’26.5.8 一期は夢よ

2025年2月15日土曜日

案ずるより産むが…

 易かった。マウンテンバイクの油圧ディスクブレーキのオイルを自分で交換するか、どうか。かなり前から思案していた。知人に相談したら、簡単にできるといって、オイル交換用の器具を貸してくれたことまでは前回書いた。気前のいい人なので、新品のブレーキオイルもくれた。こうなったら自分でやらざるを得まい。

 うまくいかないようなら手伝うとも言ってもらったが、忙しい人を煩わせるのも申し訳ない。できれば独力で挑戦してみたい。自転車の部品メーカー、シマノの『ディーラーマニュアル 基本作業書』をネットでダウンロードする。自社製品の取付け方法やメンテナンスの方法が図解入りで説明してある。メーカーの指定通りの整備をすれば間違いないはずだ。

 インターネット上にもオイル交換の方法を解説した記事や動画は多い。いとも簡単にできるとか、シマノのマニュアルにはない裏技があるとか、眉唾ものの内容には注意したい。

 基本作業書を見て、実物のブレーキを観て、さて、交換作業を始めるかどうか。まだ迷っている。いつまで案じていてもきりがない。ブレーキレバーの根元にあるオイルタンクとブレーキ側でパッドを押すキャリパー、それをつなぐ管、その中のオイルを抜いて新しいオイルを注入する、だけのことではないか。

 思い切ってやり始める。小さなタンクのキャップを外しキャリパーの栓(ブリードニップル)を緩める。キャリパー側からオイルが流れ出てしまうのを待つ。後は、注射器のような器具(シリンジ)で新しいオイルを注入する。

 上のタンクからオイルが溢れるまで注入し、オイルの中に混じった気泡をシマノの作業書通りに抜いたら作業は完了。子どものころに竹で作った水鉄砲の水がうまく飛ぶように工夫したのとよく似ている。案外簡単に作業ができた。その結果、ブレーキの効きはかなり良くなった、ように思える。

沈思黙考といえば
体裁はいいが
踏ん切りがつかないだけだ

すわっていないで立ち上がり
立ち尽くしていないで動きだす

進退窮まるというけれど
そう簡単に極められない

居場所を変えれば
見え方が変わる

案じている間は
不安ばかりが先の方に見えていて
安穏はそのまた先にしか見えない


2025年2月8日土曜日

さて、どうしたものか

  ロードバイク、クロスバイク、それにマウンテンバイクと3種類の自転車をもっている。3台のうちマウンテンバイク(MTB)だけはブレーキのしくみがちがっている。

 油圧ディスクブレーキといわれるもので、最近はスポーツ自転車の主流になりつつある。ワイヤーでブレーキを引っ張るのではなく、オイルの圧力でブレーキを押し付ける。油圧を受けたブレーキパッドという部品が、車軸に取り付けられたディスク(円盤)をはさんで車輪の回転を止める。

 油圧ブレーキは小さな力で確実にブレーキを効かせられる長所がある。使われているオイル(フルード)がブレーキの摩擦熱で変質したり、経年劣化したりするという短所もある。ブレーキオイルの定期的な交換が必要だ。

自動車やオートバイは車検の際にブレーキオイルの交換を勧められる。自転車は車検がないので、気にしなければそのまま乗りつづけてしまう。ほんとうは2年に一度、頻繁に乗るなら走行距離2,000㎞くらいで交換するのがいいらしい。オイルの交換を怠るとブレーキの効きが悪くなり危険だ。

 私のMTBは新車から3年、6,000㎞走ったころに自転車屋さんで交換してもらった。かなり管理がずさんだ。オイル代500円程度を含んで、料金は6,600円だった。

 それからまた3年、1万㎞くらい交換せずに走っている。さすがにこれはまずい。自分で交換できないかと思案していたら、ご近所の知人がブレーキオイル交換用の器材を貸してくれた。オイルを注入する注射器様の器具、交換時にあふれるオイルの受け皿や容器とビニール管。これを使えば交換は簡単にできるとのことだが、自分にもできるかどうか。

 せっかくなので自分でやってみるか。かなり複雑な作業なので工賃を払ってもプロに任せる方が安心か。さて、どうしよう。知人に借りた器材とMTBのブレーキを交互に眺めながら考えている。

さて、これからどこへ行こうか

はて、これは何だったのか

さあ、何が見えるか

さて、はて、さあ、と前置きして
自分に問いかけてみる

日に何度も繰り返す問いかけ
あるいは突然に来る問いかけ

2025年2月1日土曜日

行かずに死ねるか

  石田ゆうすけ著『行かずに死ねるか!世界95000㎞ひとり旅』(2003年、実業之日本社)という本を読みなおした。加筆、訂正された文庫版(2007年)で読んだ。古い旅行記ではあるが今読んでも面白い。自分では絶対にできないことを追体験させてくれる。

 筆者は19957月にアラスカから自転車旅を始める。自転車に積む荷物は「バッグが6つ。キャンプ用具に防寒具、着替え、文庫本に辞書、カメラ、工具、薬、全部で40キロ以上はあるだろうか」。走り始めると自転車のコントロールがきかない。「『こ、これで走って行くんか』、これは考えていたほどロマンチックな旅じゃないぞ」。旅はこんな具合で始まる。

 北米大陸を抜けて南米ペルーに入った2年目には強盗に襲われる。銃を突き付けられ、死を覚悟する。「自転車だけは残してくれ」という懇願が通じて何とか生き延びた。心温まるいろいろな国の子どもたちとのふれあいや日本人の自転車旅仲間との出会いなど、エピソードに事欠かない。旅も5年目になるアフリカ、ギニアではマラリアに罹り、タンザニアのサバンナでは自転車でキリンを追いかける。

 旅行記の中の著者の独白は関西弁で親しみがわく。近所のお兄ちゃんが、ああだこうだ言いながら過酷な旅を続けているのに付き合っているようだ。命を脅かされるような目に何度も合いながら、「行くしかないわな」「無理せんでええよ」と言ってつづける旅を思わず応援したくなる。

 自転車旅の終盤は中東からアジアを走り抜け、75ヶ月、走行距離94494kmで幕を閉じる。訪問国87ヵ国、パンク回数184回、使用タイヤ37本。膨大な記録とそれが正確に残されていることに驚く。 

 先週、私の自転車の走行距離が10万㎞を越えた。自転車に乗りはじめて12年半になる。この本のような大冒険には比ぶべくもないが、まだまだ死なずに行ってみたいところもある。

人跡未踏の道に踏み込む危険
人の行き交う道にもある危険

未開の道を行く慄き
整備された道の危うさ

手なづけられた食料

いつでも手に入るという慢心

飼い慣らされた風景の中を
遠い野生を想って走る

少し遠出をする
想いだけはその先へ
海を渡っていく

2025年1月25日土曜日

トレッドパターン

 マウンテンバイク(MTB)のタイヤを新しいものに替えた。ぬかるんだ場所や未舗装の砂利道、山道、大きな石の上も走れるような太くて頑丈なタイヤだ。タイヤの接地面(トレッド)にキャラメルを並べたような凸凹のタイヤは文字通りキャラメルブロックと呼ばれる。

 タイヤのトレッドには溝が刻まれている。トレッドパターンといわれる。縦の溝が強調されたリブ型は直進安定性が高く横滑りしにくい。横溝を深く切ったものはラグ型で、駆動力や制動能力が高まる。

 両方の特性を生かすために縦溝と横溝を併せもつリブラグ型というタイヤが多く使われる。自動車のタイヤを観るとトレッドパターンがよく判る。自動車のタイヤは太くて重いので走行中に発生するノイズや燃費にも影響する。タイヤメーカーは新しいパターンの開発に躍起である。

 話はMTBのタイヤにもどる。よほど興味のある人でないかぎり、自転車のタイヤのトレッドパターンを気にすることはないだろう。ところが、わずかな脚力で走る自転車にとって、タイヤの選択は切実な問題なのだ。

 今回MTBのタイヤをキャラメルブロックのものから、縦溝を強調した連続パターンのものに替えてみた。タイヤが新しいし、材料のゴム質にも違いがあるだろうが、とにかくたいへん軽くなった。安定感もある。大きなブロックの発生する音がない。乗り心地がジェントルだ。

不整地の走りは試していないが、遜色がないことを期待する。自転車のタイヤは自動車より体感しやすいこともあって、効用がよく判る。トレッドパターンの違うものに交換すると乗り味も変化して面白い。

 ブランデーの銘柄「V.S.O.P. ( Very Superior Old Pale)をもじってVery Special One Patternという、進歩のない同じことの繰り返しや親父ギャグを揶揄する言い回しがあった。自転車のタイヤ選びも、自転車の乗り方そのものも、ワンパターンに陥らないよう心したい。 

パターンとは
模様 紋様 態様
タイヤのための幾何学

パターンとは
形姿 形状 形態
タイヤの求める力学

パターンが轍を辿り轍を刻む

パターンが路面に反発し路面に馴染む

パターンは連綿とつづき無限に広がる


    
  

2025年1月18日土曜日

年の初めの

 私が子どものころ、1月1日は小学校の登校日だった。全校児童が集まって、「年の初めのためしとて 終わりなき世のめでたさを 松竹立てて門ごとに 祝う今日こそめでたけれ」という歌を斉唱した。これは11日』という歌で、「いちがついちじつ」とか「いちげついちじつ」というのだと随分後になって知った。 

 歌詞の二番は「初日の光さしいでて 四方に輝く今朝の空 君が御影に(たぐえ)えつつ 仰ぎ見るこそ尊とけれ」という前時代的なものだ。小学生には意味が皆目わからない。戦後もこんな歌が歌われていたのか。歌詞を考えると斉唱は一番だけだったかもしれない。

 元日の登校日には紅白の饅頭が配られた記憶がある。併せてノートを1冊もらった年もあった気がする。親たちが貧しくて忙しい時代、学校が年中行事を執り行ってくれていた、のだろう。

 今年も、元旦には年の初めの(ためし)として自転車で日の出を見に行った。まさか「君の御影に置き換えて仰ぎ見る」わけではない。ご来光を拝むという信仰心からでもない。朝早く起きられるか。起きたら自転車で寒風の中をまずは15㎞ほど走る気力があるか。気力はあったとして走る体力もあるか。年の初めの「ためし=例」というよりは、年の初めの「試=ためし」、である。

 先週は椿大社まで走り、今週は熱田神宮へ行った。初詣というわけではない。これも年の初めの試である。少しずつ距離を伸ばして走るのにちょうど良い目的地なのだ。初日の出往復30㎞、椿大社50㎞、そして熱田神宮85㎞。

 「一年の計は元旦にあり」、「今年もいろいろなことに挑戦し、みんなでいい年にしましょう」。小学校の元日の登校日、歴代の校長先生方は全校児童に向けてこんなお話をされたのではなかったか。年の初めに何か試しておきたいという想いは、きっとその当時に刷り込まれたのだ。 

新しい年の初めは
どこにあるのか

ペダルを踏みだすときが
始めるときだ

ペダルを踏みつづければ
こんなところまで来る

あんなところまで行ける

いつとは決めず
どことも決めず
走りつづけることだけ
決めておけばいいのだ

2025年1月11日土曜日

リアカーの思い出

 アッ、リアカー、今も使われているのか。自転車で通り過ぎた民家の軒先に立てかけられているリアカーを見つけた。空き家のようなその家の縁側には、花柄の毛布が干され、横には草を刈る刈払機が立てかけられていた。

 覗き見したわけではない。何ともシュールな光景が目にとまった。ミシンとこうもり傘が解剖台の上で出会う、シュールレアリストのマン・レイの作品のような組み合わせだ。日常にはありえないようなものの組み合わせや出会いは、シュールレアリズムのディペイズマンという表現手法だ。

 古い民家にリアカー、日差しを受けた柔らかな毛布と草刈り機、異なる時間や質感の出会うディペイズマン。もうリアカーがどんなものか知らない人も多いだろう。自転車のうしろに取り付けて荷物を運ぶのに使った。自転車のリアにつけるカーという和製英語らしい。

 子どものころ、行商のおばさんが魚や果物を積んだリアカーを引いて軒先まで売りに来た。ポン菓子を作る機械をリアカーに乗せたおじさんはお寺の前で商売を始めた。いつもとは違う人や物がリアカーと一緒にやって来るのが嬉しかった。

 私が小学校に上がってしばらくして、父が机を手に入れてくれた。友人から譲り受けたのか、中古品を買ったのか。町まで父に連れられて机を取りに行った記憶がある。子ども心に随分遠くまでリアカーを引いていったような気がしている。

 今の子どもたちが使うような学習机ではない。大きくてところどころ瑕もついていた。私は机が落ちないようにリアカーの上でそれを支えた。未舗装の道路をリアカーに揺られて家まで帰る途中、人に見られるのが恥しかった。新品の机でもない。私はとてもいやだった。机を家に持ち帰えれば子どもが喜ぶだろうと思ってペダルを踏む父の気持ちが今は判る。父と自分のいる昔を今の私が眺めている。時間と場所のディペイズマンだ。 

写真は「Wikipedia」より
ものを運び人を運んだ
夢や期待を運んだ
落胆や失望も運んだ

見慣れているのに
新しい風景

新しいはずなのに
見慣れた世界

そこには私もいたのか

私は別の次元から
のぞいているのか

2025年1月4日土曜日

午前7時1分

  202511日の日の出の時刻を調べた。初日の出を見に行く桑名市では7120秒。元旦、日の出の時刻は意外に遅い。

 朝には弱いが5時には起きた。6時に家を出れば、毎年初日の出を見る揖斐川の河口まで15lmほどの距離なので充分余裕がある、はずだった。

 前日には天気予報を気にしながら、普段使わない自転車の前照灯を準備した。昨年、ハンドルを交換したクロスバイクには前照灯がうまく取り付けられない。今年は初めてロードバイクで行くことにした。

 バックライトは出発前に取り付けようと思っていた。これがまずかった。取り付けに思わぬ時間がかかった。出発するころには6時を10分過ぎていた。このままでは日の出の時刻に間に合わない、かもしれない。

 走行会の仲間に、初日の出を見に行くなら通りがかりのコンビニで合流しようといってあった。一人でも合流場所へ来る人がいたら待たせることになる。気が急く。

 幸い、というか残念なことにというか、元旦の暗いうちから一緒に走ろうという酔狂な人はいなかった。誰も待たせることはなかったが、日の出も私を待ってはくれない、焦る。

 東の空が明るくなり始め、路面もはっきり見えるようになったのでスピードを上げた。例年初日の出を見る場所へ655分に到着できた、間に合った。日の出と自転車の写真を撮る場所を決めた。このとき「今年も来ていますか。今、何処ですか」というメールが届いた。

 昨年スポーツ自転車に乗りはじめたという教え子からのメールだった。私が日の出を見に来るだろうと目星をつけて、自転車で逢いに来てくれたのだ。私の居る場所をメールで伝えた。

 太陽が昇りはじめたちょうどそのとき、1台の自転車が近づいて来た。予期せず合流してくれた新しい自転車乗りとふたりで初日の出を迎えた。午前7時1分、今年が動き始めた。

時間の円環をぬけて
新しい時間が流れる

歳月の紆余曲折を経て
優美な曲線を描きながら
新しい時間が流れる

心は急かれながらも
静寂を楽しみ
やがて来る時を待つ

ようやく出会えた出会い
新しい時間が流れ始める

今年が始まる
今年を始める