自転車のこと一つとっても、人によって拘るところが違うようだ。拘泥するなどというと、何だか悪い拘りのような語感がある。泥沼にはまっているような、泥がこびりついているような、という連想をするのは自分だけだろうか。何かに拘って、突き詰めようとすることは悪いことではない。むしろ、モチベーションを高めることになる。
はじめてスポーツバイクに乗り始めたころは、走行距離に拘っていた。1日に何キロ走れるか。どこまで自転車で行けるか。走り始めてみたら、案外遠くまで行けるので、それが面白くなったのである。それまでは、自転車を通学に使ったり、近所へ買い物に行くときや村の寄り合いに乗って行ったりするくらいしか考えられなかった。せいぜい4~5㎞も乗ればいいところだろうというのが、自転車のイメージだった。
クロスバイクを手に入れて乗り始めたら、20㎞、30㎞は簡単に乗りつづけられることが判った。1日中走っていられるし、そうすれば、走行距離は100㎞を超える。走行距離への拘りである。
自転車に乗って出かけるようになると、同じような自転車に乗っている人と出会う。自転車を見せてももらったり、話を聞いたりしていると、自転車そのものへの拘りに気づく。雑誌や自転車に関する書籍も買い込んで、いろいろな部品や用品にも拘り始める。少しレトロな感じのする自転車がいい。年齢相応の雰囲気がある自転車に乗りたい。自転車を自己流で改造するという拘りである。
それほどスピードを出すわけではないが、少しは速く、遠くまで行きたいと思って、ロードバイクも手に入れることになった。舗装路ばかりでは物足りない。荒れた山道へも入って行きたい。そう思ってマウンテンバイクも買ってしまった。用途の違う自転車を試したいという拘りである。
次から次へと、拘ることが湧いてきてきりがない。新しいものを求め、のめり込むのはいいが、厳に慎まなければならいないことがある。他の人に自分の拘りを押し付けることである。ロードバイクでないと自転車ではないとか、マウンテンバイク以外の自転車に乗っているものは自転車乗りではないと主張をする人もあるようだ。人には人の、事や物への拘りがきっとある。自分と同じであることを人に求め、強要し、自分の拘りを吹聴するのはあまり格好がよろしくない。
自転車と付き合っているうちに、それとも、自転車に付き合ってもらっているうちに、拘ることが増えてきた。その拘りも自分だけの密かな楽しみということにしておかないと、顰蹙を買うことになりそうだ。 趣味などというようなものは、拘りのかたまりである。拘りも嗜みのうちくらいにしておきたい。執着し過ぎて泥沼にはまり、頭だけ出しているようではつまらない。
冬にこだわって 冬に分け入る |
冬にこだわって 冬の道を行く |
冬にこだわって 冬の里山を巡る |
冬にこだわれば 冬の展望 |
冬にこだわれば 冬の清澄 |
冬には冬のざわめき 遠くに少年たちの 声がきこえる |
なるほど。一つのことを極めるには、こだわりが必要ということですね。
返信削除趣味とはこだわりの究極の世界ともいえます。やはり、何事も中途半端はいけません。
私自身の人生をを振り返ると、付和雷同若しくは優柔不断、事なかれ主義で生きてきた気がします。
だから、拘りを追求する趣味など、すぐには思い浮かんできません。
が、唯一あるとすれば、服装への拘りです。20代からトラッドファッションに惹かれ、現在アラ古希を迎えるも、じじクサイ服装は一切しないように心がけています。
VANジャケットincから始まり、JPRESS、RALPH LAUREN、TOMMYその他、40年以上トラッドブランドを意識して着こなすのが唯一の趣味といえます。
MARIOさんの仰る拘りの境地にはほど遠いものですが、この世からおさらばするまで続けられたら本望かなと思い、これにはこだわり続けたいと思っています。
拘るというのはどういうことか、ちょっと考えてみただけなのですが、べーえんべーさんのファッションへの拘りは筋金入りですね。私の拘りなど足許にも及びません。
返信削除一つや二つ拘るものがないと生活の重心が定まらないですね。
わたしは、自転車に出会うまでは無趣味で、何でもちょっとやりかけてはすぐやめてしまうことばかりでした。自転車にだけは、自分でも不思議なくらいはまっています。べーえんべーさんの服装への拘りほど年季が入っているわけでも、本物に近いわけでもありませんが、しばらくは拘り過ぎない程度に拘りつづけるようと思います。