’26.5.8 一期は夢よ

2026年9月19日土曜日

見つけました

  こんなアルバムがあることも忘れていた。物置の古い本をまとめた棚で、背表紙が色あせたアルバムが目にとまった。開いてみると空白のページが多い。数枚の白黒写真だけがフォトコーナーシールで留められて残っている。その中に、自転車に乗っている中学生の写真があった。

 中学校の通学に使っていたのはどんな自転車だったか。どこかに写真が残っていないか。ブログに自転車のことを書き始めたころから気になっていた。

 当時の自転車の写真がどこにもない。写真を撮るのは特別な日で、日常を写すことなどほとんどなかった時代だ。通学風景や通学用自転車を写真に残すことはなかったのだろう。それを何と、見つけました。

 一枚は未舗装の道路を走る中学生の自分。もう一枚は遅れた友だちでも待つらしく、後ろを振り返っている4人グループの写真だ。どこかへ連れ立って遊びに行く途中か。あの頃はどこへ行くにも学生服を着ていた。撮影場所は、開通前の北伊勢有料道路(昭和40年~48年まで営業)のようだ。

 2枚の写真の自転車をAIに鑑定してもらった。

「ダウンチューブのデカールに「FUJI CYCLE」(日米富士自転車)のロゴが確認できる。

 年代の目安は昭和30年代後半〜昭和40年代前半。当時「軽快車(スポーツ軽快車)」や「実用軽快車」と呼ばれたモデル。

学帽と詰襟(学生服)を着用した学生さんが乗られている様子から、当時の通学・普段使い用の上位モデルとして非常に人気のあったスタイリッシュな実用軽快車。当時の価格は2万円〜3万円で、現在の感覚なら約 20万〜30万円相当の高価な製品」

AIは詳細に教えてくれたが、ごく一部だけを引用した。鑑定結果と記憶の中の自転車やその時代はぴったり符合する。写真を眺めていると、モノクロームの写真に色までが浮かび上がってくる。

 一緒に写っているのは、ただし君とみのちゃん、顔が見えないのは古田君だろうな。


アルバムのページから
はがされた写真たちが
記憶を断ち切っている




時間をさかのぼっても
この日のこの場所へ
戻れるとは限らない

振り返って待っているのは
来るはずで来るはずもない
ゴドーだろうか

明日は来るというゴドーを
もうかれこれ60年も
待ちつづけている


2026年9月12日土曜日

新車の愛称

  ボンボンドロップシール、ボンドロのブームはまだまだ続いているようだ。立体的なシールを集めてシール帳に整理する。友だちと交換して楽しむ。子どもから大人まで大人気らしい。

 小学4年生になる孫が、ご多分に漏れずシールを大量に集めている。「同じようなものばかり買って、お小遣いの無駄遣いじゃないのか」といったら、「じいちゃんは同じような自転車ばっかり集めて、それってもっと無駄遣いやないの」ときた。一本取られました。

 孫の言う通り。自分では何台も自転車を持つ意味、価値、それに希望さえ認めているつもりでも、人から見れば同じような自転車。

 遠出をする前日。近場を走る朝。さて、どの自転車に乗ろうかと考える。自転車の愛称は決めてないので、ラレーにするかアンカーにするかとメーカー名を思い浮かべて乗る自転車を決める。

 新しく買った白い自転車は、14年前に買った黒い自転車と同じラレーというメーカー製なので、「ラレー」に乗る、というのでは区別がつかない。ラレー1、ラレー2では色気がない。黒ラレー、白ラレーもあんまりだ。愛車に愛称をつけるか。すぐに思いつくのはラーとレーくらいだ。

 大量のシールを集めている孫は、その一つひとつをいつ買ったものか、誰と交換したものか、実によく覚えている。それに比べれば、たった4台の自転車くらい、性能も走りの特徴も身体が覚えているのが当たり前。愛称などなくても、イメージだけで自転車を識別したい。

2年前に自転車を整備できる場所を整えた。そこを自転車小屋とか自転車部屋と呼んでいる。愛称を考えるなら新車よりこちらが先だ。妻の自転車も含めれば生産中止になったラレー製の自転車が3台もある。ラレーのオマージュとして、「羅麗庵」と愛称するのはどうだろう。


愛称は都合よく擬人化する
人格化し神格化さえする

友人の仲間の相棒の契り
親和の連帯の信頼の証し

愛称を探して
笑顔で近づき
甘言を弄する

愛称は省略し
限定して
所有する















2026年9月5日土曜日

新車レポート

  新しい自転車はこれまでのものより少しサイズが小さい。自転車の寸法を決める一つの目安はサドルの下からクランク軸までのパイプ(シートチューブ)の長さによる。新しい自転車のシートチューブの長さは450㎜。もう50㎜長いフレームの方がバランスがいい。自転車のシルエットが美しく見える。

 どちらのサイズにするか迷った。無理をして大きなサイズのものにすると、取り回しが良くない。歳も歳だし、形よりも乗りやすさを優先して小さいサイズを選んだ。

 通販で買って送られてきた自転車は、あらかじめ身長を伝えていたので、ほぼぴったり身体にフィットするように組まれていた。同じくらいの身長の人が跨って調整してくれたのか。身長による基準値があるのだろうか。 

 ハンドルとサドルの位置関係などは申し分ないが、取り付けが少し歪んで中心からずれていた。変速が滑らかさに欠けるのも気になった。微調整をした。自分でも少しは手を加えてみたくなる。

 猛暑つづきで長距離を走る機会はまだない。少しずつ走り具合を確かめながら、2ヵ月で1000㎞ほど走った。ちょっと遠くまで出かけたといえば椿大社から四日市へ回った65㎞、木曽三川を渡って名古屋港方面まで走った80㎞くらいである。

 小さいと思ったフレームが、乗ってみると自分にはよく合っている。緒元表で確認してあったが、クランクがこれまでの自転車に較べると短い。クランクギアも小さい。後ろのギアは歯数が多いものがついていて、登り坂では楽ができる。椿大社までのだらだらと登りのつづくコースでは負担が少ない。

 新しい自転車選びは間違いではなかった。難をいえば、クロモリのフレームなのに思っていたより振動が伝わることだ。タイヤの交換や空気圧の調整などで改善できるか確かめてみたい。まだまだ、お付き合いの浅い自転車。双方の歩み寄りが必要なのだろ



静謐を背景にして
今日一日を始める

翼のついた
自転車を
見つけたら

神々の庭も
自在に翔ける

白い自転車と出会った夏
太陽神ヘリオスと走った




2026年8月29日土曜日

二律背反

  この夏、朝は5時に起きて、涼しいうちに自転車に乗ると決めた。血糖値が高いので夜食をやめた。空腹で寝つけなくなる前に床に入る。そのこともあって、早寝早起きをつづけられている。小学生の頃夏休みの生活目標だった「早寝早起き」を達成。

 熱中症アラートが連日出ていても、涼しいうちなら自転車で30㎞、ときには50㎞も走れる。毎年、真夏には自転車の走行距離が減るが、今年は8月もかなり走った。長年つづけた夜型の生活を朝型に変えたのがよかった。

 朝の新鮮な気分で軽快にペダルを踏む。気温が上昇する前には帰宅するので、熱中症の心配はない。帰宅してからもう一度朝が始まる。1日の選択肢が広がる。いいことづくめ、のようだがそうばかりでもない。

 深夜、BGMを選んで本を読む。ネットサーフィンをする。その時間がなくなった。このままでは、世間の情報に疎くなる。だんだんバカになっていく、気がしてきた。何かを取れば何かを失う。二律背反というよりはトレードオフ、一得一失というべきか。

 そういえば、自転車に乗り始めたころにこんなこともあった。自転車に乗るのは面白い。自転車の整備も面白い。自転車屋さんに頼んでアルバイトをさせてもらえないだろか。ちょうど退職して間がない時期でもあった。無給でもいい。弟子入りして整備を教えてもらえる店はないか。本気で考えていた。

 自転車屋の小僧になるのもいい。そうなると自転車に乗る時間が減る。やっぱりやめた。整備は自己流でいく、と決めた。もしもあの頃から整備を習っていれば、今頃はかなりの練達、だったかもしれない。

 二律は背反する。トレードオフを迫られることは多い。両方を否定し両方を失うことを思えば、どちらか一つ、納得づくで残せば上等。なので、今は自転車に乗れる環境づくり優先でいきましょう。

夜のしじまに別れをつげて
朝の静けさの中にたたずむ


闇の魅力を断ち切り
朝の光を浴びて走る

ここにもありそこにもあり
ここにもなくそこにもない
見え隠れしている二律背反

夜と昼を分かつ早朝
天と地を分かつ山並
境界に立つ二律背反




2026年8月22日土曜日

バックミラーの話

  バックミラーといえばほとんどの人には何のことだか判る。では、これを日本語では何というか、すぐには思い浮かばない。「後写鏡」という。道路運送車両の保安基準第44条「後写鏡等」に規定されている。軽車両の自転車には装着義務がないが、公道を走るほとんどの車両に取り付けなければならない

 自転車点検の合言葉「ぶたはしゃべる」に、バックミラーのチェックは含まれていない。駅の駐輪場に置かれた自転車を見ても、バックミラーがつけてあるものは少ない。法的な装着義務がないのだから当たり前か。

 雑誌の愛車紹介記事などに登場する自転車で、バックミラーを装着しているものは見たことがない。あまりお洒落な代物でもないからか。

 長い間オートバイに乗っていたので、走行中はいつも後方を確認するのが当たり前になっている。自転車にもバックミラーがないのは不安だ。最近買った新しい自転車にも真っ先にバックミラーを取り付けた。これまでの自転車で、何種類かのバックミラーを試している。ためらうことなく、自分では定番と思っているものを選んだ。

 最初にスポーツ自転車に乗り始めたときにはバックミラー選びに苦労した。バックミラーは是非とも欲しい。欲しいけれど大きなミラーは目立ちすぎて不格好だ。空力などさしたる影響はないとはいえ、いかにも空気抵抗が大きそうだ。

 小さなミラーは後方が見えにくい。取り付け位置にも苦労する。取り付け方によっては振動で視界がぶれる。鏡面がプラスチックのものはすぐに曇る。手ごろなものが少ない。取り付けのお手本もない。自転車のどこにどう取り付けたものか。試行錯誤を重ねた。

 いくつもミラーを試して、キャットアイのバーエンドミラーに落ち着いた。これはハンドルバーの先端にしっかりと固定できる。小さな円形で邪魔にならず後方視界が確保できる。小さいけれど大きな安心材料。

 今更バックミラーの話というのも間が抜けているようだが、自転車にもぜひ欲しい保安部品だと思っている。法令で義務付けられていなくても、使ってみればその良さが光るアイテムだ。

前方を凝視していても
背景が追いかけて来る

振り向いたはずなのに
前を向きつづけている

切り取られた景色の断片も

静止した時間の切れ端も

虚像として捕捉され
丸く区切られた姿が
拡散する光になって
後方に拡がっている

2026年8月15日土曜日

もう一つの意外

  若いころにはスリムだった体が、少しずつぜい肉だか脂肪だかを貯めこんだ。20歳の頃に55㎏前後だった体重が30歳になるころから、少しずつ増え始めた。

 以降、この歳になるまで60±2㎏くらいで推移している。体形が大きく変わったわけではない。ズボンのウエストが少し窮屈になったくらいだ。それほど悪い変化ではないだろう。

 昨年の暮れに、高齢者特定健康診断の結果を聞いて驚いた。血糖値が異常に高くて、糖尿病という診断になると医師から言われた。

 自転車に乗るとお腹がすく。食べる。食欲旺盛なのはいいことだが、間食もする。もう一つ、悪癖があった。夜食である。これは若い頃からの習い性。空腹では寝付けない、と決めつけていた。深夜、床に入る前には欠かさず食パンを一枚、バターをたっぷり塗って食べる。さらにバナナをもう1本ということもあった。

 病気の宣告を受けては自転車に乗れなくなる。日々の最大の関心事は快適に自転車に乗れるかどうかだ。血糖値を下げなければならない。至上命題だ。

 昨年の暮れから、夜食はやめた。眠れなくてもいいから空腹のままで布団に入る。それが、意外なことに、時間が来れば眠れてしまうのです。しかも、朝食がうまい。

 間食もほとんどしなくなって8ヶ月。8月13日の朝の体重、何と52.3kg5㎏以上体重が減った。血糖値は測っていないが、きっと下がっていると思いたい。セルフイメージが大事だ。

 早寝早起きよりも、長年続けていた夜食の習慣や間食をやめられたことはもう一つのもっと大きな意外だ。その結果、体重が減った。意外の連鎖だ。

体重は減ったが、自転車で走っていても体力が落ちたようには思わない。この歳でも、むしろ機敏さがもどった気がする。この夏は意外なことが多い。まだまだ自転車を楽しめそうだ。これは意外でも何でもない。


道標はそこに居つづける

決められた時間たちが
必ずここを通り過ぎる

その決まりごとに
風穴をあけてみる

意外へつながる
門が開いている

2026年8月8日土曜日

意外や意外

  このブログに、朝には弱い、早起きが苦手、要するに夜型の典型、というようなことを何度も書いた。 毎年、元旦だけは無理をして早く起きる。朝5時には起きて、自転車で初日の出を見に行く準備をする。この日限定、年に一度の早起き。そのことも書いた。

 仕事を辞してからは、スマホのアラームが7時と7時半に設定してある。7時のアラームではまず起きない。早くて7時半である。油断をすると、アラームを無視して眠りつづける。9時が10時でも眠りつづける。暑くても眠りつづける。早くに目が覚めてしまって眠れない人も多いと聞く。眠るのも体力がいるそうだ。朝寝ができるのは幸せなことだ。

 朝は早く起きられないと決めつけていた、その起床時刻が先月の15日を境に変わった。日記には朝何時に起きたかを記録しているので嘘はない。5時に目覚める日がつづいている。

 なぜか。自転車に乗るためである。熱中症アラートが連日出ている。日中に自転車に乗るのは無謀だ。年齢のせいか用心深くなった。遊びで自転車に乗っていて救急搬送されては、忙しい救急隊員さんに申し訳がない。安心して自転車に乗れるのは早朝しかない。

 5時に起きて朝食を済ませる。自転車のタイヤに空気を入れて6時には家を出る。気温が上がる9時ころまでに30㎞~40㎞は走れる。朝の空気は軽い。空気の色まで涼しい。何年か前に一度だけ、夏の朝早くに走ったことがあった。爽快で病みつきになりそうだとブログにも書いた。大嘘つきだ。その後、早朝には全く走れていない。

 それが、この夏の大変化。意外といえば意外。新しい自転車を買ったことがかなり効いている。これまで乗っていた自転車にも乗りつづけ、新しい自転車に乗る時間も欲しい。早起きはその解決策なのだ。

 走行会の仲間から早朝ライドに誘われても、早起きが苦手なことを理由に断ってきた。自分の方から早朝ライドにお誘いできる日が来るとは思ってもみなかった。

まだ手付かずの朝

今朝はまだ
誰も歩いていない道

太陽のリセットには
もうしばらく
時間がかかる

世界中の朝を
独り占めしている

2026年8月1日土曜日

お値段はいかほど

  先月購入した自転車、ラレー・CLR・クラブレースのお値段、定価(税込み)、159,500円。購入価格、95,700円。特価で4割引だった。

 楽天市場に出店しているライド・オンという店から通販で買った。サマーセール期間中だったので10,100ポイントが付いた。実質購入価格は85,600円。送料も割引価格で4,400円と安かった。

 値段の詳細を明かしたが、本当は値段のことはあまり言いたくない。購入価格だけで自転車の値打ちを判断されても困るのだ。

 何年も自転車に乗りつづけて、自転車をグレードアップしている人には、その程度の自転車か、と値段だけで決めつけられてしまうかもしれない。何しろ100万円を超えるような自転車もある。買うの買わないのと、すったもんだしていた割には安い自転車ではないかと思われるかもしれない。

 自転車の値段はこれだけでは終わらない。この自転車にはペダルがついていない。販売店では気を効かせてペダルをおまけしてくれた。おまけはありがたいがそのペダルがショボい。三ヶ嶋製のペダルに替えたので4,950円、サイドスタンド3,870円、他にボトルケージなども買って、特典だった10,100ポイントはそれで完全に消えました。

 納車された状態のままで新しい自転車に乗ることもできるが、自分に合わせて少しずつ作り変えていくのもスポーツ自転車の楽しみのひとつ。こだわって自分にフィットした部品を揃えれば出費はかさむ。

 こだわりには値段がつけられない。この自転車、お値段はいかほどかと尋ねられたら、手に入れた金額は答えられる。答えはするが、それだけで、自転車への愛着やこだわりは表せない。お値段は単なる目安。真価の基準ではない。

夏の早い朝が
物語を紡ぐ

物語の値踏みをする

ハードバックで読むか
ペーパーバックで読むか
同じ物語でも値段が違う

本当の値打ちは
行間に貼られた
プライスタグに
書かれる熱情だ

2026年7月25日土曜日

シェイクダウンについて

  シェイクダウン。レーシングカーなどの試運転。新しく組み上げたり改造した車や機械のテストすることをいう。先月、自転車を買った。新しい自転車の乗り始めも、シェイクダウンするといえば響きがいい。

 新しい自転車に乗るのは楽しみなものだ。乗り心地を試す。身体へのフィット感、加速の調子やブレーキの効き具合。走り始めるとすぐに身体が乗り味を感じ取る。

 初めてクロスバイクを買ったときはそうはいかなかった。比較対象になるものがない。この自転車は乗り心地はいいのか悪いのか。速いのか遅いのか。果たしてどれくらいの距離を走れるものなのか。

 当時は自転車に乗る仲間がいたわけではない。通販で買ったので、自転車屋さんで自転車の説明を聞いたわけでもない。無手勝流ではシェイクダウンと呼ぶにはほど遠い。

 クロスバイクを始めたときから、走行距離や平均速度、行き先などを記録に残している。記録の初回、近くのショッピングセンターまで5㎞の距離を走っている。2回目には32㎞走った記録がある。これなら遠くまで行けるという手ごたえを感じたのだったか

 1年後に2台目となるロードバイクを手に入れたときには、いきなり78㎞走った記録が残っている。スピードが出て乗り心地もいい。クロスバイクで走った経験と較べて、これはイケると思ったのだろう。

 その後手に入れたマウンテンバイクも含めると、今回は4台目の自転車。これまでの自転車と乗り比べ、じっくりと乗り味を確かめて走るゆとりがある。シェイクダウンしている。

 シェイクダウンはスラングとして脅迫やたかりという意味に使われる。事態が落ち着くとか調子が整うという意味もある。できれば後者の意味通りに、新しい自転車を加えた事態が落ち着き、走りの調子が整えばいいのだが。

新しい自転車には
新しい色、寸法、性能

この自転車には
行き先の記憶が
今のところない

これまでの自転車とは
全く違うともいえるし

これまでの自転車と
さほど変わらないと
いえるかもしれない

2026年7月18日土曜日

日々是快適か

 自転車に乗ることはいいことずくめで日々是快適か、というと、そうばかりでもない。

 ブログの記事には、自転車にまつわる面白いことや楽しいことを書くようにしている。難儀なことや心配なことも書きはするが、それも楽しみのうち、というとらえ方をすることが多い。

 3年前に「夏場の過信」というタイトルで、自転車に乗っていて熱中症になりかけたことを書いた。そのときもあまり深刻にはとらえていない。

 いくつかの記事を読み返してみても、年寄りにしては元気がいいなと思える。これではイケイケの爺さんではないかと思うことさえある。

 それが、最近は少し様子が違う。この暑さの中へ自転車を漕ぎ出すのは危険ではないか、と妙に用心深い。自転車仲間も、自転車に乗る回数が減っている。走行距離も少なくなっている。無理はしなくなった。一緒に走る機会も減りつつある。同じような年齢の人ばかりだから、それもうなずける。けれど、ジリ貧ではさみしい。

 自転車で出かけた先々で写真を撮る。その写真から新鮮味が失せている。写真の腕はもともと大したことはない。それを差し引いても近頃は特に凡庸、これもジリ貧。

 いつまでも同じペースで走りつづけられるわけではないし、いつも新鮮な気分でばかりいられるわけでもない。退化もするし、飽きることだってある。

 新しい自転車を買ったのには、かくれた理由もある。生産中止で今後手に入らない。在庫処分で安い。それもあるが、もう一つ、ここらでこれまでの自転車とのつき合い方を見直す、というのがその理由だ。

 新しい自転車を仲間に加えれば、新しい走り方が始まる。新しい自転車を被写体にした写真も撮れる。低迷気味のムードを挽回する。

 自転車1台が起死回生のためのカンフル剤になるといえば大げさだが、ちょっと気分転換を図りたい。無理や無謀は慎むにしても、イケイケの爺さん気分も残して、日々快適に自転車に乗りたい。

夏も74回目ともなると海千山千
かなり手ごわい相手だ

孫の夏はまだ10回目で
孫も夏もお互いに
無邪気なものだ

子どものころには
近くの遊び場まで
夏を迎えに行った

夏休みの近づいた小学校では
放課のチャイムが鳴っている

2026年7月11日土曜日

恋を抱きしめよう

  前回のブログに書ききれないことがあった。前回引用したビートルズの楽曲は『恋を抱きしめよう』というタイトルである。

 原題は『We can work it out』。直訳すれば、私たちはそれを何とかすることができる。何とかうまくいくさ、とか、どうにか解決できるさ、くらいの意訳もできるだろう。 『恋を抱きしめよう』という曲名は、原題とはかなり意味合いが違う気がする。

 前回、歌詞の内容にももう少し触れたかった。ポール・マッカートニーの歌詞は、「僕のやり方を理解してくれ ちゃんと話を聞いてくれ 君のやり方ではこれ以上うまくいかないだろう 時間が経てば判るはずだ」と、中身は判らないが、恋人を説得しているように思える。シンプルな歌詞である。

 ジョン・レノンが、ポールの作った歌詞の途中へ「Life is very short, and there is no time for fussing and fighting, my friend」と、仲裁するようなフレーズをはさんだ。「人生は短い。つまらない事で大騒ぎしたり喧嘩したりしている時間はないぞ」というわけだ。仲間内での冷やかし半分のところもあるのか。

 自転車の通販サイトを見てああでもないこうでもないと考えているときに、たまたまビートルズを聴いていた。このフレーズが耳に残った。

 若いころのジョンが「人生は短い」といっているのと、私の余生ではわけが違う。迷っている時間はもっと少ない。余生が長いか短いかよりも、余生に意味があるかどうかだ。すっからかんの余生ではつまらない。

 前回のブログを書いたあとで、思わぬ符合にも気がついた。「We can work it out」、何とかうまくやれる。新しく買った自転車と私の関係も、何とか折り合いがつくだろう。「恋を抱きしめよう」ではピンと来ない。原題の「We can work it out」なら「We」を私と私の新しい自転車のことに置き換えて、何とかやっていけるだろう。

古い歌を口ずさみながら
新しい道を走った

古い歌が
その時々に
新しい意味を見つける

リズムが重なり
旋律が躍り出す

遠い昔に聴いた歌が
幾重にも折り重なって
耳元に流れている

2026年7月4日土曜日

自転車、買いました

  新しい自転車を買いました。前に何度かこのブログで、もう1台自転車を買うかどうか、迷っていることを書いた。迷いのはじまりは、今も乗っているラレーというブランドの自転車が生産中止になるというニュースだった。

 現在の愛車、ラレーのことについても、いろいろ紹介してきた。愛着のある自転車だ。新家工業がイギリスのラレーという自転車をライセンス生産している。クラシカルな雰囲気が漂う。

 アルミやカーボンフレームの自転車が主流の今でも、鉄(クロモリ合金)製のフレーム。使われている部品もちょっと時代遅れの感がして、それがまたいい。

 そのラレーの自転車が今後は作られなくなる。今もラレーのロードバイクに乗っているが、もう1台、少し性能の違うものを手に入れておきたい。

 買う理由はある。今後ラレーの自転車は中古車以外では手に入らない。今なら製造中止前の在庫が定価の半額近い値段で買える。今の愛車は買ってから14年も経っている。その間に同じブランドの自転車で古めかしいとはいえ、新しいモデルへと進化はしている。

 買わない理由もある。何台も持っていても、全部の自転車を乗りこなせるとは思えない。いつまで自転車に乗れるかもわからない。新車を買えば、自分の身体に合わせた改造用の部品も欲しくなる。余計な出費が増える。今更新車もないだろう。

 Life is very short and there is no time、ビートルズの楽曲の歌詞が思い浮かぶ。言い争いをする恋人たちのことを書いたポール・マッカートニーの歌詞に、ジョン・レノンが付け足した1節。「人生は短い、喧嘩をしている時間はないぞ」

 若かったジョンがLife is very shortといったのと、私の今の心境は違うだろう。けれど、逡巡している時間が勿体ないのは確かだ。買ってしまえば、乗るにちがいない。乗れば、新しい自転車の真価もあらためて判るだろう。

 かなりの高齢にはなったが、やってみないと判らないことはまだまだ多い、と、まぁそんなことで、もう1台、自転車を買いました。

Life is very short, and tehre's no time,
for fussing and fighting , my friend

ジョンだってポールだってわたしだって
人生が短くて時間がないのは同じだ

短い余生という決まり文句は
この辺りで捨てていく

余生は長さで計らない
深さで計り重さを計る



2026年6月27日土曜日

自転車のベルの効用

  「ブタはしゃべる」。自転車の安全点検の合言葉。これがいつどこで使われ始めたか、正確には判らない。全国の小学校の交通安全教室や警察の啓発活動に、2000年代(平成10年代)から使われているらしい。

 「ぶ」ブレーキの効き具合や関連部品。「た」タイヤの空気圧や摩耗具合 「は」反射板と前照灯の取付 「しゃ」車体の亀裂やハンドル、サドルの取付具合 「べる」ベルの取付と鳴り具合。

 「は」は反射板よりハンドルとして1項目上げてもいいような気がする。ハンドル周りの点検にはブレーキレバーの握り具合など、危機回避の要素が大きい。反射板は車体の方に組み合わせてもいい。とはいうものの、短い合言葉にうまく点検項目が入っている。

 これなら小学生にも覚えてもらいやすい。スポーツ自転車を愛用する経験を積んだライダーにも欠かせない点検項目だ。

 ただ一つだけ、気になることがある。「ブタはしゃべる」という短い合言葉のうちの2音2文字も使っているのがベルだけの点検、そのベルにどれだけの効用があるのか、ということだ。

 例えば、田舎道で犬の散歩をする人や、並んでウォーキングをする人たち。後ろから自転車で追いついてベルを鳴らすのは気が引ける。のどかな気分に水をさす。そんなときは「おじゃましま~す」と声をかけて追い抜く。ベルの出番はない。

 例えば、わき道から飛び出そうとする車。ベルを鳴らしてもドライバーに聞こえるはずがない。負け犬の遠吠えならまだしも、自転車のか細いベルの音では聞こえもしない。何とも非力だ。もっと大きな音にすればどうか。それだと使うのに気が引けるか。

ちりんちりんというベルの擬音は自転車の軽快さ。のどかで平和だ。銀輪と並ぶ自転車の象徴。歌にもなれば詩にもなる。そのベルがあまり使い道もなければ効用も期待できそうにないと思っているのは私だけか。

湖の向こう岸で
緑色の音が生まれる

音は小さな波紋になって
川面をすべっていく

かすかなベルの響きに誘われて
樹々の緑のトンネルをくぐった

音の色風の色光の色
今日は旅する自転車