’26.5.8 一期は夢よ

2023年9月16日土曜日

ユーロヴェロ90000㎞

  NHKBS放送を観ない(観られない)だろうといって、友人が『ユーロヴェロ90000㎞』という番組を録画してくれた。

ヴェロとは自転車のことで、番組はヨーロッパに延長90000㎞も整備された自転車専用道路を旅する記録だ。全行程を走るのではなく、イタリアからチェコまでの1000㎞程の道のりを、ドイツ在住のAKIRAさんという若者が自転車で一人旅をする様子が収録されている。

 沿道の景色が素晴らしい。モルダウ川に沿って走るシーンは圧巻だ。行き交う自転車にも興味をそそられる。太めのタイヤを装着し、長旅に備えた荷物を前後に積んで、のんびりと走る自転車が多い。ユーロヴェロではお決まりのスタイルのようだ。

 番組の冒頭、「自転車だからこそできる旅がある」というテロップが流れる。もちろん、自転車専用道路をつないで走るのだから、自転車でないとできない旅である。我が家の周辺、たかだか半径15㎞ほどのエリアを走っていても、自転車だからこそ通れる道があり、自転車だからこその出会いもある。

 番組は、自転車専用道路やその沿線の風物を紹介し、自転車に乗る人も乗らない人も楽しめるように制作されている。自転車愛好家向けに限れば食い足りない。長旅をすれば自転車に不具合が生じ、乗り手が疲労困憊して先へ進めないという事態も起きるだろう。番組の中で、そういう場面も紹介されてはいる。

 行程がきついといって、突然準備されたE-bike(電動アシスト自転車)に乗り換えたり、全行程を旅のコーディネーターや通訳者が同行しているのはちょっといただけない。

 旅にはいろいろな形があってもいいだろうが、「自転車だからこそ」というのであれば、自転車と対話し、行き交う人とは通訳者を介さず対話する。自分の決めた、あるいはまだ決めてもいないルートを、独りで自由自在に走るというのが私の自転車旅のイメージである。舞台がヨーロッパであろうが我が家の周りの田んぼ道であろうが同じことだ。


ペダルをひと漕ぎすれば
家の裏手の道も旅の途中

自転車だからこそ
今日の道今日の景色

自転車だからこそ
迷い込む

気の早い
彼岸花が咲いた

花とは通訳なしで
話をする

疲れたら休んで
また一人で走る


2023年9月9日土曜日

自転車の音

 自転車を漕ぎ出す。我が家の前の道はゆるい下り坂だ。反対方向へ漕ぎ出せば、必然的に登り坂ということになる。下り方向を選ぶ方が断然快適だ。走り始めにペダルを踏めば、しばらくは惰力で坂を下る。

 このとき自転車の調子が良ければ絶対無音だ。タイヤが路面を踏んで転がる心地よい音と風をきる音だけが聞こえる。坂を下り終えるとペダルを踏みはじめる。自転車の調子が整っていればここでも全く音がしない、はずである。

 問題は、ときとして異音が聞こえることだ。自転車から耳障りな音が出ているのに気づく。どこかに異常があることを知らせる音は、気になりだすと余計に大きくなる。正確にリズムを刻む音であれば、回転する部分で発生する音である。車軸、ペダルの軸、あるいはクランク軸が発生源と考えられる。変速が上手くいかず、チェーンとギアが干渉していることもある。タイヤの溝に小石などがはさまっていることも原因になる。

 速度を変えたり、ペダルを踏むのを止めたりしながら、異音を聴き取る。音だけでなく振動を感じることもある。

 不規則で耳障りな音は、自転車に取り付けた部品が何かの拍子に緩んでいたり、携行している修理用具などがきちんと収まっていなかったりすることが原因だ。感覚を澄ませて音の出る場所を探す。不具合が判ればその場で手立てを講ずる。自転車に異音がまとわりついているのは興醒めだ。

 なにしろ、自転車に乗る楽しみのひとつは、いろいろな音に出会い、音を愛でることなのだ。タイヤが路面と対話する音。風をきる音。ときには風に追い抜かれる音。鳥のさえずり。虫の音。木の葉ずれ。落ち葉のささやき。稲穂の揺れる音。遠くの学校の運動場から聞こえる子どもたちの歓声。ときに一緒に走る仲間の快活な話声。心おきなく音を楽しむためには、自転車から出る異音はすべからく取り除くべきである。

秋の蝉を聞く

境内の静謐
静けさも音

次の景色の中に
次の新しい音

稲穂のゆれる音
稲穂をゆらす音

文字は音になり
音は文字になり

音はつながり
音はひろがり


2023年9月2日土曜日

再び始めるということ

  初めてスポーツ自転車を手に入れたときには、全く加減が判らないままにいろいろな処へ出かけた。どうやって乗ればいいのかもよく判らないので、乗車姿勢を確かめたりペダルの踏み方をいろいろと試してみたりした。

 自転車がブームになりかけていたころで、自転車関連の書籍や雑誌は簡単に手に入った。身近にスポーツ自転車に乗っている人がいなかったので、一緒に走って乗り方を教わることはできない。現実に手本や見本になる人がいないので、専ら書籍を参考にしながら、自己流で何とか楽しめる程度にはなった。

 11年間乗っていてはじめて、6週間ほど自転車に乗らない日々が続いた。夏の終わりになって、ようやく本格的な再開である。初めて自転車に乗るときと、ブランクの後に再開するのとでは、どちらが難しいか。

 初めてのときには、較べるものがないので大いに気楽だった。登り坂の厳しさや向かい風の抵抗が尋常でないことを思い知らされたり、それでも、思いがけなく遠くまで走れたことにいたく満足したり、新鮮味にあふれていた。

では、再開はというと、これまでやっていたのと同じことをするだけだから簡単なはずである。ところが、中断する前の自分の力がはっきりしているので、どうもしっくりこないことが多い。もっと簡単に距離を伸ばせていたはずなのに、もっと楽に坂を登れていたはずなのに、と少し前の自分と比較して焦る。

 中断すれば筋力が衰えるのは理解できるが、納得はできない。2年も3年も中断すれば身体の記憶も薄れるだろうが、6週間くらいだと脚、腕、首その他、各部位の記憶が鮮明で、何ができていたかをよく覚えている。何ができなくなったかもはっきりと判る。

 年齢も年齢である。6週間で置き去りにしたものを取り戻すには、倍の時間が要るかもしれない。自転車を始めたころに返って、また少しずつ走りつづければ、楽しみももどってくると思って走る。

去年夏が来て
ヒマワリが咲いた

今年ヒマワリが咲いて
夏は去ろうとしている

夏と秋との境界線が
空に引かれていく

おきざりにしてきた記憶がある

つくりはじめる記憶もある




2023年8月26日土曜日

忘れていたこと

  3台所有している自転車のうちで、マウテンバイクが一番新しい。新しいとはいえ、この夏で手に入れてちょうど5年になる。

 家から半径15㎞以内の所は、ほとんど走り尽くした。走ったことのない道はほとんどない。あとは舗装のしてない道や、勾配がきつくて登れそうにない道を、もう少し先まで行ってみたい、そのためにマウンテンバイクが欲しいというのが購入の動機だった。

 初めて手に入れたクロスバイクは、一回の走行距離を平均すると30㎞から35㎞である。ロードバイクの場合は50㎞前後。長い時間乗ることが多しスピードも速いので、一回に走る距離数も長くなる。

 マウンテンバイクはというと、走行距離は長くても50㎞、普段は20㎞くらいである。未舗装の道路や河川敷、勾配の急な山道を選んで走るのだから、一度に走る距離は短い。速度がぐんと遅いので、毎回乗っている時間は他の2台とそれほど変わらない。

 今週、マウンテンバイクの走行距離を確かめたら、購入してから9,700㎞になっていた。もう300㎞で1万㎞に達する。マウンテンバイクは作りが頑丈で、多少乱暴な扱いにも耐えてくれる。ロードバイクのように、フレームやホイールの作りが繊細ではない。少し汚れているくらいの方が、山道を走り回る自転車というイメージに合う。手入れも他の自転車に較べるとおざなりになりがちだ。

 酷使に耐えるとはいえ、乗りはじめてから1万㎞にもなれば、いろいろなパーツを交換する時期が来ている。遅いくらいかもしれない。自転車に乗るのを中断していたら、整備の方もすっかり意識から遠ざかっていた。交換する予定で買いおいた部品のあることも忘れていた。不思議なもので、走り始めると意識の外に追い出されていたことが蘇えって来る。ちょっと忙しくなりそうな予感がする。

意識の外にいたものが
ある日蘇える

もう忘れていた場所を
思い出して辿り着いた

傍若無人に意識の中に
踏み込まれることもある

しばらく来なかった
風景の中に佇む

しばらく走らなかった
道を走る

遠ざかっていた音を
今日は身近に聴いている



2023年8月19日土曜日

台風一過

 台風7号が我が家に近いところを通り過ぎた。雨、風ともにかなりひどかった。甚大な被害を受けられた方もあって、通り過ぎたことを喜んでばかりもいられない。

 子どものころ、「たいふういっか」と聞いて、「台風一家」だと思っていた。台風のように波風を立てて、争いの絶えない家族、または、騒々しい人ばかりのうるさい家のことをいうのだと、勝手に解釈していた。

 では「台風一家のすがすがしい秋晴れ」はどうイメージしていたかというと、喧嘩の絶えない家族にもつかの間平穏な時間がおとずれて、家族全員が幸せな気分にひたっていることの喩えだと思っていた。子どものたわいない思い込みとはいえ、少し笑える。

 「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀、透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩、女郎花などの上に、よころばひ伏せる、いと思はずなり。格子の壺などに、木の葉をことさらにしたらむやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね」

 これは清少納言が『枕草紙』に書いた台風の過ぎたあとの情景である。何ともおっとりとした台風一過の有様である。べーえんべーさんの前回のコメントのように、ヒマワリが「よころばひ伏せ」っていると「いと思わずなり」などと悠長なことはいっていられない。深刻な被害を思うと申し訳がない。

 ここしばらくは本格的に自転車に乗っていなかった。台風が過ぎ去ったのをきっかけに、しばらくぶりに自転車に乗ろうと思って出かけた。ひと月半も乗っていなかったので、身体はすっかりなまっている。ペダルを漕ぎ出すのが億劫に感じられる。

 走り始めて20分ほどしたところで、こともあろうに後輪のパンクに見舞われた。どうも「台風一家」のようにドタバタしている。台風一過の晴ればれとした気分で自転車に乗れるようになるには、しばらく慣らし運転がいるようだ。 

荒かりつる風のしわざ

稲穂が実り始めた

野分に耐えて広がる

この夏は
夏として
定まらないままに

足早に去ろうとしている


2023年8月12日土曜日

お膳立て

 釣り好きの友人が、釣りの情報ではなくて自転車のイベント情報を教えてくれた。「イナくる」といういなべ市内を自転車で回るスタンプラリーのような催しのことである。コロナウィルスが拡散する前から開催されているのは知っていた。今年は115日に開催される。

 よく似たイベントで、「いなべヴェロフェスタ2023」というのもある。こちらは95日に開催予定で、「いなべ市内に配置されたチェックポイントを好きなルートで走って写真を集める、散策形式のロングライドチャレン」と案内されている。

 地元のこういったイベントに参加しますかという友人のメールに、参加しないと即座に返事をした。高額の参加費を払って食べ歩き(走り)をしなくても、地元のことは判っているつもりだ。コースや見どころも、イベントで紹介されなくても知り尽くしているという自負がある。しかも、イベントにありがちな自転車やウェアー自慢のような雰囲気にもなじめない。

 毎年楽しみにして参加している人もあるだろうし、特別な催し物ならではの体験もできるだろう。参加しないと味わえない面白さを、自分が知らないだけかもしれない。

 釣り好きの友人に聞いたところでは、海上釣堀というのが流行りだそうだ。広い海があるのに、海を囲った生け簀の中で、人が捕った魚や養殖した魚を釣って面白いかどうか。これもやってみないことには判らなが、どうもお膳立てが過ぎるような気がする。

 身体ひとつで海外に出かけ、現地で準備してもらったオートバイで決められたコースを巡るツアーなどもあるようだ。これがオートバイの旅といえるのかどうか。お膳立ては誰かに任せておいて、お金さえ払えばいっぱしの体験できるというのはいかがなものか。

 しばらく自転車に乗っていないので、他の人のやることに毒づいてしまった。人が何をしているかはともかく、自分は自分で自分のためにお膳立てをして、日々の小さな自転車の旅を再開したい。 

参加してみれば
発見があるかもしれない

やってみなければ
面白さは判らない

とはいえ
自分は自分の道を
自分流にいく

予期せぬ出会いを楽しんだり

景色を独り占めにしたりしている




2023年8月5日土曜日

夏場の過信

  しばらくぶりに自転車に乗った。梅雨入りのころから乗っていなかった。少しずつ高くなる気温に身体を慣らすこともなく、突然夏の炎天下に漕ぎ出すことになる。

 自転車の点検は怠りなくすませた。走り出す前に水分を十分に摂った。かなり用心をして漕ぎ出す。走り始めてしまえば何ということもない。風は心地よく、ペダルは快調に踏める。これなら、かなりの時間、それなりの距離を走れると思い始める。

 ひと月半程度のブランクはそれほど影響していない。去年の夏と同じようなペースで走れるだろう。そう思って走るうちに、どうも勝手が違うことに気がついた。

 ちょっと走れば、カーブを曲がる感覚やブレーキをかけるタイミングは蘇える。ペダルを踏む脚の様子も悪くない。違和感は、腕から肩、首をつたってやってきた。腹筋と背筋に粘りがない。身体を支える力が落ちているらしい。だるい。どうも力が入らない。

 ずっと乗りつづけていれば気がつかないが、休んでいたので気がついた。自転車は脚力だけで走らせているのではない。筋力のバランスや気候との折り合いが必要なのだ。

 昨年は毎日のように走りつづけていて、夏場の遠乗りにも出かけた。あるとき、身体に異変を感じることがあった。自転車がなかなか前に進まない。身体の力が出ていない。熱中症の手前かもしれない。悪い予兆だ。

 街中を走っていたので、パチンコ店に入った。冷房のよく効いた場所で、冷たいものを飲んで身体を内側と外側から冷やす。身体の感覚が戻ったところで、ゆっくり走りだす。その後も、ドラッグストアやコンビニに入って身体を冷やしながら帰宅した。かろうじて事なきを得た。

 少し我慢をすれば大丈夫、これくらいはいける、という夏場の過信は命取りになる。何しろ71歳。自分で自分の限界を知らなくてはいけない。あと10年は自転車に乗るなどと、自分の体力を過信せずに、先ずは明日もう一日だけ走れるコンディションを整えることにする。

炎天下へ出ていく
空も道も葉陰も
焼けている

水分をとっても
休憩をとっても
炎暑は容赦ない

強い日差しがつくる
濃い影は
地面にめり込む

あと少し
もうちょっとと
無理はしないことだ

ハスの葉の陰にでも
身を隠したい

過信は捨てて
樹の下に宿る