「人生、下り坂最高」というのは、NHKの『こころ旅』という番組で、自転車旅を続けているメインキャラクターの火野正平さんが、下り坂にさしかかったときのセリフである。人生の下り坂に歩を進めてしまえば、それほど力みかえることもない。火野さんと年齢の近い私にもその心境はよく判る。自分の身の丈に合わせて無理なく生きていられるのはしあわせだ。
自転車は自転車で、これまた下り坂は最高なのである。同じように自転車に乗る自分にも火野さんの感覚がよく判る。何しろペダルを踏まなくても進む。位置エネルギーを使って、転がり下りるのだから、進むどころかどんどん加速する。そこに追い風でも加わろうものなら、さらにスピードは上がる。脚力には見合わないスピードで坂を下っていて、時速40㎞を超えると、ここらがほぼ限界かと思う。これ以上は危ない。
人によって、スピードの限界は異なる。私の瞬間最高速度の記録は、安物のサイクルコンピュータの計測によれば時速57㎞だ。計測値に誤差があるだろうし、人に言えば無用の心配をおかけするだろうから、大きな声で言うべき数値でもない。プロのロードレーサーともなれば、最高速度は時速80㎞にも達する。
坂道ではなく、無風の平坦地ではどうか。私の場合、スピードが出過ぎるという危険はない。危険なほどスピードを出す脚力がないからである。本気でペダルを踏んでも、限界は時速35㎞。しかも、10分も走れば息が上がる。
では、1日に走れる距離はどうか。これは100㎞程度である。日の長い時期であれば、もう30㎞くらいは余計に走れる。平均速度20㎞で走れば5時間で走り終える距離である。距離が長くなればなるほどスピードが落ち、休憩は多くなる。100kmの後半ともなれば、休憩の時間も長くなる。100㎞を走るには、都合7時間ほどかかる。
安全に時速50㎞の速度まで走ることができて、トラブルなく1日に100㎞走るためには、自転車のコンディションを保つ整備も必要だ。自分でやれる整備は、これくらいのコンディションを維持するのが限界である。
時々は仲間とも走るが、一緒に走るのは4人までが限界だと思っている。何台かで走れば、前と後ろの自転車に気を遣う。安全への配慮が数倍必要になる。一人なら1日100㎞走れても、何台かで走れば、その半分くらいが限界だろう。トラブルの発生率も高くなるし、休憩時間のおしゃべりも長くなる。助け合って走るとはいうものの、疲労も大きくなる。
乗る人の脚力も自転車の性能も違うので、限界を決めるのは難しい。私と私の自転車との組み合わせに限って考えると、限界はこんなものだろう。70歳がすぐそこまで来て、私を待っている。私と私の自転車の限界が、今後広がることは考えにくい。あわてて限界など決めなくても、いずれは向こうからやってくる。下り坂にいることを甘受するふりをして、前方に登り坂があれば密かに挑戦してみる。限界は曖昧なままにしておいて、私は私の自転車で無理のない走りを心がける。
空が澄んでいてマリア像に出逢う 砂の一粒ひとつぶが限界を結び 砂の一粒ひとつぶで像を結んでいる |
やがて限界を解かれる砂の像は 一粒ひとつぶの砂に還る マリア像のための一粒だったことを 砂は砂の記憶に刻みつける |
今週は東海道関宿まで行った 随分と遠出をしたが 道に限界の線は引かれていない |
琉球朝顔が 限界を知らぬ気にひろがる |
空の蒼が 限界を超えて深まっていく |
マックス57㌔とはすごいですね。
返信削除下り坂とはいえ私は49㌔が最高で、それでもかなり危険を感じました。
道路に平行に切ってある細い隙間や予期せぬ穴が空いていたりすると、とても怖いし
咄嗟に回避できない。
私も年なので無理はしないように気を付けています。
マリア像の2枚の写真と、添えてある詩には惹きこまれるものがあります。
スピードや走行距離を競ったり、自分の限界を試してみたりというのは、老ライダーのすることではないように思えて、最近は、できるだけゆっくりと、景色を楽しみながら走ることにしています。
返信削除それにしても、あの細いフレームで、オートバイのようなスピードが出るのですから、自転車の潜在能力は凄いですね。
仕事をしていた頃は、自分は一粒でありながら、いろいろな人との繋がりがあって、一つの世界のようなものを作っていました。仕事を終えて、何の変哲もない一粒にもどったようですが、それでも、何かのための一粒だった記憶は自分にも残っています。
砂のマリア像はいずれただの砂にもどってしまうでしょうが、自分も記憶にとどめておきたいし、砂たちにも、自分がきれいな像を作っていたのだということを覚えていてほしい気がしました。