爽やかな季節をむかえ、吹く風が軽くなった。寒い風は重く、行く手をはばむ。爽やかな風は向かい風でも心地がよい。つい遠出がしたくなる。関ヶ原まで行ったことを書いたが、自転車日和に出かければ、片道50㎞くらいは案外簡単に走れてしまう。
関ヶ原の古戦場に着き、ホッと一服、紫煙をくゆらせる。こんなときにいつも決まって思うことがある。新しい場所を訪れて、そこに停めた自転車を眺めていると、こんなものでよくぞここまで来たものだ思うのである。
通り慣れた道を走っているときにはそれほどでもない。遠出をして、行き着いたところで自転車を眺めていると、何とも心細い乗り物だとつくづく思う。華奢なフレームに細いタイヤ、軽量であることに越したことはないが、遠出に使うロードバイクは、総重量わずか10㎏ほどの重さである。タイヤの幅は23㎜。これで60㎏ちかい自分の体重とわずかではあるが携行品をここまで運んできたのかと思うと、信じがたい気がする。よくぞここまでと思うのは、自分の脚力もさることながら、自転車の頼りなげなたたずまいによるものだ。
行ってしまえば、帰りも同じだけの距離を帰らなければならない。この細い車体とタイヤは、帰り道も同じように私を運んでくれるか。自分の体力よりも自転車のことが心もとない。
オートバイで遠出をしたころにも、同じようなことをよく思った。走行距離の感覚は少し異なる。オートバイならば、日帰りのツーリングでも片道150㎞ほどを走る。今日はここまでと決めたところで、休憩をしているときに、フレームやタイヤを眺めるのは、その頃からの自分の癖らしい。自転車とは比較にならないほど頑丈ではあるが、それでも、よくぞこんなものでここまで来られたものだという思いは同じだった。それが自転車となると、その思いが強いのは至極もっともである。
自動車のように、屋根付きで、よく身体にフィットするように考えられた椅子に座って移動するのとはわけが違う。爽やかとはいえ、風を切って、陽の光にさらされながら走るのはそれだけで体力を消耗する。縦に一列に並ぶ二つの車輪は、意識はしていなくても、走りつづけ御しつづけていないと転倒する。自動車のように車にお任せという時間はない。
友人たちと遠出をするときは、1台の自動車に乗れば、走っている間も会話を楽しめる。通り過ぎる景色も一緒に眺められる。雨風の心配もない。オートバイや自転車に乗って、わざわざ別々に走ることもなさそうなものだ。
なのに、この心細い乗り物で、また、遠くへ行く機会をうかがっているのは、二輪の力に魅力があるからに違いない。体力をつけるとか健康の保持というのではない。走るのが面白いのだ。難儀をしてもそれも楽しみ。二輪で走る乗り物を手放すわけにはいかない。
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| 自転車を停めて思う よくぞここまで来たものだ |
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| そして、もう、次の行き先を探している |
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何かに誘われるように 何かを誘うように |
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二つの輪が光りながら 山を越えていく |
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二輪の力で走る がんばれ自転車 |












































