自転車はデジャヴである。家から自転車に乗り出すときも、見知らぬ人の自転車とすれちがうときも、駅の駐輪場に置き去りにされた自転車たちを眺めていても、それは懐かしい。それは過去につながり、いつか見た光景につながる。子どものころに同じようなことがあった気がするし、学生のときに出会った場面にいるような気にもなる。
自転車で訪れる場所はデジャヴである。風に向かって田んぼの中の道を行くときも、風に押されてほの暗い森を抜けるときも、辿り着いた寺院の石段を自転車から降りて登るときも、そこは懐かしい。そこは過ぎ去った時間の中で、いつか見た場所につながる。そこでは、先に遠くへ逝ってしまった母や妹、友人たちに逢えるような気がする。
デジャヴ(déjà-vu)、既視感(きしかん)。実際は一度も体験したことがないのに、前にどこかで体験したように感じる現象のことで、フランスの超心理学者エミール・ブワラックが『超心理学の将来』(1917年)の中で提唱した概念である。前世の記憶だという人もあるが、科学的には、記憶のメカニズムや無意識が影響していると説明されている。
『デジャヴ』(2006年)という映画があった。主人公のダグ・カーリンを演じるのはアフリカン・アメリカンの俳優、デンゼル・ワシントンである。SF仕立てのサスペンスで、主人公のダグが時間を行き来して事件の解決に挑む。D・ワシントンの凄みのある、それでいてどこか憂いをたたえた、物静かな目の光が、やや無理のある筋書きをリアルなものにしている。
アフリカン・アメリカンの俳優は悪役を演じることが多かった映画界で、ヒーロー像を確立したのがD・ワシントンだといわれる。彼の立ち居振る舞いは、1960年代に映画『野のユリ』、『招かれざる客』などに出演した名優、シドニー・ポワティエのオーラにつながる。彼ら二人の遠くを見つめているような目、毅然としているがどこかさびし気な表情、そして時折見せる人懐っこい笑顔を重ねると、これもデジャヴかと思わせる。
700年も前に、吉田兼好も、また、デジャヴについて書いている。「(略)また、如何なる折ぞ、ただ今、人の言ふことも、目に見ゆる物も、我が心の中に、かかる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや」(『徒然草』第71段)「これと同じことがいつかあったと思えて、いつとは思い出せないのだけれど、本当にあったような気がするのは、私だけがこんな風に思うのだろうか」とこの人も感じているのだ。
つれづれなるままに、日ぐらし、自転車なるものに乗りて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつけていると、これもいつかやっていたように思えてくる。
ここに来た覚えがある それがいつだったのか ここはどこだったのか |
蕎麦の花は空の下に咲いているのか 蕎麦の花は私の中に咲いているのか |
昨夜見た深更の天の川に かさなって白昼の天の川 |
路上に人影が見えなくなった 明るいさみしさが通りぬける |
昔語りは記憶の中の実存か 今を生きている幻想なのか |
友とみじかい旅に出た一日の帰るさ 家路をいそぐ夕暮れとすれちがった 前にも同じ夕暮れに会った気がする |
毎度楽しく拝見させていただいております。今回もMARIOさんのこれまで積み重ねてきた教養の深さを感じるに十分なものがありました。
返信削除私が『デジャヴ』という言葉を初めて知ったのは、マトリックス第1作のなかで黒猫がすり抜ける場面。コンピュータの仮想現実と現実世界との攻防を描いたもので、私にはなかなか理解しづらい映画でしたが、デジャヴという言葉だけは刻まれていました。
徒然草の吉田兼好もすでに超心理学的発想を体感していたとは、すごいですね。
またそれを調べるMARIOさんにもびっくりです。
写真に添えてあるいくつかの詩は、何度か口にして噛みしめたくなります。
写真から自分なりにイメージを膨らませますが、そこへ詩が入ることによってさらに幻想的世界へと誘ってくれます。
1+1=2ではなく、1+1=3になっているのは間違いありません。
『マトリックス』は難解な映画でしたね。よく判りませんでした。コンピュータグラフィックを多用した映画は、映像がきれいでも何か物足りない気がします。俳優さんが自分の感性と身体能力を使って、それを監督やカメラが引き出したり拡げたりしたものでないと、どうも面白くないような…。
返信削除秋の夜長は古典こそよけれ、と思って、ときどき古い本を読むのですが、『つれづれ草』を読んでいたら、
これってデジャブ、と思い当たりました。もちろん、ご存じの人が多いのでしょうが、私は何度も読んでいて、初めてデジャブがつながりました。
写真は写真だけで、ことばはことばだけで表現できないと本物ではないと思います。ここでは両方で一人前くらいにお考えください。写真とことばがイメージを消し合わないといいのですが。