異なる方向へ行き合うのがすれちがいである。すれちがいは、お互いに相手との接点を見つけることのないまま通り過ぎる。あまり良い意味では使わない。
意志や思いのすれちがいは、人の関係を壊すことにもなる。すれちがってばかりで、一生わかり合えないことや出会えないこともある。すれちがいの物語は枚挙にいとまがない。悲劇の典型である。あまりすれちがいがつづくと、滑稽に思えることさえある。
自転車で走れば、歩いている人や同じように自転車に乗った人とすれちがう。相手もスポーツ自転車に乗っている人だと、挨拶を交わすことも多い。軽く会釈をしたり、手を挙げたり、ときにはことばをかけ合う。
追い抜いたり抜かれたりするのは、同じ方向に向けてすれちがっているのと同じことになる。自転車どうしのときは、追い抜かれるときにも、ちょっと声をかけて追い抜かれると気分がいい。黙って脇をすり抜けられると驚かされる。だいいち危ない。
追い抜く時には、こちらが声をかけることになる。脚力のない自分は、走っている自転車を追い抜く頻度は低い。追い抜くのはほとんど歩行者である。農道などで犬と散歩をしている人や、のんびりとウォーキングを楽しんでいる人を追い抜くのは気が引ける。そんなときには、少し離れたところから相手を驚かせないように、静かに「おはようございます」とか「こんにちは」と声をかける。
「お邪魔しまぁ~す」と呼びかけることもある。ベルを鳴らすのは、どけどけと言っているような響きがあって気が咎める。自分が車に抜かれるときに、クラクションを鳴らされると、邪魔者扱いされたような気分になるのと同じだろう。
中には道いっぱいに広がって歩いている人がいたり、散歩中の犬のリードが道をふさいだりしていることもある。そんなときも「お邪魔します」と声をかけるとほとんどの人は「ごめんなさい」といって道を空けてくれる。ところが、中には怖い顔をして振り向く人もある。「本当は、あんたの方が邪魔なんだけど…」と思うが、そこは大人、「ありがとうございます」と言って通りぬける。
通りがかりに、小さい子どもが手を振ってくれることがある。これは気持ちがいい。手を振る、振りかえすというのは、遠くにいても、その距離がグッと縮まるものらしい。道の反対側にいる知らない人でも、手を振り合うとこちら側へ道を渡って会いに来てくれたような気がする。
見ず知らずの、もう二度と会うこともない人とのすれちがいが、ちょっとしたことばがけや手を振ることで、さわやかな瞬間に変る。下校途中の小学生に「こんにちは」と声をかけたら、可愛い声で「こんにちワンワン」と応えてくれた。つい笑みがこぼれ、ペダルが軽くなった。 すれちがうことが楽しいときもある。
秋と風と水の音と すれちがって走る |
遠くを見て佇んでいると 時の流れていく音がすれちがっていく |
この道を行くと どれくらいのすれちがいがあるのか |
雨の予感を背負って走る 自転車乗りたちとすれちがう |
立ち止まると遠くに月 惑星も衛星たちもすれちがう |
萩が静かに咲いていて すれちがってしまいたくない |
すれちがいという言葉はネガティブなイメージをもってしまいますが、今回のブログを読んで自転車に乗っていて心がホッと温まるすれちがいも多いのだと気づきました。
返信削除相手が散歩中のおばさんであったり、サイクリストであったりそれぞれ多少対応は違いますが、声をかけ合うことによってお互いの心が通じた安堵感があります。
自転車で通りすがりに交わす一言やあいさつ。
もう二度と会うこともない人でも一期一会、刹那の出会いに感謝の気持ちが生まれます。
今回も秋の深まりのなかのさまざまなすれちがいが表現されて、画像のなかに溶け込んでいます。
私も四季それぞれの良さを、ぶらり自転車に乗って楽しんでいきたいと思います。
自転車の速さですれちがのが、ちょうどいいように思います。遅すぎると、深入りしすぎる。速すぎると、挨拶を交わすいとまがない。自転車と歩行者、自転車と自転車のすれちがいは、ふっと吹いてすぎる風のような清涼さがあって、瞬間に気持ちが通い合うような気がします。
返信削除景色を楽しむ、季節を楽しむ、そして、見知らぬ人とのすれちがいの妙を楽しむ。
自転車の楽しみは尽きそうもないですね。