自転車で出かければ、短い時間や距離であっても、気分ははるばるひとり旅である。走りなれた道を行くときも、遠くへ初めての道を辿るときも、自転車にはひとり旅が似合う。
子どものころに、家族で旅行と名のつくものに出かけた記憶がない。家計に余裕がなかっただろうし、両親にはそういう発想もなかったのだろう。初めての旅の思い出は、小学校の修学旅行である。次の旅は中学校の修学旅行で、と数えれば3度目は高校のそれである。ともかく、旅といえば学校から連れて行ってもらう団体旅行しか知らなかった。
修学旅行の歴史は古く明治時代にさかのぼるが、現在の形は1958年(昭和33)年の学習指導要領の改訂で、泊を伴う学校行事の一つとして位置づけられた。団体旅行を世界で初めて考案したのは、イギリスのトマス・クック社。旅が普通の人々にはなじみのなかった時代に、旅程を組み団体運賃で旅費を安くして、参加者を募集した。1841年のことである。
修学旅行で駆け足の物見遊山や土産の調達を刷り込まれる。不登校でない限り、すべての日本人は学校で旅とはそんなものだと教えられる。旅のコースや日程は他力本願。みんなで同じ物を食べ、同じ部屋で寝る。職場の慰安・親睦旅行などで団体旅行はさらに幅を利かせる。旅の恥はかき捨て的態度は増幅し、朝からの飲酒なども加わる。旅先ではみんな揃って写真に収まる。旅行のパンフレットと同じ景色に自分たちを置いただけである。安価で安心かもしれないが、団体旅行は好きになれない。旅はひとりにかぎる。
大学生になって、アルバイトをしたお金で貧乏旅行をした。ひとり旅の始まりである。団体旅行に定番の名所旧跡早回りと土産物屋の駆け足巡り、夜の宴会、記念の集合写真撮影は日程にない。コースの変更も滞在期間の延長も思うがまま、自由自在。ひとり旅が高じて、二十歳のときにはシベリア鉄道経由でヨーロッパへ行った。その後は、仕事に就いたり自分の家族ができたり、ここしばらくは老親の介護もあったりして、ふらりと一人旅に出る機会から遠ざかっていた。
自転車に乗り始めて、再び、ひとり旅気分を満喫できるようになった。年老いた父の介護の合間にでも、自転車で出かければひとり旅気分は味わえる。コースはあらかじめ決めておいてもいいし、風まかせでもいい。人まかせにはしない。気が向けば一つ場所に留まるのもいい。短い旅でも自転車であればパンクや故障に見舞われ、雨に降られ風に吹かれ、不安や孤独も味わう。この心もとなさが、また、ひとり旅の醍醐味である。心細さのついでに、一度も行ったことがない北海道をいずれひとりで走ってみたい。
![]() |
自転車が待っていてひとり旅 |
![]() |
岩がキングコングになるひとり旅 |
![]() |
電車の窓に手をふってひとり旅 |
![]() |
お茶の葉の風にかおるひとり旅 |
![]() |
川の辺にキハナショウブひとり旅 |
![]() |
ぽつんといる街なかのひとり旅 |
![]() |
付録: 典型的団体旅行的修学旅行集合写真 旗の先を持っているのが高校生の私 |
今回の極めつけは、写真です。みんな素敵ですが、1枚目の写真のインパクトはすごい。強烈です。プロカメラマンはだしです。あの場所はいったいどこなのか、撮影者は誰なのか、驚くばかりです。
返信削除私は自分のこれまでの人生の中で、ひとり旅らしきことをした記憶はありません。どうしても不安要素が先に立ってしまい、無理と思ってしまいます。MARIOさんは、それをワクワク感と勇気に変えていく挑戦者魂がある。そして今もスピリットが健在というのがすばらしい。それぞれの写真に添えられた一言にも、詩があります。相変わらず、ロマンティストです。
いつもコメントをいただき、お褒めをいただいて、恐縮するばかりです。
返信削除写真の種明かしをすると、カミさんが偶然撮った写真で、撮影場所は三重郡菰野町にある「尾高観音」です。ぜひ、お出かけください。
自転車でちょっと出かけるだけでも、ひとり旅気分を味わえます。近場でも、これまで行ったことのない所をふらりと自転車で訪ねる。これも、ぜひ、お試しください。