台風7号が我が家に近いところを通り過ぎた。雨、風ともにかなりひどかった。甚大な被害を受けられた方もあって、通り過ぎたことを喜んでばかりもいられない。
子どものころ、「たいふういっか」と聞いて、「台風一家」だと思っていた。台風のように波風を立てて、争いの絶えない家族、または、騒々しい人ばかりのうるさい家のことをいうのだと、勝手に解釈していた。
では「台風一家のすがすがしい秋晴れ」はどうイメージしていたかというと、喧嘩の絶えない家族にもつかの間平穏な時間がおとずれて、家族全員が幸せな気分にひたっていることの喩えだと思っていた。子どものたわいない思い込みとはいえ、少し笑える。
「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀、透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩、女郎花などの上に、よころばひ伏せる、いと思はずなり。格子の壺などに、木の葉をことさらにしたらむやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね」
これは清少納言が『枕草紙』に書いた台風の過ぎたあとの情景である。何ともおっとりとした台風一過の有様である。べーえんべーさんの前回のコメントのように、ヒマワリが「よころばひ伏せ」っていると「いと思わずなり」などと悠長なことはいっていられない。深刻な被害を思うと申し訳がない。
ここしばらくは本格的に自転車に乗っていなかった。台風が過ぎ去ったのをきっかけに、しばらくぶりに自転車に乗ろうと思って出かけた。ひと月半も乗っていなかったので、身体はすっかりなまっている。ペダルを漕ぎ出すのが億劫に感じられる。
走り始めて20分ほどしたところで、こともあろうに後輪のパンクに見舞われた。どうも「台風一家」のようにドタバタしている。台風一過の晴ればれとした気分で自転車に乗れるようになるには、しばらく慣らし運転がいるようだ。
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荒かりつる風のしわざ |
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稲穂が実り始めた |
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野分に耐えて広がる |
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この夏は 夏として 定まらないままに |
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足早に去ろうとしている |
私は高校時代の国語教師が特に嫌いで、ほとんど授業を聴いていなくてあとから苦労したのを覚えています。
返信削除枕草子『野分の段』など、全く記憶にありません。台風の翌日は風情があって趣があるとは、清少納言の神経がわかりません(笑)。自分の庭が一晩で荒れ放題なのに、悠長なことを・・。
MARIOさんの台風一過を台風一家と勘違いしたお話は傑作ですね。私は台風一過の漢字から入ったので、どんな意味なんだろうと考えていた記憶があります。
小さい頃は、勘違いしていた言葉や漢字がいろいろありました。というか、ごく最近までわかっていなかったものもいくつか・・・。
月極駐車場を、月極という会社の駐車場と思ったり。電車が不通になったというのは、特急から普通に替わったと勘違いしたり。おやつの都こんぶを、友達が「とこんぶ」と言っているので自分が間違えていたのかと思ったり。加齢臭をカレー臭と勘違いしたり、数えたらきりがありません。子どもの頃、テレビ番組の主題歌や流行歌を友達と歌っていた歌詞が、あとから思うとけっこう間違えていたり。耳から入る音だけで判断するから、そうなるのでしょうね。
さて、これから9月。野分シーズン到来。なかなか清少納言さんのようなおっとりとした気分にはなれませんが、気温も下がりサイクリストには走りやすい環境になります。季節の移ろいを感じながら、のんびりと走りたいです。
しばらく走っていなかったので、ブログにも変化がないような気がします。というか、いつもそれほど大して変わった中味でもないので、取り立てて言うほどのこともないかもしれないですけど。
返信削除自転車に乗らないということは、出先で写真を撮らないということなので、ブログを更新する際に写真がないという事態も発生しています。
熱中症や台風の影響を心配しなくてもいい季節になったら、また、いろいろなところへ出かけたいと思います。
ところで、べーえんべーさんにも、同じような思い込みや思い違いがあったとお聞きして、安心もしたり思わず笑わせてもらったりしました。こういう勘違いや思い違いを集めたら面白いでしょうね。
「村のわたし(渡し)の船頭さんは、今年六十のお爺さん」を「私の60歳になるお爺さんが村で船頭をしている」と思い込んでいました。ただし、60歳のお爺さんということに違和感はなかったです。今なら70歳でお爺さんといわれても、ちょっと違う気がします。