吉丸一昌作詞、中田章作曲の『早春賦』は鮫島有美子、芹洋子、斎藤昌子、他にもダークダックスや由紀さおりと安田洋子姉妹などの、多くの歌唱がYouTubeで視聴できる。
春は名のみの 風の寒さや / 谷のうぐいす 歌は思えど / 時にあらずと 声もたてず / 時にあらずと 声もたてず
早春の自転車の世界は、この歌にぴったりかさなる。春とは名ばかりで、風は冷たい。そろそろ温かくなるだろうと期待はしているが、まだ冬装束のままだ。手套も冬用の分厚いものを使っている。
里山を走れば、うぐいすの初鳴きにであう。キョ、キョと鳴いているだけで、きれいな旋律にはならない。発声練習なのだろう。ときなお早いというところだ。それでも、うぐいすはまったく声をたてないわけではない。健気に初鳴きを始めている。
「春は名のみ」というのが、子どものころには判らずに、「菜の実」かと思っていたが意味が通じない。「和み(なごみ)」と聞き違えているのではないか思っても、和むはずなのに、風が冷たいとはこれ如何に。のちに「名前ばかりの」という意味と判って納得がいった。
氷融け去り 葦はつのぐむ / さては時ぞと 思うあやにく / 今日も昨日も 雪の空 / 今日も昨日も 雪の空
川辺を走れば、葦は芽吹き始め、下草も青くなりかけている。気の早いスイセンが咲き、桜のつぼみがうすく色づく。いよいよ自転車の季節の到来と思いきや、雪が時雨れ、霙が降ることもある。すぐにも温かくなると思っていたが、そう簡単に春は来ない。意味が解らず「葦は角ぐむ」を「足をどう組むのか」とか、「あやにく」とは、「やわらかい肉か何か」だとか思っていたこともあった。生憎(あいにく)ならば合点がいく。
春と聞かねば / 知らでありしを / 聞けばせかるる 胸の思いを / いかにせよとの この頃か / いかにせよとの この頃か
春と聞くだけで、温かくなればどこへ行こうか、誰と一緒に走ろうかと、思いは巡る。何とも気の早いことである。はやる気持を抑えて、寒さの中を走る。子どもころには、3番の歌詞は完全にお手上げだった。春を待つ歌なのだろうという気分はわかるが、歌の意味には歯が立たない。誰も歌詞の解説はしてくれなかった。美しい歌の響きだけを聴いていたのかもしれない。
ありきたりのいい方ではあるが、自転車に乗って野へ山へ、川へ海へ、出かけることがなければ、『早春賦』は記憶の彼方へ押しやられて、思い出すこともないだろう。今になって、懐かしい『早春賦』的早春を改めて感じるのは、自転車があればこそである。
山に向かう現実 地上は混沌としていて ときに道を失う |
山に憧れづづけ 春を待ちづづける |
うぐいすの初音がみなもをわたる 私の大切な場所を奪うな 私の大切な人を奪うな |
この美しいふるさとを奪うな ふるさとの人を奪うな |
地上にあまねく 春が来るのを待つ 遠い国に 春が届くのを待つ 春の光明を待つ |
子どもの頃、テレビやラジオなどで聞いたり人が歌ったりしているのを真似して覚えたものが多くあります。この早春賦、出だしの部分、{春はなごみの~}と思い込んでいました。MARIOさんの歌詞解説で感心するばかり、春とは名ばかりという意味だったのですね。だから、名のみなんだと。
返信削除小さい時分は、耳に入る音だけを頼りに口ずさむので意に介さず歌ってしまう。
今思うと、恥ずかしいことがけっこうあります。テレビが出始めたころ、毎週欠かさず見ていたテレビ番組は多くありますが、特に好きだったのが「怪傑ハリマオ」。主題歌は三橋美智也さんが歌っていて、あれが好きでいつも大声で歌っていました。
真っ赤な太陽~、燃えている~。問題は、このあとのフレーズ、『果てない南の~』を{果てないなみの~}と近所の子どもたちと歌っていましたが、ずいぶん経ってから、なみではなくみなみなんだと気づいた記憶。耳に入ってくる信号を正確にキャッチするのは難しいですね。まあ歌い手のクセもあるかも。
さて今回の早春賦、解説してもらって初めて歌詞のすばらしさに気づきました。自転車乗りにとって待ちに待った季節到来を感じさせる歌ですね。ブログ最後の文章もいいし、撮られた写真は自転車で出かけてみたくなる風景ばかりです。
奈良のお水取り『修二会』が終われば、いよいよ春本番。
MARIOさんにならって、私も走りはじめます。
快傑ハリマオの主題曲は、私もまったく同じように思っていました。しかも、2番の「天地鳴らし吹きまくる 嵐の中を~」のところは、天も地もまっすぐにならすように嵐が吹くのだとイメージしていました。
返信削除お寺の日曜学校で、「のびよ、のびよ、ぐんぐんのびよ わかめのようにすくすくと、仏の子どもは ひとりでそだつ」という歌を教わりました。海の中のワカメはよくのびるのだと思っていたら、あれは「若芽」のことかと、随分大きくなってから、ふと気づいたことがありました。
子どものころの思い込みは、その頃の情景とも重なっていて、とても面白いです。
自転車に乗っていると、昔、回遊魚のように群れて、友だちと自転車に乗りまわしていたことを思い出します。