’26.5.8 一期は夢よ

2024年3月16日土曜日

イメージライド

  F1ドライバーのアイルトン・セナが、コクピットの中で瞑想にふけっているシーンを思い出す。じっと目を閉じて、レースの会場になるサーキットのコーナーや直線を思い描く。どのコーナーのどこでブレーキをかけて侵入し、どこで加速して抜け出すか。コーナーを抜けるライン取りも確認する。直線で前に車がいたらどう追い抜くか。レースのすべての場面のイメージをあらかじめ作り上げる。実際の走りをそれに重ねる。

 稀代の名ドライバー、アイルトン・セナとは較ぶべくもないが、自転車で走るときには、その日のコースをイメージする。遠出のときには行程を想定するのが難しい。あらかじめコースをきちんと決めるわけではない。どの方面に出かけるか思い描いてみる。坂の多いコースか、風向きはどうか。帰路で向かい風になるコースはできるだけ選ばない。選んだときには、帰りの厳しさをイメージし覚悟しておく。あまりにもきつそうならコースを変更する。

 近場の走り慣れた道でも出かける前には考える。クロスバイクでならどう走るか。ロードバイクではどんな走りになるか。一緒に走る人がいるときには、相手や仲間のことも考える。自分が引っ張る方か、引っ張られることになるか。イメージライドといえばいいのだろうか。あらかじめ走りのイメージを作っておけば、身体や自転車に無理な負荷をかけることがない。不安は減り、不慮の出来事を避けられる。 

 自転車の整備をするときにも、取り掛かる前に行程をイメージする。自分でやり始めて、最後までやり遂げられるか。自分の技量でも確実にこなせるか。不安なときにはYouTubeの動画や部品メーカの作業マニュアルなどで確認して、自分が作業している情景に重ねる。転ばぬ先の杖代わり。走り出す前のイメージライド。整備の前のイメージ作業。イメージが正確であればあるほど、不慮の出来事や失敗は減る、はずである。


心象風景の中で
歯車がまわりだす

チェーンの上を
力が渡っていく

変速機のバネが
伸縮を繰り返し
速度を上げる

今日はどの道を行くか

今日はだれと行くか

いくつものイメージが
重なりあいながら
今日はここまで来た
千草不動尊


2024年3月9日土曜日

無駄は省けない

 何をするにしても無駄を省きたい。この歳になると、欲しい物がそれほどあるわけではない。持ち物を整理することはあっても、増やすことはしたくない。シンプルに、身軽に、無駄を省いた生活をするのが理想である。

 物を持たなくてもいい時代である。インターネットにアクセスすれば、映画も音楽も好みのものをいつでも観たり聴いたりできる。大概の本や雑誌は電子ブックで読める。レコードやカセットテープ、書籍を棚に並べていたのは昔話だ。

 スマートフォンが、辞書や地図の代わりをしてくれる。写真のアルバムもアプリが整理してくれる。スマホには何でも詰まっている。無駄な物を持つことはない。無駄な時間を費やすこともない。

 自転車の手入れや整備も、無駄を省いて簡単に済ませたい。いつものコースを走り、たまには遠出をしたい。整備の時間はできるだけ少なくして、走る時間をふやしたい。

 先日、愛用のロードバイクのギアやチェーンを交換した。快調に回り変速するが、クランクギアの色や形がしっくりこない。純正品が見つからなかったので、自転車の姿がちょっとだけだが変わってしまった。

 そのままでも支障はない。もう一度ギアを交換するのは、部品代も交換の時間も無駄になる。それを承知で、別の新しいギアをインターネットで探してみる。これというギアが見つからず時間が過ぎる。無駄に無駄を重ねていて抜け出せない。

 一枚のギアを捜しているうちに、ギアの規格や値段、取付け方にも詳しくなった。無駄が無駄でなくなり、賢くなれたような気がする。

 フランス製のSPECIALITES  T.A. ZEPHYR というクランクギアを見つけた。少し高価だし、これまでのものが無駄になる。予備にストックしておけば持ち物がふえる。大いなる無駄、とはいえ、これぞ自転車の楽しみ。走行会仲間と無駄口をきいていても、そこには創意や熱意や諧謔や、愛情さえあふれている。無駄や無駄口は簡単には省けない。

寒い曇り空の下を
遠くまで出かけた

絶好の遠乗り日和に
近場で自転車に乗る

向かい風をついて
山に登った

追い風に乗って
海まで下った

今日は
早咲きの桜を
眺めている

無駄は無駄のまま
無駄に無駄を重ね
無駄が無駄でなくなる






























2024年3月2日土曜日

熱田さんまで

  愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目11。熱田神宮。熱田さんといって親しまれている。三種の神器の一つ、草薙神剣をまつる。初詣ということでもないが、1月のうちに一度は熱田さんまで自転車で行く。信仰心が篤いわけではない。年の初めの遠乗りは熱田さんへ行くと、ここ数年は決めている。

 自宅からの往復距離は多度神社まで30㎞。椿大社で50㎞。熱田さんまで行けば70㎞になる。神社ではないが、津市にある高田本山専修寺までなら100㎞。お伊勢さんは200㎞ほどになるので私の脚では日帰りできそうもない。神社仏閣に詣でるわけではないが、ランドマークとしてはちょうど良い位置にある。距離の目安に最適だ。

 熱田さんを目指す。桑名まで下って、揖斐長良大橋を渡る。江戸時代までは七里の渡しで知られた橋のない川だった。桑名側から順に揖斐川、長良川、そして木曽川を越える。三本の川を混同しやすいので、「い・なが・き・さん」と覚えるのがいい。長男が小学生のときに学校で習って教えてくれた。

 国道23号線の橋を渡り、木曽岬から鍋田、飛島へ平坦な道を走る。庄内川を渡ると名古屋の市街地に入る。普段走り慣れない街中ではスピードが落ちる。車の量の多さと信号は大敵だ。ストップ&ゴーの繰り返しは脚への負担が大きい。車道を走るか歩道を走るか、状況の見極めが難しい。自転車専用レーンは突然消えたりする。集中して走る。やがて熱田の杜が見えてくる。

 自転車の特権は、街中でも駐車場に困らないことだ。神宮の鳥居の下まで行ける。初詣が本意ではないので、早々に昼食の場所を探す。路地の奥に探し当てた小さな中華料理屋の店先にでも気軽に自転車を停められる。

 とはいえ、1月の寒空の下で、町中華を楽しんでいると日が暮れる。家までの35㎞が気がかりだ。せっかくの機会ではあるが、コンビニのおにぎりで昼食を済ませ、慌ただしく帰路についた。


憧れが橋を渡っていく

いつもと違う
遠い町で休む

見慣れない町を
確かめている

大きな通りで
迷ってみる

ランドマークを
定めて走って来た

自転車の意志は
辿り着くことより
走りつづけること





















2024年2月24日土曜日

ぜんぶ新品

  チェーン、3,000㎞~5000㎞。リアスプロケット(後輪につけられたギア)とチェーンリング(クランクにつけられた大きなギア)、1万㎞。ガイドプーリーとテンションプーリー(後ろの変速機につけられた2枚のプーリー)やBB(クランクの軸受け)、1万㎞。

 いずれも、駆動系の部品の交換時期である。「Yahoo知恵袋」や「You Tube」などインターネットの書き込みに、交換時期の目安が説明されているのを見かける。記事によって目安のばらつきが大きい。どれを信じたらいいのか判らない。まゆつばものの解説もある。

 自転車部品の業界最大手SHIMANOのホームページを調べる。「整備のヒント」というページがある。各部品の交換すべき状態が図入りで説明されている。走行距離や経年による交換時期は書かれていない。使われ方、乗り方が違うので、ひとまとめにできないのだろう。自転車専門店での定期的な点検と部品交換が勧められている。企業の良心かリスクヘッジか。

 愛用しているロードバイクのチェーンはほぼ5000㎞ごとに交換している。1万㎞ほど交換しないときもあった。それくらい走ると伸びが目立つ。スプロケットの歯はそれほど目立って減らないので、頻繁には交換しない。新品から35千㎞走る間に2度交換しただけだ。

 チェーンリングとBB一度も交換したことがなかった。交換が面倒なこともある。これまで支障はなかった。よく見ると歯先が摩耗しているようなので、この際、駆動系の部品をぜんぶ新品に交換しようと思い立った。うまく交換できるかどうか、交換作業も楽しみのひとつ。腕試しだ。

 交換し終えて試運転をする。変速はスムーズで走りも軽くなった、ような気がする。部品に投資して、交換作業に手間をかけたのだから効果は絶大、のような気がするだけかもしれない。子どもが新しいおもちゃを手にしたのと同じだ。新品はわくわくするしうれしい。


3万5千㎞の
摩耗と忍耐

走った道のりを
出発点にもどす

新品の部品が
集まって踊る

持ち場についた

居場所を定めた

つながって
回り始めて
次の距離に
耐えていく


2024年2月17日土曜日

一見、ばらばら

 ちょっと見たところ、実にまとまりがない。テーマも中身もばらばらである。何のことはない、このブログのことである。『日々是自転車』というタイトルをつけたので、自転車について書くということははずせない。自転車に乗っていて思いついたことを綴っておくというのがブログをはじめるきっかけだった。

 自転車で出かけた場所について書き、自転車で走る道の情景を書く。自転車に乗って想うことを書き、憧れを書く。映画やテレビドラマで見た自転車のことも、小説や随筆に登場する自転車のことも書く。

 自転車のスタイルや構造を書く。素人の域が出ないが、性能を較べたり整備をしてみたりして書く。人のことも書く。自転車に乗る人や、一緒に走る仲間のことを書く。自転車の面白さ、走りつづける楽しさ、ときには苦労や困難や悩みも書く。自転車を諦めてしまうことは書かない。

 写真を撮る。撮った写真も、一見、ばらばらだ。思うにへたくそである。自転車が写りこんでいることが救いなので、自転車のおかれている風景を写真に撮る。うまくはいかなくても、自転車が引き立つように撮る。

 自転車に関係しているからといって、文章だけのブログではつまらない。写真を添える。書いた中味と写真は食い違うことがある。一見ばらばらで、噛み合わない。自転車に乗りつづけているというアリバイ証明のようなものだ。どこかではつながっている。

 まとまっていないように思えても、つづけていて、つながっていれば、意味があとからついてくる。書きっぱなしの撮りっぱなしで、まとめることなど考えていなくても、振り返れば自転車とのつき合い方が見えてくる。クロスバイク、ロードバイク、それにマウンテンバイク。そもそも、日々の自転車の乗り方が、これも、一見、ばらばらなのである。

どこからともなく
集まってくる

いつの間にか
一緒に走っている

ひとつの枠には
とじこめないで

はて何処から来たものか

さて何処へ向かうのか



2024年2月10日土曜日

100万円の自転車

 区切りのいいところで100万円の自転車ということにしたが、自転車のカタログを見ているとさらにその倍の値段がついた自転車もある。スポーツ自転車を知るまでは、2万円も出せば自転車が買えると思っていたから驚きだ。

 ホームセンターの自転車売り場には1万円代で買える自転車も並べられている。スポーツ自転車らしい恰好をしている自転車でも、3万円程で買えるものがある。

 安全性や耐久性を考えれば、あまりにも安価なものには手を出すべきではないと思うが、それにしても、軽乗用車や小型車と同じくらいのプライスタグのついた自転車がどんな走りをするのか、一度は乗ってみたいものである。

 自転車に求められる絶対性能は軽さなので、高額な自転車は兎に角軽く作られているには違いない。脚の力を車輪に伝えるための効率を上げ、摩擦による力の損失を減らすために、高価な部品が使われているはずだ。

 実用自転車が2万円で買えるのに、前後の車輪だけで3050万円もする。変速装置なら1、2万円程度で手に入るのに、これも超高級な自転車のものは50万円を超える。金に糸目をつけずに自転車を組めば、100万円はいうに及ばず200万円を超えるのも理解できる。

 体力と技量がないと、自転車の性能ばかりが優れていても、無用の長物になりかねない。自転車屋さんで聞いたことがあるが、高価な自転車に乗れば確かに楽に速く走れるが、それよりも自分の脚力を鍛える方が大事で、値段ほどに性能の差はないとのことであった。

 100万円の自転車を1,000万円もするようなメルセデス・ベンツのSUVに積みこんで出かけ、琵琶湖の湖岸道路を走る。やってみたいとは思うが、簡単には実現できそうもない。

時代の先端はバーチャルリアリティである。脳を仮想現実の世界に置き換える。愛用している安い自動車と自転車を高級外国車と100万円ロードバイクだと仮想する。いつもの道をいつもの自転車で走っても、仮想の世界で気分は舞い上がり、100万円の自転車が楽しめる。

自転車にだって
翼があると思えば
きっと飛ぶことができる

子どものころに
はじめて乗った自転車は
羽根が生えたように
音速で田んぼ道を走った

今だって
山の向こうまで
走って行ける

バーチャルリアリティの
テクノロジーを使えば
山を跳び越すこともできる


走りつづければ
地球を一周して
ここに戻ることも
できるはずだ



2024年2月3日土曜日

雪が降ると

  先週、この冬初めての雪が降った。30㎝ほども積もったか。今年は温かくて雪が積もることはないかもしれないと思っていたので意外だった。

 中学校へは自転車通学をしていた。今より雪が多かったように覚えている。もう半世紀以上前のことだ。雪が積もっていても、当たり前のように自転車に乗って学校へ行った。いつもの朝よりも通学路が楽しかった。

 友だちの一人が、自動車のタイヤチェーンのよろしく自転車のタイヤにわらを巻き付けていたのを思い出す。画期的な発明だった。チェーンの効果があったかどうかは疑わしいけれど、受けねらいには成功していた。

 雪の被害が深刻な地方の人には申し訳ないが、雪は冬の楽しみだった。子どものころには、竹を割って火であぶり、スキーの板のように先を曲げて足にくくりつけ、スキーの真似事をした。日かげの斜面には雪が長く残っていて、一度雪が積もればしばらくはスキー遊びができた。

今のように大人が一緒に遊んでくれることはなかった。年かさの子が遊び道具も作って一緒に遊んでくれた。自分が大きくなると小さい子たちに遊びを教えた。大人の介在しない子ども文化の継承があった。

 雪の日の自転車通学の心得も自分たちで会得した。身軽な子どもが転倒しても大事に至ることはなかったのだろう。大胆に雪道を自転車で走っていた。タイヤが滑るのは面白かった。

 雪が積もると、子どものころのわくわく感も積もる。じっとしてはいられない。自転車で出かけてみたくなる。反射能力は衰え、身体は硬く、雪道へ自転車で乗り出すのは危ない。わかってはいるが、雪の中へ走り出さずにはいられない。

 マウンテンバイクは雪に強いタイヤを装着している。雪で真っ(さら)になった道へ漕ぎ出。気持ちはおおはしゃぎだ。雪の日のじっとしていられない自分の気持ちにとことんつき合ってやろう。

雪につつまれてしまえば
いつの時代も変わらない

冬はつとめて
雪のふりたるは
言ふべきにもあらず
清少納言さんだって
わくわくしていた

一夜のうちに
リセットされた
道が始まる

雪が消えるのをおしむように
子どもたちは遊びつづける

新しい雪が降ったら
今度は何をしようか