誰かのために良かれと思ってすることや言うことが、余計なお節介ととられることもあるだろう。自分も気付いていることを指摘されると、要らぬお世話だ、と思うことがある。
自宅前の通りに面した場所で自転車をいじっていて、近くの畑に来たおばさんに、自転車から変な音がするので見てくれないかと頼まれた。泥よけがタイヤに擦れている。ちょっと曲げ伸ばすだけで異音は消えた。たいそうな修理をしたようにお礼を言ってもらった。ここまでは良い。
チェーンやペダルなどの駆動部に油を注して、タイヤの空気をもう少し入れたら乗り味が良くなるだろうが、長い時間足止めすることになる。頼まれもしない余計なお節介、になってしまう、かもしれない。「頼んで良かった」が、「頼まなければ良かった」に変わる境目は微妙だ。
他の人が乗っている自転車を見て、そろそろチェーンやタイヤ、ブレーキや変速機のワイヤーの交換時期ではないかと思うことがある。タイヤがパンクをしたり、ワイヤーが切れて変速ができなくなったりすれば、走れないので故障と判る。普通は故障するまでは部品を交換することなど考えない。
摩耗のすすんだチェーンやギアを交換すれば、変速は快適になる。タイヤなら乗り心地が良くなるし安全だ。ブレーキのワイヤーを交換すれば操作が軽くなり、効きも良くなるし安全だ。明らかに使えなくなったわけではないので、交換しても代わり映えがしないことも多い。効果がよく判らないことを勧めても、余計なお節介、要らぬお世話にしかならない。
学校で子どもたちと接していたころは、お節介だ、要らぬお世話だと受けとられようが、言わずにおれないこともあった。学校の仕事を離れた趣味の世界では、頼まれもしないことには口出しをしない。頼まれて、自分でも出来そうなことであれば、お手伝いをする。お節介の極意はこんなところか。
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遠くから眺めている |
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近づいて 覗き込み 声をかける |
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声はことばになり 意味が生まれて お節介をする |
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ことばをつながず お節介の境を越えず 遠くから眺める |
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