼い息子。罪を許され、人ごみの中に消えていく父子の後ろ姿にエンドマークが重なる。二人は明日を、未来を、どんな思いで生きていくのだろう。余韻が長く響く作品である。
昨今、巷には高価な自転車があふれている。大戦直後のローマのネオレアリズモと状況は違うが、自転車の盗難は身近に起きても不思議ではない。『自転車泥棒』を観て、自転車泥棒の記事を読み、自転車泥棒について書いたので、更に偶然が重なり現実になって、自転車泥棒の餌食にならないように気をつけよう。
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『自転車泥棒』のDVDのジャケット ヴィットリオ・デ・シーカ 監督 1948年 イタリア映画 |
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アントニオと息子のブルーノ 仕事のために自転車を手に入れたが ここから悲劇が始まる 出演者のたたずまいが涙を誘う |
無造作に街角に自転車を停める 人を疑うことはあまりしたくない |
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簡単に乗って行けるようではまずい 出来心を誘ってしまうのは罪作り 保管のときには施錠をしておきたい アントニオも自転車に鍵をかけていれば… |
今回のタイトル、『自転車泥棒』とはドキッとするネーミング。
返信削除ブログそのものが自転車ファーストだから、身近に自転車盗難事件があったのかなと思わせる。私どもも娘が高校時代、3度も駅で盗まれました。奇跡的にすべて見つかりました。名前や住所が消されたりシールがはがされたりしましたが、戻ってきたのはありがたかったです。
映画でおしゃれ泥棒ではなく自転車泥棒なるものがあったのですね。
DVDジャケットとワンシーンのカットを見るだけでも、観る側に伝わってくるものがあります。
さてこの映画は1948年イタリア作品ですが、半世紀以上経た現在でも自転車泥棒の実態は、世界共通のように思われます。値段の高い安いに関わらず、自分の自転車には愛着があります。被害に遭わないように自己責任の下、管理をしっかりしなければと勉強させられました。
MARIOさんの最後の文章、偶然の連続の部分、相変わらず上手にまとめてあって面白い。流石としかいいようがありません。次回が楽しみです。
『自転車泥棒』は短い映画なので、お時間のある時に是非ご覧ください。アマゾンのプライムビデオで配信されていると思います。正座して見たくなるというの本当です。泣けるので注意してください。
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