’26.5.8 一期は夢よ

2024年2月17日土曜日

一見、ばらばら

 ちょっと見たところ、実にまとまりがない。テーマも中身もばらばらである。何のことはない、このブログのことである。『日々是自転車』というタイトルをつけたので、自転車について書くということははずせない。自転車に乗っていて思いついたことを綴っておくというのがブログをはじめるきっかけだった。

 自転車で出かけた場所について書き、自転車で走る道の情景を書く。自転車に乗って想うことを書き、憧れを書く。映画やテレビドラマで見た自転車のことも、小説や随筆に登場する自転車のことも書く。

 自転車のスタイルや構造を書く。素人の域が出ないが、性能を較べたり整備をしてみたりして書く。人のことも書く。自転車に乗る人や、一緒に走る仲間のことを書く。自転車の面白さ、走りつづける楽しさ、ときには苦労や困難や悩みも書く。自転車を諦めてしまうことは書かない。

 写真を撮る。撮った写真も、一見、ばらばらだ。思うにへたくそである。自転車が写りこんでいることが救いなので、自転車のおかれている風景を写真に撮る。うまくはいかなくても、自転車が引き立つように撮る。

 自転車に関係しているからといって、文章だけのブログではつまらない。写真を添える。書いた中味と写真は食い違うことがある。一見ばらばらで、噛み合わない。自転車に乗りつづけているというアリバイ証明のようなものだ。どこかではつながっている。

 まとまっていないように思えても、つづけていて、つながっていれば、意味があとからついてくる。書きっぱなしの撮りっぱなしで、まとめることなど考えていなくても、振り返れば自転車とのつき合い方が見えてくる。クロスバイク、ロードバイク、それにマウンテンバイク。そもそも、日々の自転車の乗り方が、これも、一見、ばらばらなのである。

どこからともなく
集まってくる

いつの間にか
一緒に走っている

ひとつの枠には
とじこめないで

はて何処から来たものか

さて何処へ向かうのか



2024年2月10日土曜日

100万円の自転車

 区切りのいいところで100万円の自転車ということにしたが、自転車のカタログを見ているとさらにその倍の値段がついた自転車もある。スポーツ自転車を知るまでは、2万円も出せば自転車が買えると思っていたから驚きだ。

 ホームセンターの自転車売り場には1万円代で買える自転車も並べられている。スポーツ自転車らしい恰好をしている自転車でも、3万円程で買えるものがある。

 安全性や耐久性を考えれば、あまりにも安価なものには手を出すべきではないと思うが、それにしても、軽乗用車や小型車と同じくらいのプライスタグのついた自転車がどんな走りをするのか、一度は乗ってみたいものである。

 自転車に求められる絶対性能は軽さなので、高額な自転車は兎に角軽く作られているには違いない。脚の力を車輪に伝えるための効率を上げ、摩擦による力の損失を減らすために、高価な部品が使われているはずだ。

 実用自転車が2万円で買えるのに、前後の車輪だけで3050万円もする。変速装置なら1、2万円程度で手に入るのに、これも超高級な自転車のものは50万円を超える。金に糸目をつけずに自転車を組めば、100万円はいうに及ばず200万円を超えるのも理解できる。

 体力と技量がないと、自転車の性能ばかりが優れていても、無用の長物になりかねない。自転車屋さんで聞いたことがあるが、高価な自転車に乗れば確かに楽に速く走れるが、それよりも自分の脚力を鍛える方が大事で、値段ほどに性能の差はないとのことであった。

 100万円の自転車を1,000万円もするようなメルセデス・ベンツのSUVに積みこんで出かけ、琵琶湖の湖岸道路を走る。やってみたいとは思うが、簡単には実現できそうもない。

時代の先端はバーチャルリアリティである。脳を仮想現実の世界に置き換える。愛用している安い自動車と自転車を高級外国車と100万円ロードバイクだと仮想する。いつもの道をいつもの自転車で走っても、仮想の世界で気分は舞い上がり、100万円の自転車が楽しめる。

自転車にだって
翼があると思えば
きっと飛ぶことができる

子どものころに
はじめて乗った自転車は
羽根が生えたように
音速で田んぼ道を走った

今だって
山の向こうまで
走って行ける

バーチャルリアリティの
テクノロジーを使えば
山を跳び越すこともできる


走りつづければ
地球を一周して
ここに戻ることも
できるはずだ



2024年2月3日土曜日

雪が降ると

  先週、この冬初めての雪が降った。30㎝ほども積もったか。今年は温かくて雪が積もることはないかもしれないと思っていたので意外だった。

 中学校へは自転車通学をしていた。今より雪が多かったように覚えている。もう半世紀以上前のことだ。雪が積もっていても、当たり前のように自転車に乗って学校へ行った。いつもの朝よりも通学路が楽しかった。

 友だちの一人が、自動車のタイヤチェーンのよろしく自転車のタイヤにわらを巻き付けていたのを思い出す。画期的な発明だった。チェーンの効果があったかどうかは疑わしいけれど、受けねらいには成功していた。

 雪の被害が深刻な地方の人には申し訳ないが、雪は冬の楽しみだった。子どものころには、竹を割って火であぶり、スキーの板のように先を曲げて足にくくりつけ、スキーの真似事をした。日かげの斜面には雪が長く残っていて、一度雪が積もればしばらくはスキー遊びができた。

今のように大人が一緒に遊んでくれることはなかった。年かさの子が遊び道具も作って一緒に遊んでくれた。自分が大きくなると小さい子たちに遊びを教えた。大人の介在しない子ども文化の継承があった。

 雪の日の自転車通学の心得も自分たちで会得した。身軽な子どもが転倒しても大事に至ることはなかったのだろう。大胆に雪道を自転車で走っていた。タイヤが滑るのは面白かった。

 雪が積もると、子どものころのわくわく感も積もる。じっとしてはいられない。自転車で出かけてみたくなる。反射能力は衰え、身体は硬く、雪道へ自転車で乗り出すのは危ない。わかってはいるが、雪の中へ走り出さずにはいられない。

 マウンテンバイクは雪に強いタイヤを装着している。雪で真っ(さら)になった道へ漕ぎ出。気持ちはおおはしゃぎだ。雪の日のじっとしていられない自分の気持ちにとことんつき合ってやろう。

雪につつまれてしまえば
いつの時代も変わらない

冬はつとめて
雪のふりたるは
言ふべきにもあらず
清少納言さんだって
わくわくしていた

一夜のうちに
リセットされた
道が始まる

雪が消えるのをおしむように
子どもたちは遊びつづける

新しい雪が降ったら
今度は何をしようか


2024年1月27日土曜日

境目のない…

  モペットという乗り物がネット市場に出回っている。自転車の格好をしているが、ペダルを踏まなくても走る。私が小さい頃にも同じような乗り物があった。自転車の車体に小さなエンジンをつけて自走する。ビスモーターとかバタバタと呼んでいた。

 電動アシスト付きの自転車もよく見かける。最近では、e-Bikeというスポーツ自転車にモーターをとりつけてアシストするものもある。ロードバイクやマウンテンバイクとほとんど見分けがつかない。

 モペットとe-Bikeの違いは、モペットがペダルを踏まなくてもアクセルを開けば走るところにある。スピードもかなり出るらしい。e-Bikeはペダルを踏まないと走らない。モペットは原動機付き自転車に分類されるので運転免許証が必要になる。

 方向指示器やバックミラーなどの装着、ナンバーの登録や自賠責保険の加入、ヘルメットの着用も義務付けられる。制限速度は時速30㎞である。そうした条件を満たさずに自転車と同じ扱いでモペットに乗る人が多いらしい。歩道へ侵入して事故も多発しているようだ。

 普通の自転車やe-Bikeは軽車輛に分類されて制限速度は自動車と同じである。スポーツ自転車なら速度が時速50mを越えることもあるが、それでも道交法の違反にはならない。線引きの仕方がよく判らない。

 気をつけてよく見ないと、自転車なのかe-Bikeなのか、はたまたモペットなのか判らない。モペットには乗ったことがないが、普通の自転車とe-Bikeを乗り比べてみると、その境界は曖昧である。e-Bikeは自分の力で走っているのかアシストを受けているのか、境目がよく判らない。自分の脚力が強くなったように錯覚する。

 自転車にかぎらず、異界に迷い込むことがある。AIが作ったものなのか人が考えたものなのか、境界がはっきりしない時代だ。自分の年齢だって、もう十分に高齢なのかまだまだ若いのか判らないときがある。境目は曖昧なままの方が面白いこともあるが、はっきりさせておかないと立ち位置が危うくなることもありそうだ。

雪の日の朝は
境目をすべて消して
はじまる

轍だけが
前に進んだことを
教えてくれている

境目を取り払って
子どものころの私と
二人で遊んでいる

つけてきたはずの区切りが
ホワイトアウトしていく

雪の日の境界は
近づいたり
遠のいたりして
曖昧に拡散する

























2024年1月20日土曜日

木枯らし紋次郎考

 「あっしにぁ関りのねぇこって…」。1970年代に一世を風靡したテレビドラマ、『木枯らし紋次郎』で紋次郎を演じる中村敦夫のセリフである。

 紋次郎の立ち姿は、当時これも流行りだったマカロニウエスタンに登場する無宿のガンマンに通じる。破れた妻折笠に汚れた縞の道中合羽。テンガロンハットにポンチョを羽織ったクリント・イーストウッドだ。

 上條恒彦の歌った主題歌『誰かが風の中で』は、マカロニウエスタンの主題曲を多作したエンニオ・モリコーネ調だ。

 監督の市川崑は、同じ時期に『股旅』という映画を撮っている。主演は尾藤イサオと萩原健一。脚本は谷川俊太郎という異色の組み合わせで、かなり変わった股旅物に仕上がっている。

 市川崑監督の選んだドラマや映画の舞台が懐かしく蘇える。江戸時代の東海道や中山道の面影を残す昭和の風景。ロケーションハンティングには相当の時間がかかったはずだ。ススキの原っぱの向こうに遠い山並み、小さな水田の間を縫うように続く細い道や小川。

 自転車で走っていると、同じようなにおいのする道に行き合うことがある。木枯らしをついてぬける辺鄙な道は、『木枯らし紋次郎』や『股旅』の舞台だ。

 紋次郎は「あっしにぁ関りのねえこって…」と人とのつながりを拒絶しながらも、ついには事件に巻き込まれていく。上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれた紋次郎は、地縁血縁に絡められた弱い人たちを見離しにすることができない。

 自転車で先を急ぐ道すがら、とりあえずは関りがないと思って通り過ぎた場所が、つい気にかかって引き返す。場所の由緒や廃屋のたたずまいに魅せられて写真におさめる。後ろ髪の引かれ方が、なんとなく紋次郎的ではないかと思ってしまう。 

山に向かって走ったり

山を背おって走っていると

太古からかわらない
風が吹いている

かかわらない
こだわらない
ふりをしながら

かかわったり
こだわったり
している




2024年1月13日土曜日

エイジライド

 知人がエイジシュートを達成したといって、すごく嬉しそうにしていた。ゴルフをやらないのでよく判らないが、エイジシュートというのは、自分の年齢と同じスコアでコースを回ることで、相当の腕前でないと達成できないらしい。ゴルファーにとっては大きな目標である。知人の場合は73歳でのエイジシュート達成でお見事というほかない。

 エイジシュートと認められるにはいろいろな条件を満たす必要がある。先ずは1ラウンド18ホールであること。さらに、男子は6,000ヤード以上、女子は5,200ヤード以上のコースでなければならない。年齢は基本的に満年齢で、年齢と同スコアの場合もエイジシュートと認められるということである。

 年齢とともに達成すべきスコアは楽になるが、体力は低下していく。年齢と体力、そして実力のバランスがとれないとエイジシュートは難しい。

 自転車でも年齢に応じた目標を持てないものかと考えた。ゴルフにならって、エイジシュートならぬエイジライドというのはどうだろうか。1日に自分の年齢と同じ距離を走る。エイジライドということばはネットで検索しても見つからない。まだ、どこでも使われていないようである。

 私の場合、先週72歳になったので、月に1,2回は172㎞を走る。今のところはそれほど難しい目標ではない。センチュリーライドといえば100マイルを走る。72マイルなら 115㎞になるが、マイル換算でも何とか達成できそうである。

 エイジシュートと違うのは、年齢が高くなるにつれて目標値が高くなることだ。80歳で80㎞はまだいけるか。90歳になって90㎞はさすがに無理がありそうだ。

 ルールを変えて、75歳を折り返し地点にするというのが現実的かもしれない。75歳で75㎞を走ったら、そこからは毎年5㎞ずつ目標の距離を減らしていく。80歳になるころには25㎞減るので目標距離が50㎞になる。90歳で0㎞になってしまうが、89歳でもまだ5㎞の目標が残っている。89歳でまだ自転車に乗れていることがエイジライドの大目標になる。90歳から先のルールはまたそのときが来たら考える。

朽ちていくのではない
今も物語を紡いでいる

廃れていくのではない
今には今にふさわしい
風景を織りつづけている


はじまりの光は
力にあふれつつ
とまどっている

ときを経て
今に重なり
今にある
場所に重なる

やがて
歳月と
場所と
光とが
ここで
出会う
 

2024年1月6日土曜日

初日の出ライド

 昨年父が亡くなったので、今年は年頭のあいさつをしなかった。正月の飾りも控えた。正月に孫たちが遊びに来ても、家がさみしいのでは気分が盛り上がらない。玄関や神棚のしめ縄だけは飾ることにした。

 毎年、天気が良ければ、元旦のご来光を迎えに揖斐川の河口まで自転車で行く。伊勢湾の奥で、海から日が昇る時刻に間に合うように自転車で走る。今年はどうしたものか迷っていた。 

 1990年、中学校で担任をしていた3年生の学級で、初日の出を見ながら年明け第1回の学級会をしようと決めた。生徒たちはいたく感激したようで、日の出の瞬間に「あけましておめでとう」とあいさつを交わした。以来、毎年その場所に行きつづけている。自転車に乗るようになってからの10年は初日の出ライドをつづけている。毎年やっていることを、今年だけやめることもないと思って出かけることにした。

 家からいつもの場所までは15㎞ほどの距離がある。毎年、ご来光の写真を撮って現場から何人かの知人に送る。写真を送ったお礼に添えて、「この寒い中をよくぞまぁ…」、「見上げた根性…」とお褒めの言葉をいただく。

 15㎞を走ることも、寒い中を走ることもそれほど苦にはならない。冬場に100㎞もの長距離を走るのと較べればむしろ楽なくらいだ。苦手な早起きと、暗い道を走るので勝手が違うこと以外はそれほど特別なことではない。

 今年は追い風を受けて、いつもの場所まで思いの外早く着いた。堤防から水辺に下りる道を日の出を見に来た中学生か高校生と思しき女の子6、7人がふさいでいる。自転車で通り抜けたいので、後ろから「あけましておめでとう」と小さく声をかけた。

 「すみません!おめでとうございまぁす」と道をあけてくれた彼女たちの、「うちら、まだやってないやん」という声が聞こえた。何のことかと思ったら、「あけましておめでとおぉ」「今年もよろしくねぇ」と、飛び上がったり抱き合ったりして、お互いに新年のあいさつをしはじめた。30年以上も前の学級会の光景に重なった。年頭のあいさつを控えたのは少しさみしいが、陽気な新年のごあいさつにふれることができた。 

未明のコンビニは陸の灯台
明かりに誘われて走る

この時間に
この場所に立つ
ずっと前から
決めていた今

この場所
この時間
この人
約束の核心


約束された道が
向こうから来る

私の居場所まで
道はつづく