「教え子の自転車」で最後の授業にふれたので、その授業の内容を紹介しておく。これは番外編。
最後の授業に、ギリシア人の歌手ジョルジュ・ムスタキの『ヒロシマ』という曲と、嵯峨信之の詩『ヒロシマ神話』を題材として選んだ。どちらもいつかは三年生のみなさんと一緒に考えてみたい題材だった。ムスタキの『ヒロシマ』は、初めて自分が教職に就いたころに聴いていた曲である。妹がレコードを買ったのだと思う。三十七・八年前のことである。『ヒロシマ神話』には三年ほど前に出会った。『詩の授業 中学校』という本に収録されている。
毎年、原爆の日には全校平和集会を開いているので、いつかはこの歌と詩を題材に授業をしたいと思っていた。三年生の修学旅行が広島方面に決まったときには、それぞれの学級で時間をもらって、授業をさせてもらおうと考えた。ところが、修学旅行の前後の取組で、三年生のみなさんは、原爆について、被爆者について、あるいは戦争と平和について、テーマを決めて学習を深めていった。私が授業をさせてもらう余地はなかった。
これまでにも、題材はちがったが、自習の時間などに授業をさせてもらったことがある。私が選んだ題材を持ち込んで授業をさせてもらうのだから、生徒のみなさんにとっては迷惑だったかもしれない。それでも、普段とはちがう授業者が、教科書の内容とはちがったものを、切り口を変えて取り上げるのだから、多少は新鮮に受け取ってくれた人もいると思う。
二月の学校公開の日に、三年生の全クラスで、教職生活最後の授業をさせてもらおうと考えた。生徒の保護者にはかつての教え子がいて、一緒に授業を受けると言ってくれた。時期も題材も私が一方的に選んだものではあったが、生徒のみなさんはこれまでの学習の成果を生かして、授業の中でいろいろな考え方を展開してくれた。平和への想い。人を大切にするということ。たくさんの意見を出してくれた。最後の授業で、これまであたためつづけてきたことを実現できた。授業をしながら至福のときを味わわせてもらった。これからさき、教壇に立って授業をすることはない。 2012. 2. 6
最期の勤務校のPTA広報誌に載せてもらった記事をそのまま引用した。
自分の授業の記録を残しておいたり、それを発表したりしようというのは教員根性である。37年も教員をやってきたのだから、いまだにその習い性が抜けない。
最期の授業というと、フランスの小説家、アルフォンス・ドーデの短編小説『最後の授業』を連想する。私の最後の授業はそれほど崇高なものではないが、私の中にはいつまでも残っている。
今回、自転車から完全に離れてしまった。
より道、まわり道をするのも、自転車ならではというところか。
より道、まわり道をするのも、自転車ならではというところか。
新型コロナウィルスの蔓延で、今年の春はこころおだやかでない
それでも、今年も花は咲いた
私が学校を去った年の春も花は咲いていた 写真は、当時のもの |
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時は過ぎていくが、花は同じ場所で咲きつづけていることだろう 最期の勤務校の校舎に臨む 写真は同じく当時のもの |
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『ヒロシマ』が収録されたムスタキのCDジャケット |
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『詩の授業 中学校』明治図書のページ |
教員として最後の授業に、現3年生の親であるかつての教え子も招待するなんて実に素敵な先生です。授業の題材も『平和』をテーマにしています。こんな先生に教えられたら、その後の人生の味付けがかわったでしょうね。ところで、ムスタキのことが紹介されていたので、とても懐かしくなり、思わず2階へ上がりレコードケースを漁って見つけました。昔からレコードを買うとすぐに購入日等を書き込む癖があります。1974.4.26。オウム堂。21歳、私が大学4年生、東京にいる時です。今、ムスタキのレコードを流しながら、あの頃の情景や心情を思い浮かべています。・・・コメントがエンドレスになるので、やめます。でもこれまでのブログを見てもMARIO・BIKEさんと共通項がかなりあるなあと、嬉しく思います。このペース?で気ままに書き続けてくださいませ。無理をしないで。
返信削除べーえんべーさん、コメントありがとうございます。子どもたちと一緒に授業を練り上げるのが教員の原点だと思うので、校長をしているときも、時々は時間を見つけて授業をさせてもらっていました。職場の先生たちにも授業を見てもらったりして…。それにしても、ムスタキのレコードをお持ちとは…。改めて聴いてみると、感慨もひとしおです。同じ世代は、生活背景や文化も共有しているということですね。
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