冬をむかえる

冬をむかえる
'25.1.22 山を見て走る

2025年5月31日土曜日

自転車的金銭感覚について

 自転車量販店やホームセンターの自転車コーナーに置かれている自転車。普段の買い物などに使うようなものであれば、2,3万円で手に入る。最近は電動アシスト自転車も多く見かける。それだと10万円前後というところか。

 日常使いの自転車は、買ってしまえばほとんどお金がかからない。燃料はいらない。税金もかからない。運悪くパンクでもしない限り、金銭的な負担はない。自転車は手軽で安い乗り物というのが一般的なイメージだ。

 趣味で乗るスポーツ自転車ということになると、多少話が違ってくる。入門用のクロスバイクで10万円、少し本格的にということでロードバイクを考えれば、安くても20万円程度のものが欲しくなる。上を見ればきりがない。ロードバイクには、50万円も100万円もするようなものもある。一般的自転車的金銭感覚を大きくはみ出す。 

 知人が、ロードバイクのシフトレバーにつけられたゴムカバーが劣化したので、交換したいとスポーツ自転車専門店で相談した。部品が製造中止になっているので、変速装置まるごと現行型で高性能のものと交換することを勧められた。1020万円必要だといわれたそうだ。

 劣化したゴムの部品は2,0 00円も出せば買える。それがないだけで変速装置全部を交換するのか。高級な自転車を扱う専門店の金銭感覚が違うのか。勧められるままに自転車や部品を買う客の金銭感覚の問題か。普段使いの自転車、お値段3万円、とは全く違う世界だ。

 余計なお節介とも思ったが、知人には廃版になった部品をネットで探すか、流用できる型番の近い部品を試すことを勧めた。出費2,000円程度で何とか抑えたい。高齢者の細々とした趣味である。高価な部品を組んだとしても、自転車にいつまで乗れるのか明日をもしれない。せいぜい実用自転車的金銭感覚でスポーツ自転車を楽しみたい。

ありふれた五月を走る

いつもの場所を訪ねる

ありきたりの走り

これが一般的だと思っているが

これを一般的だと思い込んでいるだけなのか

これは一般的にみても一般的なのか


2025年5月24日土曜日

自転車レースを観戦する

  520日、今年も、「この日、世界がいなべに集う」。ツアー・オブ・ジャパン、いなべステージ。UCI(国際自転車競技連合)公認の国内最高峰の自転車ロードレース大会、都府県をまたぐ唯一のステージレースだ。

 海外7チーム、国内9チーム、96名の選手が参加して、8日間、8つの都市を転戦する。選手たちは毎日100㎞ほどのアップダウンの多いコースで競走し、レースを終えるとすぐに翌日の開催地へ移動していく。

 大会3日目にあたるいなべステージは、三岐鉄道北勢線の終着駅、阿下喜駅前からパレードスタート。その後、114.8㎞のコース8周、パレードラップを含む127㎞で熱戦が繰り広げられる。

 今年も、ご近所の自転車仲間と連れ立ってレース観戦に出かけた。阿下喜駅前をスタートするパレードを見送り、選手集団の後を追うように自転車でレースコースへ向かう。メイン会場のいなべ梅林公園へは既に多くの観戦者が詰めかけているだろう。

 徹底した交通規制がされていて、車や自転車ではコースへ近づけない。日頃走り慣れたなじみの地域なので、小さな集落の間を抜け、田んぼ道を辿ってコース脇まで辿り着く。コースの中間地点辺りは閑散としたものだ。この日、世界が集っているとは思えない静けさだ。

 自分たちなら激坂を含む114.8㎞のコースを1周するのに1時間、休憩もしていると2時間はかかるな。選手は20分で1周するぞ。しかも3時間で127㎞走る間、休憩なしや。最高時速は70㎞を超えているやろ。平均時速は40㎞以上やな。選手たちの激戦をよそに能天気な会話をしながらのレース見物だ。

 レースの成績は着順や走行タイム、前日までの獲得ポイント、激坂ゾーン限定での戦績などで決められる。ルールが複雑でレースの見どころがよく判らない。レース展開がよく理解できないとはいえ、世界の一流選手たちの息づかいが聞こえる場所でレース観戦ができるだけで十分満足だ。最新最高のロードレース用バイクも間近で見られた。至福のひとときだった。

あしたには
ここに世界が集い

そのまたあしたには
誰もいなくなったとしても

動き始めた
世界の流れは
止められない

流れは連綿と続き
ときには先を争い
ときには先を譲る

ときには流れには逆らって
孤高のままに行くのも良い


2025年5月17日土曜日

船で川を渡る

 「村の渡しの船頭さんは 今年60のおじいさん 年はとってもお船を漕ぐときは 元気いっぱい櫓がしなる ソレ ギッチラギッチラ ギッチラコ」

 子どものころに童謡『船頭さん』を聴いても、「村の渡し」の意味が判らなかった。「村の私のおじいさん」が船頭さんをしていると思っていた。60歳が年をとったおじいさんといわれた時代だ。渡し船は、子どもの知識の及ぶ範囲にも生活圏内にもなかった。

何年か前に、自転車で木曽川の左岸を走っていると、「愛知県営西中野渡船場」という道標が目に入った。昨年、知人と二人で同じ場所を通りかかったときには、事務所らしき建物を訪ねてみた。

県道に架かる橋と同じ扱いなので、誰でも無料で対岸の岐阜県側まで渡してもらうことができる。自転車も乗せられる。対岸からこちらへ渡りたい人は、備え付けの白い旗を掲げると、渡船が迎えに行く。何とも悠長なやり方だ。運行中と知って喜んだが、その日は生憎の運休日で乗せてもらえなかった。

 気候がよくなったので、前に一緒に行った知人と二人でこの渡し船で川を渡りに行った。木曽川。長野から岐阜、愛知を抜け、伊勢湾に流れる、総延長229㎞の一級河川。明治の時代には28か所もの渡船場があった。

 今ではただ一か所、西中野渡船場だけが残る。第五中野丸という小さな渡し船に自転車と一緒に乗船させてもらう。サイクリストの利用も多いのだろう。船頭さんにどこから来たのか、どんなコースを走って来たのかと尋ねられる。五月の風が川の上では尚更爽快。

 近々渡し場の上流に新しい橋が架かると、渡し船はなくなる運命かもしれない。風前の灯火。何とも惜しい。

 「雨の降る日も岸から岸へ / ぬれて船こぐ」おじいさんも、「みんなにこにこゆれゆれ渡る どうも御苦労さんといって渡る」乗客もいなくなるのはさみしい。この日、5時間80㎞の自転車旅に、5分間800mほどの小さな船旅が大きな跡を残してくれた。

はるばる街道を辿る

川をめざし
川を渡る

ここでなら渡れる
ここでしか渡れない

向こう岸へ行ってしまった人
向こう岸からやってくる人
帰り船を待ってもどる人

渡し船は訣別
渡し船は邂逅
渡し船ははたまた再会

2025年5月10日土曜日

高齢者小説を読む

  「高齢者用…」「高齢者向け…」ということばや商品が溢れている。高齢者小説というジャンルらしきものまであるのは驚きだ。何でも「高齢者」という冠をつければ世にあふれる高齢者の目を引き、売れる、ということか。反発されて売れ行きが落ちることもあるだろうに。

 高齢者小説などといわれては読む気が失せる、と思っていたが、意外な遠回りをしてその高齢者小説というものを読むことになった。

 始まりは、月刊誌『文藝春秋』に連載されていた京極夏彦の『病葉(わくらば)草紙』という小説だった。京極夏彦といえばおどろおどろしい妖怪の登場する作品が多いと思って敬遠していた。ところが、雑誌に連載されている小説を読んでいると面白い。何が面白いかは省く。

 面白いので、同氏の『書楼弔堂(とむらいどう)4部作を読んだ。これも奇想天外で楽しい。やはり内容は省く。さらに同じ作家の『オジいサン』という小説を見つけた。京極作品にしては趣がちがう。726か月の益子徳一という人物が主人公だ。ここで高齢者小説に辿り着いた。内容は省く。

 かなり前に内館牧子著『終わった人』という小説を読んだことがある。同氏の高齢者小説4部作の第1作目という扱いだ。先月、『すぐ死ぬんだから』『今度生まれたら』『老害の人』という残りの3部作をつづけて読んだ。

 笑わされたり妙に納得させられたりした。詳しい内容は省く。小説の題名からも内容はある程度推察できるだろう。

 とどめに、小説ではないが山極寿一著『老いの思考法』を読んだ。著者は長年ゴリラの生態を研究していた霊長類学者で、「老い」のとらえ方が独創的である。

 高齢者本にはまっていると、高齢者読書沼から抜け出せなくなりそうだ。ここらで一区切りつけたい。一区切りつけたあとで、高齢者自転車に的を絞って調べたり、高齢者自転車を自分で作っみたくなったりするのは、至極当たり前の成り行きかも知れない。

高齢者、小説を読む
高齢者、自転車に乗る

この場合
どんな小説を読んでもいいし
どんな自転車にでも乗れる

高齢者小説を、読む
高齢者自転車に、乗る

この場合
だれが小説を読んでもいいし
乗り手はだれでもかまわない

では、高齢にふさわしいとは
どういうことなのか

そんな定義は放擲して
小説は読めばいいし
自転車は乗ればいい

2025年5月3日土曜日

衝撃に備える

  一時期、衝撃吸収バンパーというものが流行った。自動車の前後に大きくて頑丈なバンパーが取り付けられていた。衝突事故の衝撃をやわらげ、乗員を保護するためのものだ。流行というより北米の規制に合わせたものだったらしい。

 大きなバンパーの突起は歩行者保護を優先するために姿を消した。安全性を高める技術が進み、自動車のスタイルも良くなった。

 自転車の場合、衝突の衝撃を吸収する装置はない。走行中に路面から伝わる衝撃をやわらげる装置もない。マウンテンバイクには前のフォークにバネが使われるものもあるが、普通はない。

 自転車のハンドルを替えると判るが、材質によっては小さな衝撃を吸収してくれるので乗り心地がよい。長距離を乗ると疲労の度合いが違う。ハンドルを長くすればしなりが出て衝撃をいなしてくれるが、無闇に長ければいいというものでもない。危険が伴う。

 サドルを支えるシートポストもいいものは衝撃をやわらげ乗り心地がよくなる。形や材質が振動や衝撃の吸収に影響する。衝撃に備える装置がない自転車でも工夫のしどころはある。

 小さな衝撃はさておき、衝突事故のような大きな衝撃が加われば、自転車はひとたまりもない。正面からぶつかれば身体は前方へ投げ出される。側面から衝突すれば横へ吹っ飛ばされる。むき出しの身体が路面にたたきつけられる。考えたくもない。

 考えたくはないが、どんなに恐ろしいことか想像だけでもしておきたい。若いころなら、身体を丸めて転がり、大きな怪我を避けることができるかもしれない、が、老体では無理だ。安全運転に徹するしかない。

 日々のショッキングな出来事から受ける衝撃に耐える力も年齢とともに衰える。日常の出来事から受ける心の衝撃も、自転車に乗っていて受ける衝撃も予測と対策が要る。できればうまくいなすことを考えておきたい。

いつの間にか新しい季節が来ていたことに
衝撃を受けているといえばそれは本当だ

もうこの歳になれば
衝撃を受けることなどないといえば
それも本当だ


いくつになっても
どこまで行っても

知らないことがあって
知らないものがあって
初めての出会いという
衝撃にも出会うはずだ

とはいえ積み重ねてきた衝撃には
うんざりしているところもあるのだ