’26.5.8 一期は夢よ

2023年3月4日土曜日

もしかすると

  昨日、椿神社へ行った。風の穏やかな、春を思わせる陽気だ。ロードバイクで家を出た。午後は南東の風が強まりそうだ。

 もしかすると、海に向かって走った方が帰り路で追い風になって楽かもしれない。それなら、椿神社から鈴鹿方面へ下ればよい。とりあえず、25㎞ほど先の椿神社へ方向を定め、走りながら考える。

 もしかすると、今日のようにあたたかい日は、山沿いにきらら林道の下から東海自然歩道を抜ける方が気持ちがいいかもしれない。けれど、ロードバイクなので、菰野から平坦な道を選んで水沢を目指す。

 もしかすると、巡見街道から巡礼道へ出た方が走りやすいかもしれない。そうこう考えながらも椿神社には10時過ぎに着いた。

もしかすると、昼食にはまだ早いかもしれない。この先で美味しいものが見つかるかもしれない。そう思いつつ、椿神社へ行ったときのお決まりで椿会館のカレーライスを食べた。

もしかすると、この先は、亀山方面へ下る方がいいかもしれない。能褒野という美しい地名に魅かれて走る。走行距離が少し伸びて、家に帰れば80㎞くらいにはなるだろう。

もしかすると、もしかするとと、前向きの「もしかすると」を重ねながら走りつづける。もしかすると、前方の坂を避けて迂回できるかもしれない。もしかすると、次の辻で曲がれば見たこともない絶景に出会うかもしれない。「もしかすると」は可能性の追求だ。

帰ってみるとサイクルメーターの走行距離は83㎞を示していた。もしかすると、今日は他にもっと面白いコースを走れたかもしれない。これは後ろ向きの「もしかすると」だ。振り返ってもしかするとと問い直すよりも、今日はこれでよかったと、きっぱり決めておく。

 もしかすると、自転車を趣味にしていなければもっと楽しいことがあったかもしれないなどと、後ろ向きに問うのは馬鹿げている。

「もしかすると」を重ねて
今、ここにいる

もしかすると
もっと遠くまで
行けるかもしれないし

もっと先まで
進めるかもしれない

もしかすると
思いもかけないものに
出会うかもしれないし

思いもかけないところへ
たどりつくかもしれない


もしかするともっと良い日に
なっていたのかもしれないが
今日は今日のままでよかった




2023年2月25日土曜日

冬の桜

  桜色のスイーツや桜の香りのデザートが売りに出される。ご近所の自転車に乗る人たちと連れ立って花を見に行くのを、寒いうちから心待ちしている。多少気が早いが、我が町の桜の見どころを、珍しい地名など紹介しながら巡る。

 東員町役場をかわきりに、すぐそばを流れる()(がみ)川右岸の桜並木を辿る。戸上橋を渡ったところで寄り道をする。二軒屋公園という小さな公園に大きな桜の樹がある。寄り道を終えて、川沿いの並木にもどる

 並木を通りぬけ、少し離れた鳥取神社の桜を訪ねる。ここでは桜の開花と時期を同じくしてイヌナシの巨木が白い花をつける。再び寄り道をして、笹尾中央公園の満開の桜を楽しむ。円形競技場の観客のように池を囲んで桜が咲く。鳥取神社にもどり、藤川に沿って花の下を走る。やがて(あの)()の桜堤が左手に見え始める

 穴太からは南へ方角をとる。神田池の桜も見ごろを迎えている。念仏大橋で員弁川を渡り、中上から()狐子(ごじ)川に沿って咲く花見ながら、(なが)(ふけ)にはいる。集落センター脇の小川沿い奥へ入ると、ひっそりと桜の木がつづく。花を見に訪れる人もないような静けさここからは県営北勢中央公園の桜が近い。広い公園には桜色の雲がたなびいているかと見まがう。

 桜巡りは(みなみ)大社(おおやしろ)を流れる山神川の桜並木で終焉を迎える。大社橋に出て、たもとの桜を見ながら橋を渡り、前方に北大社の長伝寺のを仰ぐいつの間にか15㎞ほど走った自転車旅を終えて町役場にもどる。

 ここに桜の樹、あそこには並木。ずっと向こうにつづく桜の堤。春、いっせいに居場所を明かす桜は、今はまだ、極寒に耐えている桜だ。人知れず、凍てついた土に根を張り、凍える空気に枝を伸ばす桜だ。今はまだ、冬の桜だ。独り寒空の下に屹立している、寒風に肩を寄せ合っている。やがて芽吹き、花ひらく、冬の桜だ。

ここに、桜

ひっそりと、冬の桜

ここにも、桜

沈黙する、冬の桜

ずっと、桜

ときを待つ、冬の桜

自分だけが
自分の居場所を
知っている
冬の桜



2023年2月18日土曜日

引き寄せる

  かなり前のことだが、我が家から10㎞ほどのところにある多度山に、初めてマウンテンバイクで登った。標高403mでそれほど高くはないが、自転車で登頂するのはきつい。途中、何台かのオフロード用のオートバイに追い抜かれた。そういえば、私の知り合いにも同じようなオートバイに乗っている人がいる。あれなら山登りも楽そうだ。

帰りは瀬音の森コースという山の裏側に降りる道を下った。自転車では危険な所もありかなり難渋した。こんな道を選ばなければよかったと立ち止まっていると、携帯電話が鳴った。オートバイに追い抜かれたときに思った知人からで、今どこにいるかと尋ねられた。多度山から下山途中で往生していると伝えると、知人もオートバイで多度山頂に登ったところだという。何とも不思議な。示し合わせたわけでもないのに、超偶然の多度山。下山して、多度峡のみそぎの滝で会うことにした。

 先週、その知人に普段は通ることのない道でばったり出会った。相手は車、こちらは相も変わらぬ自転車。知人は仕事の途中で、車の中で昼食を摂るときに、私が自転車でこの辺りを走っているのではないかと思っていたという。彼もその道はほとんど通らないという。

 予兆か、霊感か。悪いことが起きれば虫の知らせになるが、これは、驚きと喜びの出会いなので、虫の知らせとはいわない。相手のことを考えているとその人に出会う。その人がやって来る。この現象は引き寄せの法則とかシンクロニシティ(共時性)ということで説明される。

 いつもとちがうコースを走っていて、この道では出会わないだろうと思っている相手が、その日に限ってコースを変えたといって、ばったり出会うことがある。今日は暇にしているだろうからメールでもしてみようかと思った相手から、久しぶりのメールが届くこともある。

 気が合う、考え方が似ている、当然ながら行動パターンも似通っている人たちの間では、偶然ではなく、必然的に起きる現象らしい。引き寄せの法則とかシンクロニシティなどといってしまわないで、信じられないような不思議な出来事のままにしておく方が楽しいしうれしい。

古い友だちのことを想っていたら
その人が向こうの角を曲がって来る

あの人はどうしているかと考えていたら
そのあの人が向こうから歩いてくる

あの人でもこんなところは
知らないだろうと思って
写真を送る

その人からこんなところは
知らないだろうといって
写真が届く

何故か、あの人を思い浮かべる
不意に、その人にここで出会う











2023年2月11日土曜日

猿の惑星

  先日、家を出て15分ほど走ったところで、猿の大群と遭遇した。冬場は食べ物が少ないせいか、猿の群れが人里の近くまで押し寄せる。自動車ならいいが、自転車で群れの中を走り抜けるのは怖いときもある。高い木や電柱に登った猿に威嚇される。

 猿の群れに会って、『猿の惑星』という映画を思いだした。高校生のころに名古屋駅前の封切館で観た。当時の映画館は入替え制や座席指定がなかった。良い席を確保するために、前の回の上映が終わる直前に館内に入り、観終えた人が立つのを狙って座席を捜した。

 『猿の惑星』を観たときには、少しだけ早く劇場に入り過ぎた。前の回のラストシーンがスクリーンに映っていた。主演のチャールトン・ヘストンが、くずおれた自由の女神の前でひざまずいていた。猿の惑星は地球だったのだ。最後の大どんでん返しを最初に見てしまって、映画の面白さは半減した。

 自転車に乗っていて猿の大群に出会うと、自転車のコースが猿たちに占拠され、いずれは映画のように地球全体が猿に支配されるのではないかと空恐ろしい。

 映画では、猿の考古学者が過去の遺跡から眼鏡や入れ歯、人形などを発掘していた記憶がある。惑星が地球だという伏線である。ほんとうに地球を支配するようになった猿たちが、遺跡から自転車を発掘したとしたら、彼らにはその用途が判るだろうか。

 群れのそばを通り過ぎるときに、猿の惑星的写真が撮れないものかと思いついた。猿の群れの近くで自転車を停めて、少し自転車から離れてみる。猿たちは何にでも興味を示すようなので、持ち主がいなくなった自転車に近寄って来るのではないかとカメラを構えて待つ。

 警戒心が強いからか、自転車に触れようとする猿はいない。写真撮影の目論見は失敗に終わった。ブログに自転車に乗る猿の写真が載せられないのは残念至極。


昨日までとちがう
今日の惑星

無重力の惑星で
山を飛び越える

重力の記憶がよみがえる

重力を越えていく

自転車はかんたんに山をまたぐ

今日とは違う
明日の惑星



 

2023年2月4日土曜日

随時・漸次・暫時

  週は3日ほど雪に降り込められた。我が家の周辺では積雪は10㎝程度だったが、気温が低いせいか、路面が凍結してアイスバーン状態が続いた。昼間になっても、道路はスケートリンクのようで、自転車には乗れない。マウンテンバイクで少し走ってみた。ブロックパターンのタイヤでも、ブレーキは効かない。横ざまにタイヤをすくわれたら、瞬時に転倒する恐れもある。走るのは諦めた。

 毎日のように自転車で出かけるのに、家に居なければならないとなると、さぞ退屈だろうと思いきや、そうでもない。日頃やりたいことが、自転車に乗ること以外にもたくさんある。今日は自転車に乗れない、乗らないと決めれば、むしろ気分的にゆっくりする。時間をかけて普段やれないことができる。

 時間ができたら作ろうと思って、プラモデルがいくつも買ってあるが、手つかずのままだ。カリグラフィーという西洋ペン習字もやりたい。手本やカリグラフィー用のペンも買い込んであるが、これも手をつけずにいる。本も読みたい。最近は読書の時間が少ない。読みたい本が机の上を占領しがちになっている。映画も観たい。観ておきたい映画の候補が何本もある。

 自転車の改造などを考えていると、もっと時間が欲しい。ホイールを換装したいと思う。今の自転車の緒元を確認し、互換のある部品をカタログで調べる。型番が判ればネットで値段を確かめる。必要な予算をみて思案し、高すぎるので諦めて次の候補を探す。こんなことを繰り返していると、一日がアッという間だ。

 随時(ずいじ)やること。漸次(ぜんじ)始めたいこと暫時(ざんじ)は手をつけずにおくこと。その見極めが難しい。漸次体力が衰えて、随時自転車に乗れなくなってもできることは、暫時先延ばしをするとして、その頃に気力があるかどうかは疑わしい。天気がよくても自転車に乗らないという手もあるが、今のところそれは無理というものだ。


随時、道を見極める

進退窮まる

漸次、新しい道が現れる

今朝の新世界

暫時、雪国的抒情の中を行く

次の朝には早春賦がきこえる




2023年1月28日土曜日

走行会のこと

 仲間うちでは走行会と呼んでいる。特にグループの名前があるわけではない。イベントを企画するわけでもない。週に一度、メンバーの都合を考えて集まり近場を走る。普段は4人のメンバーの家からほぼ同じ距離にある、三岐鉄道北勢線大泉駅隣で地元の野菜などを売る「うりぼう」に集まる。全員が参加できて、雨が降らないことが開催の最低の条件である。

 これまで、ロードバイクかクロスバイクで走っていたが、昨年メンバー全員がマウンテンバイクを手に入れたので、走り方が変わった。近場の道は走り尽くした感があったが、マウンテンバイクで走るようになって、コースのバリエーションが増えた。何年も前からマウンテンバイクを所有していた者もいるが、最近手に入れたメンバーが一人いる。新しく乗り始めたメンバーにも無理のないダートコースや林道が走行会の選択肢に加わった。

 クロスバイク・ロードバイクで走るか、マウンテンバイクにするか、事前の打ち合わせ事項が一つ増えたが、どちらにするかは思いつきで決めている。昨年1年間の記録を集計したところ、クロスバイク・ロードバイクで走った回数が15回、マウンテンバイクで走った回数が16回だった。走行距離はというと、前者が522㎞、後者は525㎞。計算して走ったように、回数も走行距離も同じである。一回おきに乗るとか、毎回の走行距離を決めているというわけではない。思いつきで自転車を選んでいて、この結果は奇跡である。

 平均年齢70歳以上のメンバーの勘と知恵はあなどれない。走り方は入門ライダーの域を出ないが、それなりの結果はきちんと残す。仲間うちで何でもないことを褒め合い、自画自賛し、がんばり過ぎないようにがんばる。高齢者の走行会は今年も同じようなペースでつづいていくだろう。 

あちらへ行くか
こちらにするか

あれをしたり
これをしたり

あちらを向いたり
こちらを向いたり

あれも試し
これも試す

ここで停まり
ここで考える

こちらから
あちらへと
越えていく
進んでいく


2023年1月21日土曜日

いきはよいよい

 ここ数年、新年初の遠乗りには一人で名古屋の熱田神宮へ行く。何となく今年も行ってみるかという軽い気持ちで出かける。この寒い時期に往復80100㎞の距離を走れるか。気持ちと身体の力試しのようなところはある。

 今年も、先週になって、穏やかな天気の日を見つけて出かけた。往路は、長島から木曽岬へ向かい、飛島村、十四山村を抜けて名古屋市に入る。走りながら、ふと心に浮かんだ歌がある。「いきはよいよい、かえりはこわい」。

何度も走ったことのあるコースなので、力の配分はわかっているつもりだが、途中天候や風向きが変わることはないだろうか。50㎞往ったら、50㎞を帰らなければならない。今回に限ったことではないが、自転車の遠出にはいつも同じ不安がつきまとう。

「とおりゃんせ、とおりゃんせ、ここはどこの細道じゃ」と口ずさみながらペダルを漕ぎ、漕ぎながら考える。童謡の「いきはよいよい、かえりはこわい」とはどういう意味なのか。自転車の遠乗りの歌でないことは確かだ。

 「子どもが七つになったので、お礼詣(れいまい)りがしたい」「7歳までは神様の子として守られているが、これからは、自分で生きていかなければならない。お(まいり)帰り道からはこわいことになる「こわい」には「たいへんだ、難儀だ」という意味もある。

 「いきはよいよい」の「よいよい」は「やっと、何とかして」の意味があり、「往路はやっとの思いで来たが、帰りはもっと大変だ」という意味にもなる。童謡の解釈には諸説あるようだ。

 そんなことを思いながら、「いきはよいよい」熱田神宮に辿り着いた。初詣ででもないので、鳥居の外から簡単に参拝を済ませる。帰りの道のりを考えると気が重いが、「帰りは怖い」などと思っていては、一人で遠出はできない。帰り道も楽しんで走りたい。ペースを守ってペダルを踏みつづければ、いずれは無事に帰り着く。


通りゃんせ通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ

天神さまの細道じゃ

ちっと通してくだしゃんせ

御用のない者通しゃせぬ

この子の七つのお祝いに
お札を納めに参ります


いきはよいよい
かえりはこわい
       
こわいながらも 
通りゃんせ通りゃんせ