’26.5.8 一期は夢よ

2024年9月28日土曜日

自転車で出会う出会い方について

 同じコースを走っていても、沿道の木々、花々、家々、遠く連なる山々、空気の匂いさえも日々変わっていく。自転車で走っていると、意外な出会いがある。こんなところにこんなものが、こんなところにもこんな道が、と出会いは突然来る。

 自動車やオートバイで出かける時には、目的地を決めたら一目散ということが多い。ときには目的地に着くまでに意外な発見もある。道に迷ったり、思わぬ絶景に会ったりする。目的地があって先を急いでいるので、あえて車やオートバイを停めて発見を楽しむことは少ない。

 徒歩であれば、道行く先々で発見の連続かもしれないが、移動するのに時間がかる。巡り会うものや場所には限りがある。歩くことはあまりないので、そういうものだろうと決め込んでいる。

 そこへいくと、自転車は速度も移動の距離も「そこにあるもの」に出会うには実にぴったりだ。古い街道跡を走る。文字の判然としない道標や思いもかけぬ人の墓碑に出会う。家から遠くない集落にも、入りこんだことのない場所はある。よく手入れをされた寺院の庭や神社の境内に出会う。

近くに住んでいても知らない場所は多い。マウンテンバイクで里山を走れば、豪族の城跡に出会う。古墳があったりもする。たいがいは地元教育委員会の解説の札などが建てられているが、人の訪れる様子はない。自転車に乗っていなければ、こんな場所へは来なかっただろうと思う。もう一度、同じ場所に行けといわれても、行けるかどうか怪しい。

 訪ねて行くのではない。探しているのでもない。自転車に乗っていると、今まで知らなかったものや場所が、向こうから会いに来てくれる。自転車に乗っていると、知らず知らずのうちに招かれて、その地に行き着く。自転車でしか出会えない出会い方をしている。

現役の伊勢ケ浜親方は名伯楽
ずっと時代をさかのぼって
初代伊勢ケ浜関にここで会う

いつだったか
横綱さんにも
ばったり出会った

行き先を考えて
走っていると
街中に思案橋

近づいて
見上げれば
由緒ある名木

何気なく
近づけば
メダカ池

昔むかしの
築城のときから
今日訪ねることは
決まっていたのか
偶然の出会いか


2024年9月21日土曜日

機械と人の狭間

  サーキットを走るレースやラリーに出場するドライバーなら兎も角、普段自動車に乗るために身体を鍛える人はあまりいないだろう。スポーツタイプといわれるような自動車に乗っているからといって、運転している間に体力が向上することも考えにくい。多少の敏捷性は養われるかもしれないが、敏捷性を試すために高速で公道を走るのは危険である。快適なドライブは、自動車という機械を如何に整備しておくかにかかっている。機械本位だ。

 歩くとか走るとかいうのは、どうか。これは体力増進には効果がある。ウォーキングとかジョギングとか、健康維持のために日課にしている人も多いだろう。良く歩き良く走るために身体を鍛える人もいるかもしれない。歩いたり走ったりすることが鍛錬になるとも考えられる。歩くのも走るのも機械には頼れない。すべては自分の身体頼みである。体調を如何に整えるかにかかっている。人本位だ。

 では、自転車はどうかというと、これは機械の性能と人の体力の両方が求められる。買い物や通学に自転車に乗っている間は、あまり自転車が機械であることを意識をしない。ある日、パンクをしたりチェーンが外れたりする。たちまち、機械の不備不調、自転車の不具合を嘆くことになる。うっかり転倒でもしようものなら、今度は身体のバランス感覚や体力の限界を責める始末である。機械と人の狭間に介在するものがある。

 趣味で自転車に乗りはじめて、というか、乗りはじめたら自転車が趣味になってしまって、思い至ったことが多い。変速が上手くできないと自転車にも自分にもストレスがかかる。車軸やクランク軸の回転が重いと自転車も自分も消耗する。

 坂道を登る。向かい風に逆らって走る。脚力の無さを嘆き、自分と自転車の重さを憾む。 機械の調子だけでもなく、体調だけでもなく、機械と自分の狭間に調和を見つける。機械の好調を維持し、体力の維持増進を図る。自転車の面白さである。

桜米が実った

古代の米を
機械で植え
機械で刈る

機械と
折り合いをつけて
出かける

どこかで
足踏みをしている
秋を捜す

どこまでが機械の性能か
どこまでが自分の体力か
混然として走りつづける

2024年9月14日土曜日

ハンドル交換の記

  古い自転車の雑誌を見ていて、洒落たハンドルの自転車が目にとまった。実用自転車のハンドルと同じような形をしているが、スポーツ自転車にもよく似合っている。

 さっそく、自転車のハンドルについて調べてみる。ニット-というハンドルメーカーのカタログがわかりやすい。材質や用途によって形の異なるハンドルが数多く掲載されている。

 プロムナードハンドルというハンドルが雑誌の写真のものに近い。プロムナードはフランス語で散策や散歩道という意味なので、ゆったりと乗る自転車用のハンドルということだろう。よく似たハンドルで、ノースロードバーというのもある。これはイギリス由来で、正面から見ると口髭の形をしていることから、マスタッシュバーともいうらしい。

 YouTubeでハンドルの動画を見ていたら、大きな自転車店の若い店員が、お客に「一文字ハンドル」のことを尋ねられて、そんなハンドルないですと自信ありげに答えていた。店員さん、ありますよ、一文字ハンドル。今はフラットロードバーというらしいけれど。年寄りなら知ってますよ。ついでに言えば、オートバイ乗りはセパレートハンドル(セパハン)にも憧れたものですよ。

 ノースロードバーだって、セミドロップハンドルといって、かつてドロップハンドルは危険だといって禁止された少年たちは、そんなハンドルでごまかしていましたよ。

 昔少年だった自分が、今になって、雑誌で見たものに近いノースロードバーというハンドルに交換することを思いついた。12年間乗っているクロスバイクに似合いそうだ。

 交換すると、ちょっとレトロな雰囲気の自転車に様変わりした。ライデングポジションは合わせにくい。ハンドルの角度と高さ、サドルとの位置関係、更にサドルの角度や高さ、次々に調整が必要でベストポジションが出せない。ふとした思いつきからハンドル沼にはまったらしい。つづきはまた書く。


猛暑も
去り際は
名残惜しい

手に馴染んだハンドルを

新しいハンドルに換えたら

行き着く場所も
変わるだろうか

少し冷たくなった
夕暮れの川の水に
小石を投げた


2024年9月7日土曜日

父の遺品

 少し前に父の一周忌を済ませた。遺品の整理もほぼ終えた。遺品というと高価な品々という響きがある。父の遺品には高価なものといって特にない。それでも、本人には思い入れのある大切なものばかりだったに違いない。

 母が先立ってから、父は我が家の小さな離れに移り住んだ。73歳のころから30年ちかく暮らした。身の周りのことは自分でするといって、食事の準備や洗濯もこなした。気ままにやりたいことをして晩年を楽しんでいた。100歳まで生きる秘訣だったかもしれない。

 機械いじりの好きな父は、自分の車や孫の自転車の整備などにも時間をかけていた。元々が機械工だったので、お手の物だったのだろう。知り合いに頼まれて、電化製品やオーディオなどの簡単な修理もしていた。お寺の仏具などを修理するといって預かっていたこともある。

 親の遺したものをめぐって遺族で争奪戦が勃発するとか、兄弟仲が悪くなるという話を聞く。インターネット上には、遺産相続や遺品整理のトラブルに関する話題が溢れている。残念なことに、妹が早くに逝ってしまって私には他に兄弟がない。高額な遺産や遺品もない。揉め事の心配は無用である。遺品の整理は私一人で済ませた。

 父の遺した物を一つひとつ丁寧に見ていると捨てられない。遺品整理の業者になったつもりで、思い切ってほとんどのものを捨てた。父の居た離れは自転車を整備できる場所にしようと思い、自分で簡単に改装した。父が集めて愛用した工具だけは捨てきれずにそっくりそのまま残した。これが実に重宝である。

 自転車を整備していて、あれば便利だろうと思うような工具は工具箱の中に必ず見つかる。刃物などはきれいに研ぎあげてある。父が横にいて、使い方まで教えてくれる気がする。使っていた人の思いが伝わるように工具が手になじむ。高価ではないが遺品の本当の値打ちをいくつも見つけている。 

夏には夏に
やりたいことを
全部やろうと
欲張っていた

未整理のまま
夏は踏切りを
通り過ぎた

残された者が
遺された物を
探しつづける

取り置く整理か
捨て去る整理か

遺された物の
遺された意味を
掘り出している


2024年8月31日土曜日

「道」を行く

  「八ケ岳に行く予定が、天候がイマイチなので中止。でも、何処かには行きたい。天候が悪くなってもすぐ引き返せる近くの低山に行くことことにした。早朝なら少しはましだろうと山友と午前5時に待ち合わせて竜ヶ岳へLet’s go

 平日の猛暑だからか(略)、山頂は貸し切り状態で誰もいない。あとから登って来て出会ったのは5人だけと鹿の群れ。静かな山頂でのんびり朝食兼昼食を食べて下山した(略)」('24.8.23)

 知人が「YAMAP」というアプリを使って掲載している山行の記録である。歩いたルートの地図、獲得標高や登山の途中で本人が撮影した写真などすべて見ることができる。

 私が自転車に乗るときには、「Cyclemeter」というアプリを使っている。走ったルートや登り下りの標高、走行時間やスピードなどをGPSを使って自動的に記録してくれる。YAMAP」の自転車版である。便利なアプリがあるものだ。

 「YAMAP」の記録にある登り始めから頂上に至るまでの何枚もの写真が臨場感を添える。尾根を行く道、頂上からの眺望、重なった山からわき上がる雲の躍動まで感じ取れる。自分も行ってみたいなどというと、すぐにでもお誘いを受けそうだ。山に登る自信もないのに軽佻なことはいえない。記録を見せてもらって感動だけをメールで伝えた。

 「山道は道幅も勾配も周りの景色も常に変わるから面白い。1週間前とは、昨日とは、見える景色が変わっているというのが楽しいです。自転車で走っているのもよく似た感覚があるのではと想像します。これが自動車だと「道」ではなく、早く目的地へ行くための「道路」であることが多いですよね。(略)ゆっくりも悪くないな、乙なものだなと思います。」という返信があった。

 なるほど、「道」を行く楽しみ。径を捜し、道を行き、少しは倫にも気づく。同感です。ゆっくりも悪くないです。乙なものです。

午後の通り雨を
やりすごして
また走り出す

同じ道を行っても
出会うものがちがったり

同じ場所を目指しても
辿る道がちがったり

あなたにはあなたが
わたしにはわたしが
見ようとするもの
あなたにはあなたに
わたしにはわたしに
見えてくるもの

同じ道を行っても
あなたにはあなたの道
わたしにはわたしの道

2024年8月24日土曜日

瞬間記憶能力

  久しぶりに通った道で、春先にお母さんと一緒にいる男の子と出会ったのを思い出した。赤いメルセデスベンツの小さな自動車に跨っていた。ぶつかるといけないので、早くに停まってすれちがうのを待った。男の子は脚で蹴って進むおもちゃの自動車の座席の下に、捕まえたモンシロチョウを入れていた。見せてくれたチョウの姿がはっきり残っている。

 山の中の下りのコーナーへ速いスピードで進入するときに、40年も前の情景が突然現れた。前を走っているオートバイに乗った友人の左足が見えた。記憶に残っていた瞬間の動きだ。左足がギアのペダルの操作をミスして、後輪がわずかに横に滑った。確かにこのコーナーだった。自転車で走っているにもかかわらず、オートバイに乗っている瞬間が見えた。

 瞬間記憶能力(カメラアイ)とは、カメラのように一瞬のできごとや情報を記憶する能力をいう。発達障害の一部の人々(特に自閉症スペクトラムのある人)は、このカメラアイの能力を持っていることが報告されている。脳が情報を処理する方法が異なるためで、視覚的な情報に敏感で、一見しただけで複雑なパターンや細かいディテールを記憶することができる。

 優れた芸術家の中には、カメラアイの特性を持っている人がいる。山下清、三島由紀夫などが例に挙げられる。洞察力や細部への注意は、革新的な創造性を発揮する。半面、この能力が強いと、他のスキル、特に社会的コミュニケーションや多くの情報を同時に処理する能力に影響を及ぼすこともあるといわれる。

 自転車で走っている情景がはっきりと残ったり、もうせんに走った場所の記憶が鮮やかに蘇えったりすることがある。自分が特に瞬間記憶能力に優れているとも思えない。自転車のほどよいスピード感や高揚感が、記憶を定着させ、あるとき不意に再生させるのだろうか。不思議な現象ではある。

折り重なった
記憶の襞を辿る

夏の記憶が
海に向かって
伸びている

記憶の川が
日照りに乾いている

涸れた川の底に
遠い記憶が
張り付いている

涸れた川の底を
遠い記憶を捜して
遡ってみる


 

2024年8月17日土曜日

『Always 三丁目の夕日』

  懐かしい映画である。というか、懐かしさを醸し出している映画である。三部作を改めて全編観た。映画に描かれる昭和の夏は今ほど暑くなかったのか。夏の場面では扇風機が主役で、冷蔵庫は氷の塊を使用するものが登場する。

 時代設定は東京タワーが完成間近の昭和33年。物語の中心になる鈴木オートという自動車修理店の長男一平は下町の小学生だから私と同い年くらいだ。映画の中の一平と私は同じ時代を生きている。

 映画が撮られたのは平成17年なので、後付けでこしらえた「昭和」感は否めない。石原裕次郎や小林旭が活躍する本物の昭和時代や、『男はつらいよ』第1作のころのようなありのままの「昭和」とは少し違う。あえて作った「昭和」だからこそ強調されていて面白いところも随所にある。

 中学を終えた星野六子は集団就職で上京し鈴木オートに勤める。履歴書の特技欄には自転車修理と書いていた。個人経営の社長は自動車修理が得意だと早合点して採用を決めた。

 車の修理は全くできない六子に出番が来る。ブレーキが効かずに町内を暴走する煙草屋のおばさんの自転車を修理するシーンだ。前ブレーキのロッドを六子が器用に調整する。前ブレーキの調整だけというのは、いかにもという感じもがするが、懐かしい情景だ。ロッド式ブレーキの自転車を見ただけで十分に感動する。

 『続・三丁目の夕日』では、一平が大人用自転車に三角乗りをして登場する場面がある。フレームの間に片脚を入れる乗り方だ。今では知らない人が多いだろう。ほんの短いシーンだが、これだけで時代を共有できる。自転車に興味がなければ見落としてしまいそうだが、まちがいなく「昭和」の時代を表現するのに自転車が一役買っている。

時代をとおり抜ける

時代を映している

時代を刻んでいる

時代を懐かしんでいる

自転車を透かして
時代を見ている