’26.5.8 一期は夢よ

2025年1月18日土曜日

年の初めの

 私が子どものころ、1月1日は小学校の登校日だった。全校児童が集まって、「年の初めのためしとて 終わりなき世のめでたさを 松竹立てて門ごとに 祝う今日こそめでたけれ」という歌を斉唱した。これは11日』という歌で、「いちがついちじつ」とか「いちげついちじつ」というのだと随分後になって知った。 

 歌詞の二番は「初日の光さしいでて 四方に輝く今朝の空 君が御影に(たぐえ)えつつ 仰ぎ見るこそ尊とけれ」という前時代的なものだ。小学生には意味が皆目わからない。戦後もこんな歌が歌われていたのか。歌詞を考えると斉唱は一番だけだったかもしれない。

 元日の登校日には紅白の饅頭が配られた記憶がある。併せてノートを1冊もらった年もあった気がする。親たちが貧しくて忙しい時代、学校が年中行事を執り行ってくれていた、のだろう。

 今年も、元旦には年の初めの(ためし)として自転車で日の出を見に行った。まさか「君の御影に置き換えて仰ぎ見る」わけではない。ご来光を拝むという信仰心からでもない。朝早く起きられるか。起きたら自転車で寒風の中をまずは15㎞ほど走る気力があるか。気力はあったとして走る体力もあるか。年の初めの「ためし=例」というよりは、年の初めの「試=ためし」、である。

 先週は椿大社まで走り、今週は熱田神宮へ行った。初詣というわけではない。これも年の初めの試である。少しずつ距離を伸ばして走るのにちょうど良い目的地なのだ。初日の出往復30㎞、椿大社50㎞、そして熱田神宮85㎞。

 「一年の計は元旦にあり」、「今年もいろいろなことに挑戦し、みんなでいい年にしましょう」。小学校の元日の登校日、歴代の校長先生方は全校児童に向けてこんなお話をされたのではなかったか。年の初めに何か試しておきたいという想いは、きっとその当時に刷り込まれたのだ。 

新しい年の初めは
どこにあるのか

ペダルを踏みだすときが
始めるときだ

ペダルを踏みつづければ
こんなところまで来る

あんなところまで行ける

いつとは決めず
どことも決めず
走りつづけることだけ
決めておけばいいのだ

2025年1月11日土曜日

リアカーの思い出

 アッ、リアカー、今も使われているのか。自転車で通り過ぎた民家の軒先に立てかけられているリアカーを見つけた。空き家のようなその家の縁側には、花柄の毛布が干され、横には草を刈る刈払機が立てかけられていた。

 覗き見したわけではない。何ともシュールな光景が目にとまった。ミシンとこうもり傘が解剖台の上で出会う、シュールレアリストのマン・レイの作品のような組み合わせだ。日常にはありえないようなものの組み合わせや出会いは、シュールレアリズムのディペイズマンという表現手法だ。

 古い民家にリアカー、日差しを受けた柔らかな毛布と草刈り機、異なる時間や質感の出会うディペイズマン。もうリアカーがどんなものか知らない人も多いだろう。自転車のうしろに取り付けて荷物を運ぶのに使った。自転車のリアにつけるカーという和製英語らしい。

 子どものころ、行商のおばさんが魚や果物を積んだリアカーを引いて軒先まで売りに来た。ポン菓子を作る機械をリアカーに乗せたおじさんはお寺の前で商売を始めた。いつもとは違う人や物がリアカーと一緒にやって来るのが嬉しかった。

 私が小学校に上がってしばらくして、父が机を手に入れてくれた。友人から譲り受けたのか、中古品を買ったのか。町まで父に連れられて机を取りに行った記憶がある。子ども心に随分遠くまでリアカーを引いていったような気がしている。

 今の子どもたちが使うような学習机ではない。大きくてところどころ瑕もついていた。私は机が落ちないようにリアカーの上でそれを支えた。未舗装の道路をリアカーに揺られて家まで帰る途中、人に見られるのが恥しかった。新品の机でもない。私はとてもいやだった。机を家に持ち帰えれば子どもが喜ぶだろうと思ってペダルを踏む父の気持ちが今は判る。父と自分のいる昔を今の私が眺めている。時間と場所のディペイズマンだ。 

写真は「Wikipedia」より
ものを運び人を運んだ
夢や期待を運んだ
落胆や失望も運んだ

見慣れているのに
新しい風景

新しいはずなのに
見慣れた世界

そこには私もいたのか

私は別の次元から
のぞいているのか

2025年1月4日土曜日

午前7時1分

  202511日の日の出の時刻を調べた。初日の出を見に行く桑名市では7120秒。元旦、日の出の時刻は意外に遅い。

 朝には弱いが5時には起きた。6時に家を出れば、毎年初日の出を見る揖斐川の河口まで15lmほどの距離なので充分余裕がある、はずだった。

 前日には天気予報を気にしながら、普段使わない自転車の前照灯を準備した。昨年、ハンドルを交換したクロスバイクには前照灯がうまく取り付けられない。今年は初めてロードバイクで行くことにした。

 バックライトは出発前に取り付けようと思っていた。これがまずかった。取り付けに思わぬ時間がかかった。出発するころには6時を10分過ぎていた。このままでは日の出の時刻に間に合わない、かもしれない。

 走行会の仲間に、初日の出を見に行くなら通りがかりのコンビニで合流しようといってあった。一人でも合流場所へ来る人がいたら待たせることになる。気が急く。

 幸い、というか残念なことにというか、元旦の暗いうちから一緒に走ろうという酔狂な人はいなかった。誰も待たせることはなかったが、日の出も私を待ってはくれない、焦る。

 東の空が明るくなり始め、路面もはっきり見えるようになったのでスピードを上げた。例年初日の出を見る場所へ655分に到着できた、間に合った。日の出と自転車の写真を撮る場所を決めた。このとき「今年も来ていますか。今、何処ですか」というメールが届いた。

 昨年スポーツ自転車に乗りはじめたという教え子からのメールだった。私が日の出を見に来るだろうと目星をつけて、自転車で逢いに来てくれたのだ。私の居る場所をメールで伝えた。

 太陽が昇りはじめたちょうどそのとき、1台の自転車が近づいて来た。予期せず合流してくれた新しい自転車乗りとふたりで初日の出を迎えた。午前7時1分、今年が動き始めた。

時間の円環をぬけて
新しい時間が流れる

歳月の紆余曲折を経て
優美な曲線を描きながら
新しい時間が流れる

心は急かれながらも
静寂を楽しみ
やがて来る時を待つ

ようやく出会えた出会い
新しい時間が流れ始める

今年が始まる
今年を始める

2024年12月28日土曜日

鈴鹿の山々

 祖母も母も西の山と呼んでいた。西の山にかかる雲の様子で天気を占っていた。天気占いはほぼ当たっていた。

 我が家から西方を眺めると鈴鹿山脈が連なる。山並みを縦走する登山大会を近畿日本鉄道が沿線のPRに使った。七つの頂をセブンマウンテンと呼んだ。低すぎず高すぎない山々の姿には親近感がわく。若いころ、近鉄のどの駅でもセブンマウンテンを紹介するポスターが御在所岳のロープウエイとセットで貼られていたのを思い出す。

 自転車で走るときにもこの山並みを眺めて走ることが多い。どの辺りを走っているのか、方角と距離の目安になる。セブンマウンテンの北の端、藤原岳と隣の竜ヶ岳からはいなべ市から桑名へ下る谷だ。その南、釈迦ヶ岳と御在所岳は菰野町から四日市方面へ、更に南の鎌ヶ岳、雨乞岳、入道ヶ岳は鈴鹿市方面へそれぞれいくつもの川が流れている。山の姿を見ながら川を渡れば、家からどれくらいの距離にいるかつぶさにわかる。

今週、今年の走り納めに走行会仲間と椿大社へ行くことを計画した。いつもの集合場所は藤原岳の裾野にあたる。そこから、竜ヶ岳、釈迦ヶ岳の麓を過ぎ、鎌ヶ岳と入道ヶ岳が大きく見え出したら山側に方向をとればどの道を行っても椿大社に着く。生憎、この日は雲行きから判断して、山裾が時雨れていそうなのでコースを変更した。鈴鹿の山並みを見ながら天候を占い、自転車のコースを自在に変えるには古くからの知恵が生きる。

 山に向って走り、山に沿って進むことが多いが、未だ自転車では鈴鹿の山を越えたことがない。来年あたり、峠を越えて山の向こうへ走ってみたい。鈴鹿の山には坂口安吾の『桜の森の満開の下』で花に狂った盗賊の話や、古くは今昔物語集にも『鈴鹿山にして蜂 盗人を刺し殺しし語』など物騒な話がある。自転車で峠を越えるとしたらそれなりの覚悟がいる。

小学校からの帰るさ
山を見ながら道草を食い
いたずらもした

釈迦ヶ岳のお釈迦様の顔が
未だに判然としない

セメント会社は
藤原岳の山肌を
削りつづけている

季節の色には染るが
世態には染まらない

今でも祖母も母も
私と同じ場所から
西の山を見ていて
天気を占っている


 

2024年12月21日土曜日

お月さんをひと回り

 マツダ・ロードスターという車を所有している。エアコンが壊れたままで修理してないので夏場はほとんど乗らない。オープンカーなので、屋根を外せば涼しいように思うが、そうでもない。自転車のように身体を使うことはないのだから楽そうなものだが、屋根を外しても夏は暑い。

 冬場は道路事情が悪いし、スタッドレスタイヤを装着しないので乗らない。雨の日も乗らない。幌を新品に張り替え、車体は磨き上げてあるので汚したくない。エンジンルームまできれいに掃除され、ボディカバーをかけられて、カーポートに納まっている。年間の走行距離はわずか2,000㎞足らずだ。

 甥っ子に1分の1のプラモデルだと言われた。乗らずに飾っておくだけに近い。車検を受けて自動車税を払ってほとんど乗らない。勿体ない話だ。

 自転車には税金がかからない。購入するときの消費税だけだ。車検を受ける義務もない。それでいて、年間10,000㎞も走る。立派なものだ。

 仕事を辞してからは、暇があると必ず自転車に乗っている。年に何度かは100㎞を越える遠出もする。年々走行距離が増えて、2019年、ロードバイクとクロスバイク、それにマウンテンバイクの走行距離を合わせたら9,974㎞になっていた。

 もう少しで1万㎞、惜しいことをした。走行距離にこだわることはないというものの、1万㎞の大台に乗せるのは気分がいいはずだ。わずか26㎞足りなかったことで、次の年には1万㎞を越えてやるという想いを強くした。

 初めて1万㎞を越えたのは2021年。10,726㎞だった。地球の外周の4分の1。このペースでは地球を一周するのに4年もかかるが、月なら外周は10,921kmなので、ほぼ一周できたと思えば大満足だ。今年は1220日現在の走行距離が9,960㎞。また、月をひと回りできそうなところまで来ている。

地球の表面を引っ掻いたら
新しい道ができた

地球は色を変えていく

地球は色を塗られていく

気持ちの重力を取り去り
硬い空気を取りのぞけば
地球も月も変わりはない

球体の上を走りつづければ
いつかは元の場所にもどる

2024年12月14日土曜日

風の日には風の日の

 これからの季節、北西の季節風とどう付き合うかが課題だ。風に向って走る気力も脚力も年々衰えている。寄る年波には勝てないのである。

 朝から北風が吹き荒れる。朝は穏やかでもいつの間にか風が強くなる日もある。自転車に乗り出す前から気持ちがひるむ。

 我が家のある場所は北西に鈴鹿山脈が連なる。どの道を走っても標高は徐々に高くなる。10㎞も走ると山麓の坂の多い道にさしかかる。この季節には、風に逆らって坂を上る、しかも風は冷たい。三重苦だ。

 ならば、風下になる南東方向に走り出せばよいではないか。伊勢湾岸や濃尾平野の平らな土地が広がる。平坦なコースを追い風に乗って快適に走れる。ところが、これは帰り道が怖い。風に乗って遠くまで走ったあとの帰路が向かい風。しかも登り傾向。思うだけで走り出す気が失せる。

 風は侮れない。透明な壁だ。壁にぶつかるだけならまだしも、壁が前から押してくる。前に進めないどころか、まさかそんなことはないだろうけれど、後ろへ押し戻されるのではないかと思う瞬間さえある。

 横風がまた曲者だ。追い風に乗って快適に走っているときに方向を変える。突如見えない巨大な手で横から突き飛ばされる。自転車ごと浮き上がってしまいそうだ。

 危ない目にも遭うのに、無理をして自転車に乗らなくてもいいようなものだが、それでは冬の間乗れなくなってしまう。

 風の日は風の日の乗り方を考える。向かい風には抗わず、少しずつ少しずつ前に進む。こちらが力むと相手の反発も強まる。もう急ぐ旅でもない。ゆっくりとでも前に進めれば十分だ。

順風を受けても図に乗らない。風向きは変る。いいときばかりではない。風の日には気力や脚力よりも寄る年波がもたらす経験知と諦観がものをいうのです。

水面を歩いている風は
どこで生まれたのか

空を渡っていく風は
どこへ帰ろうとしているのか

来し方も行く末も
わからない風に
ときには阻まれ
ときには押される

風がこの家の前で立ち止まる

風に行き先を尋ねている

2024年12月7日土曜日

ブラックフライデー・セール

 ブラックフライデーの由来は兎も角として、多くの店がセールをするので商品を安く買えるのはありがたい。セール期間中に商品が安く売れるのであれば、1年中いつでも安くできるのではないのか。そうはいかないのが商戦というものか。今だけ、ここだけ、というのが惹句だ。

 自転車の部品や消耗品にも、セールの対象になるものが散見する。すぐには必要でなくても、今ならお買い得といって煽られると気にかかる。

 Amazonや楽天市場のネット通販で買い物をするときは、いずれ使いそうなものを選んで、画面上の仮想の「買い物かご」に入れておく。

 タイヤのように定期的に交換するものは、次はどのメーカーのどのグレードのタイヤにするか。サイズは同じものにするか、違うサイズのものを試すか。何種類か候補になるタイヤを選んで「買い物かご」に入れる。

 チェーンやギアなど、すぐには交換が必要ではない部品や専用工具まで、「買い物かご」に入っている。現実の買い物かごではないので、あふれることもなければ重たくもない。入れ放題だ。

 セール中には、買い物かごに入れた品物に「セール対象商品 -25%」などと表示が付く。買わないと損をするような気になる。買えば出費には違いないのに買ってしまう。仮想のレジへ進み、「注文を確定する」をピッと押せば、「お買い上げ」ということになる。

 消耗部品が安いときに先を見越して買っておくのはいいが、買えば早く試したくなる。交換時期が来る前にまだ使える部品と取り換える。買ったことを忘れてしまって同じものを買うこともある。せっかちで忘れっぽい。歳も歳なので仕方ない。けっこうな無駄になる。

 安く買って得をした気になっているが、帳尻が合わない。「ブラックフライデー・セール、あと3日限り!!」。本当にいる物なら、セール最終日でもネット注文は充分間に合う。煽られても焦らず。 

いまここでだけ会える

いまここでだけで語れる

いまが過ぎ去り
ここを通り過ぎ

おきざりにした憧憬
かなわなかった願望

つぎにくるいまを
つぎにあるここを
こころまちにする